Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

忘れ物にご用心

久しぶりのビジネストリップというのは、どこかで抜けが生じるもので。旅にアクシデントは付きものとは言うものの、よりによっていつも持ち歩いている虎の子の一眼レフをどこかに置いて来てしまったらしい。


気が付いたのは、夕景を取ろうとした矢先のこと。肝心のカメラはどこにあるのかと思ったが、手にも持っていない、カバンにも入っていない。どこかに置いてきてしまったらしい。後悔先に立たず・・・記憶を一つ一つたどり電話をかけてみる。一番濃厚なのが最後部の座席に乗った路線バスの中。


事業所の番号を調べ電話をしてみる。忘れ物をした際には、乗った停留所と乗車時間が分かると早いとのことで、Googleマップでそれと思しきバスの番号をオペレーターに告げる。(Googleマップは便利だよね)


『今日のところは届いていないようです。明日の9時以降に再度電話してきてください』

帰りの飛行機の時刻も迫っており、もはやジタバタしても仕方がないと観念する。果たして翌日の土曜日の朝にかけるも、この段階でも届いていない。警察の遺失物検索サイトで探るも届いていない。やっぱダメか・・


気を取り直して、午後の3時に再度電話。


僕のカメラは、今日付で営業所に届いたらしい。営業所の方と電話でやり取り。特徴はしっかり照合できて僕の持ち物だとハッキリ分かったので、着払いで送ってくれるとのこと。到着は明日。一件落着・・やれやれだ。それにしても、国内だからこれだけスピーディーに解決できたわけで。これが海外になったりすると事はそうは簡単にいかなかったりする。そもそも忘れ物が届けられることもまずはない。


昨年の欧州旅行をした際に息子がフランクフルト着のルフトハンザ機内に、iPadの忘れ物をした。あわただしく荷物をまとめて離籍したため、座席背部ポケットに入れたままにしてしまったのだ。すぐに気づいてカウンターで話すも、機内にも戻れないし、ピックアップはできないという。


その後、数か月のやり取りをしてようやく日本に遺失物が戻ってきた。特にパソコンやiPadは、リチウム電池を搭載しているため、配送にはことさら手間がかかるのが原因だった。それを思えば・・


それにしても、このコロナ禍の影響でバスがすいているのはいいが、荷物を座席にボンと置いて乗っちゃいけないってことなんだよね。こういう時に、目指すバス停でパッと降りたりすると大抵モノを忘れてしまうから。でも、色々な人に手間暇と迷惑をかけてしまった・・反省・・

等級制度はキャリアパスではない

組織・人事のコンサルティングにおいて、人事制度設計を行うことがある。その中で未だに違和感があるのが、等級制度に合わせた昇格要件や管理・専門系の分化をさせる定義をもって『キャリアパス設計』と称する点だ。

 


キャリアを専門とする人間からして、こんなものはキャリアパスでも何でもない。ただの昇格要件と昇格ルートに過ぎない。なぜなら、等級制度とは偉さの基準にすぎないから。

 


実際に等級の途中で止まってしまう人が多い中で、一部のトップだけが歩める道(パス)に『キャリア』なんて名付けるべきではない。なぜならその発想はおおよそ外的なものであり、外的キャリアの視点しか持ち得ない仕組みに今どきにおいても『キャリア』という名称を何の疑いもなしに使うのは、古くさいとしか言い様がない。

 


本来のキャリアパスとは、定年までの枝分かれの現実を個人に見せて考えさせるものだ。管理・専門という枝分かれのみならず、万年一般職や役定、再雇用といったダウンサイドまで見せて考えさせるもの。

 


だから、ピラミッドの等級制度のパラダイムキャリアパスだと称して疑わない人事コンサルは、人の感情やキャリアというものを分かってないな…と思ってしまうのである。

たかがコンサル、されどコンサル

昔、コンサルタントという仕事は虚業ではないかと悩んだことがありました。ハッキリとしたサービスやモノを作り出して便益を届けている事業会社と比べて一体何が価値なのだろうか…と。

