Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

希望格差社会のリアル

人間は、今日より明日の方がよくなるという「希望」があるから生きていくことが出来る。

一方で世界は「希望を持てる人」と「希望を持てない人」の格差が大きく開いている。山田昌弘氏は2004年の「希望格差社会」で負け組の絶望が社会を引き裂くと述べた。最近のあまりに痛ましい事件とそれを自己の正当性のみで主張する犯罪者を見ているといよいよそれが現実になってきたとの思いが強くなる。そして、この現象は日本だけに限ったことではない。

ピケティが証明した資産家と労働者の所得格差の拡大。結局、この格差の拡大は、グローバルレベルで起きており、人々における希望の格差を生み出す。

希望を持てなくなった人たちは、自暴自棄となり犯罪に手を染めたり、テロ行為、見せかけの大義を掲げるカルトに誑かされるようになる。自由、平等、博愛の精神を掲げるフランスで起きたテロ。フランスは移民にも寛容だが、皮肉にも移民などの人たちは、「希望を持てない」人に転落する確率が非常に高い。もしくは、希望を持てる資産家にはどう頑張ってもなりようがない。

そうした人たちが、社会システムに疑問を感じ、理想国家の確立を掲げる集団に感化されてしまうのも分からないでもない。

希望を持てない、かつ宗教的なバックグラウンドを持つ移民が流入することを、防止することを表明しているトランプ氏は、差別主義的で僕は全く支持できないのだが、ある意味本質を突いているところがある。

自由経済の進展がもたらした格差の拡大。一時期のISISムーブメントは、皇帝支配で貧困にあえいでいたロシア民衆による共産主義革命にどこか似ているところがある。

とはいえ、共産主義という理想は結局、共産主義というシステムをコントロールする一部の特権階級による形を変えた集団指導的帝国主義に成り下がり、結局は失敗をしてしまう。人間というのは、結局我欲の自己増殖を抑えることが出来ず、覇道は淘汰される運命にあるのだ。

ただし、共産主義がすべて失敗しているかというとそうでもない。キューバという国は結構うまくいっている「よう」だ。貧しいながらも国民の幸福度は非常に高い。それは、共産主義の成せた技なのか、キューバの国民性の成せた技なのか。僕は共産主義にはまるで興味はないが、ちょっと気になったりする。