 


構想という見えない建造物であったり、問題の発見と解決への示唆であったり、合意形成に向けたコミュニケーションコストを第三者の介在で下げるということは立派な付加価値である、ということが確信できるようになり、虚業という意識はなくなっていきました。

 


それでもコンサルタントという仕事の難しさやその覚悟をことさら強調して他人に語る人間には今でも抵抗感があるのです。なぜなら、新しい職能に来たからには、相応の覚悟が必要だし、それはなにもコンサルタントに限らないから。だから、何かにつけてそのことに言及する人においては、『貴方は他の仕事を経験したことがあるのか?』とカチンときてしまうのです。

 


過去を振り返ってみると、大変だったのは事業会社(リ社)で新規事業の立ち上げを業務委託という立場でやったこと。

 


社内を一枚岩にして動かし、顧客にも有用性を認識してもらわないと事業は立ち上がらない。部分的な示唆で済むコンサルタントなんて楽。事業が立ち上がって生き延びていくために、全知全能で臨むことが必要だったから。

 


だから、コンサル業界しか知らない人に、滔々とコンサルタントとは?などと語られると、自分にプライドを持つのはいいけど、おおよそ世間知らずの人だな…と思ってしまうのです。学生相手のイニシエーションならいいけどね。

レギュラーを目指して走れ

この1年くらいのことだ。息子が筋トレやらランニングをするようになった。

 


ときどき言ってた。いくら食べても太らないとか言っていられるのは二十まで。酒なんか飲んで何もしなかったら、筋肉はどんどん落ちて贅肉になる。腹の出っ張ったオッサン体形になりたくなかったら、何かしたほうがいいよ…

 


だがいままではそれに一切耳を貸すわけでなし。しかしいったいどういう風の吹き回しだろう…

 


先日、妻がこんなことを言っていた。

 


『みっちゃんがこの前、こんな事を言っていたわ』

 


『友達を車でお父さん送ってくれたでしょ。二人の友達はお父さんのことを真面目に兄貴だと思ったんだよ。雰囲気も話し方もね。僕はね、そういうところはお父さん尊敬するよ…』

 


そういうところは…というのは引っかかるが。実際に家ではくだらない事ばっか言って呆れられているのだが…

 


そしてその一件があって以来、今までは耳も貸さなかったのに、ときどき走りに行ったり筋トレをしている。ま、いいことだ。

 

 

学生の時には体育系の部活に入り、よく走った。それは練習として課されていたり、レギュラーになるという外発的な動機付けがあればこそ。部活をやめ外発的な動機付けがなくなったアスリートは、いつしか走ることを止めてしまう。

 


僕の憧れる大人は、恰幅のいい人じゃない。それが人生というゲームにおけるレギュラーじゃないから。彼もきっとそうなんだろう。

 

 

 

 

 

人生・仕事に自分の指定席を作れ

大学時代は、本田宗一郎さんに関わる様々な書籍を読んだ。ただ読むのじゃつまらない、自分の考えも踏まえてまとめてみようと思い卒論のテーマにもした。


会社研究から始まり、礎を作った本田宗一郎さんの歩みを追う事は、小説を読むより興味深く、有り余る時間を没頭させてくれるに相応しいテーマだった。生い立ち、人物史が経営哲学となり戦略、組織に繋がり企業史が形成されていく。僕は無機的な側面からモノを見るよりも、一人の人間の価値観や思いという側面から会社を見ていくのが好きだったりする。そういえば、最近朝ドラにも創業者の物語が扱われることが多い・・


就活時も卒論の事をよく話していた気がする。体育系・文化系を掛け持ちした部活動のことも、様々なアルバイトのことも話すことはほとんどなかった。この卒論に興味を示してくれた企業は多く、そうした所からはほぼ内定を頂くことが出来た。自分をアイデンティファイし、職業人生のパスポートにもなったのだ。


本田宗一郎さんは己の考えを明確に持ち、多くの書籍を記している。数多読んだ中でも好きなのは「得手に帆あげて」。記されているのは、「生き方・働き方」の哲学。


・「得手に帆上げて」
・「能ある鷹は爪を出せ」
・「会社のためにではなく自分のために働け」
・「会社・仕事に自分の指定席を作れ」


どれもが革新的で強烈なメッセージである。


核にあるのは、人間にはそれぞれ異なる才能という資本が隠れている。それを活かしていくことこそが、周りを幸福にし自分自身も幸福になるのだ、という揺るぎない考え。今でいえばタレントマネジメントの根本原理である。


これは、ホンダフィロソフィーである「人間尊重」に繋がっている。だがこれは一企業の枠を超えた普遍的な考え方。優れた企業のフィロソフィーには、人間という存在の捉え方やキャリアに関する考えが織り込まれているのは、現在キャリアをメインテーマに据えている人間から見てなんとも不思議な繋がりを感じるものだったりする。


もし、一人一人が得手に帆を挙げ、自分の指定席を作れたのなら、どんなに素晴らしい世の中になるのだろう・・実際には多くの人が、得手を知りえておらず、指定席を見いだせていない。そして、肩書や権力を指定席として求めようとするからおかしな話になる。そもそも、肩書や権力なんてものは、その組織から離れたら無くなってしまうもので、人生・仕事の指定席にはならないのだ。


ドラマ「エール」においても、主人公の人生を決定づけた小学校の担任教諭の素晴らしい言葉がでてくる。


『ほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること。それがお前の得意なものだ。それが見つかればしがみつけ。必ず道はひらく』


組織人として何十年も生きていると、得手に帆を上げることや指定席を見つけることはかえって難しくなってしまうのかもしれない。だからこそ学生時代にどれだけその種をどれだけ意識できるか。僕においては、大学の指導教授が僕の卒論を高く評価してくれた存在でしたから。

パラダイムシフト

定期代支給はなくし、都度精算。週5日のリモートワークを可能にして、在宅ワーク環境のための経費補助…

 


こうなるとオフィスに行くことは、原則的になくなりそうです。やるべきミッションも明確で裁量も与えられていますしね。

 


組織と個人の関係性にも間違いなく変化が出そうです。会社員というのは、文字通り一つの社(やしろ)に集うメンバーということですが、集わなくていいとなると、精神的にも契約的にも密連携から疎連携となり、業務委託型の雇用形態で複業・兼業というワークスタイルも進んできそう。

 


加えてリーマンとは異なり、実体経済がひどく落ち込んだこともあり、飽くなき成長を志向した過重労働も減速。職住一体のスローライフが図らずも実現。生き方、働き方が大きく変わりそうです。

優しい別れ方

これ以上付き合ってもダメ、この人には一切気が無い…

 

思うのだったなら、スッパリと相手に言ってあげた方がいい。相手を傷つけまいと婉曲的に言ったり、真実を告げるのを先延ばしにすると、自分にとっても相手にとっても決していい結果にならない。

 

ズルズルと引き延ばすと、時に相手はストーカーになってしまったり、余計に逆恨みを買うのも良くあること。

 

これは、男女の世界だけじゃなくて、会社と個人の世界も同じ。結局、真実を誤魔化し告げる勇気を持てないがために、最後は双方が修羅場を見る。

 

ダメだと思い始めたら、ダメをハッキリと言う。別れたいときは、早めに別れを告げる。これ、原則。人事制度という道具で長年のツケを清算し、別れようだなんて、そんなこと出来るわけない。道具だけでは、人の気持ちという未練は断ち切れないのだから。

 

とはいえ、日本企業は定年以外の別れ方について、あまりにも無策で来たよね。その場しのぎの優しさはストーカー化した社員を生み出し、行き場もなくした彼らは相手に裏切られたと思っている。多様な出会いと別れを想定して、仕組みを作り、真実を告げる勇気を持たないとね。