Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

GMSの落日

ダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ、西友

80年代に総合小売業(GMS)として上位を連ねた4社。ダイエーは、中内功氏の衰えとともに解体。西友はウォルマート、外資ファンドの手に落ち、さらに売却の道が探られている。

セブンイレブンを擁していたイトーヨーカドーは盤石かと思いきや、祖業をリストラ、売却する道が探られている。

日本の流通業は、卸しや流通経路の特殊性もあり、独特の発展が行われてきた。スケールメリットを追求する外資は一定の優位性はありつつも、日本市場に参入することはおろか、成功することは難しい。80年代から行われてきた議論は、40年の中でウォルマートの失敗などにより一定の結論がすでに出されたように思う。

ただし、衣食住のすべてを提供するコンセプトだったGMSは完全に崩壊しており、衣料であればユニクロやZARA、しまむら。住であればドラッグストアやニトリといったカテゴリーキラーに完全に浸食されてしまっており、優位性が担保できない。

そうなるともはや食品スーパーに特化していかないと生き残っていけない。オオゼキやOKストアのように…この傾向は10年前から分かっていたことで、GMSを求めるならコンビニ形態にサイズダウンしないと難しい。

イオンはこの変化を読んで、カテゴリーキラーをワンプレースに収めるモールという概念をプロデュースする立場に変わっており、三井不動産もそれを追っている。

閉店が相次ぐイトーヨーカドーに郷愁を一定感じつつも、これは昔から分かっていた未来だったよね…と。でも、従業員や店舗の維持という視点を尊重するがあまり何もできなかった結果なんだよねと思うのです。

運命の人

類い希な情熱と能力をもった人間に寄せた恋心。その気持ちは主人公が追い求める密約書類の情報提供という形に現れる。だが、機密情報漏洩が発覚し検察からの告訴を受けた瞬間に、彼女は情報提供は恋心という動機から来たものではなく、主人公から半ば脅されて提供したものであると証言をする。

 

 


豹変の理由は、病気の夫に隠れて不倫関係をもっていたことを隠し、あくまで自己の立場を正当化したかったからなのだろう。弱い女性であるが故に、男性の圧に屈して不貞の行為をし、その延長上で情報提供をしたのだと言えば、世間体は守られる。配偶者にも不義はない。

 

これによって、沖縄返還の真実を暴いた主人公は検察の罠にはまり、国家公務員をそそのかして機密情報の提供をさせたことにより有罪判決を受けてしまう。時の首相佐藤栄作の欺瞞によって成された沖縄返還の密約には何も触れることもなく。これが明らかになれば彼に与えるノーベル平和賞など実に虚ろなものだと分かったのに。

 

権力闘争に明け暮れ足を引っ張り合う韓国から比べたらまだ日本はマシだとも思うが、権力者の欺瞞に検察が手を貸し、白を黒だと言って真実を葬り去り、一人の人生を台無しにしてしまうというのは、なんともやり切れない。そこには『義』がない。事務官秘書の女性にも『義』がない。

 

 

『義』を問う山崎豊子さんの最後の作品となった『運命の人』。訴えたことは、あまりにも理不尽な裁判と不屈の主人公のその後の人生。西山事件の主人公であった西山氏が属していたのは、毎日新聞であり山崎豊子さんのキャリアルーツにもなっている新聞社。毎日新聞社のターニングポイントとなった事件の真相に同僚として光を当てたかったのだろう。

 

 

ライブドア事件もそうだが、検察というのは時に火のないところに煙を立てて犯罪を演出する。そもそも、自分たちは絶対に正しいと信じ切っている点がうさんくさい。そのくせ、大阪地検のトップが部下に働いた性的暴行事件については、組織ぐるみで隠蔽を図ろうとする。権力を持った官僚組織のトップで良心をもつことは難しいのだろうか。

 

 

最高権力を持ったトップの犯罪こそが戦争であり、遺作となった『約束の海』には、戦争を起こさない軍隊として自衛隊を採り上げたのも必然だったのだろうと思う。

終わりを描くことから始める

白い天井ばかりを見つめていた日々。できることは就職情報誌を読み、どのような仕事に就くべきかを模索することくらい。

時間は山ほどある。様々な企業情報を丹念に読み込んでいた。最初は明確な軸はなくノックアウトファクターだけ。


①職場で煙草を吸わない、べたな酒づきあいがない
②異動転勤をかってにさせられない
③年功給・退職金で人を会社に縛り付けず、若手の時から報酬が良い
④学閥がなく実力主義


大手電力会社で高卒ゆえに課長に据え置かれ、転勤族で満足にマイホームから通うこともなかった父親。父の時代は、それしか選択肢がなかったし、ベストだったと思う。だが大学まで入れてもらえたのだから、僕の代は立場を最大に活かすことが親孝行と思っていた。両親共に電力会社を勧めたものの、受ける気はなかった。ノックアウト条件に全て当てはまるから。


条件を適用すると大手メーカー、金融などは選択肢から消えた。僕の大学は金融機関を受ける人間が多かった。だがB級大学の学生はしょせん幹部にはなれず、それは役員陣の出身大学を見ればすぐに分かることだった。体育会の連中は、素直さ、協調性、根性、体力しか求めてないから金融機関に兵隊として迎え入れられるだけなのだ。


誇った体力なんて砂上の楼閣。やりたいことがあるなら先送りは駄目。退屈しないで夢中になれるものを選ばないと命の使い方として勿体ない。


①どのような思考、行動の特徴があるのか、端的に示すエピソードとは何か?
②どのような価値観を持ち、どんな問題意識、関心を持っている人間なのか?
③他人からはどのような人間と言われているのか?
④どのようなキャリアビジョンか


ゼミの友人などからは、シンクタンクが向いていると言われていた。リサーチや考察を立てて意見や質問を良くしていたからだと思う。実際にもそれが合っているとも思え、プロフェッショナルファームに狙いを絞っていたこともあり、だいたい上記の建て付けで自己紹介と志望理由を話していた。


野球部、茶道部、様々なバイト経験。一切アピールしなかった。経営学こそもっとも情熱をもって取り組んだ対象であり、関心の深かった専攻課目、卒論のことを話した。経営コンサルティングは、経営学を実践展開するビジネスと信じていた。


自身の性格の特徴を問われた際、意思決定を一貫性をもって行いたいので、理由を常に明確に言語化したいと考えている・・と話すとグループ面接では、僕の考え方について他の人はどう捉えるのか?となったことがあった。思いを深めた闘病経験について語ると、多くの大人たちの興味や関心をひいた。


ジョブズは、スタンフォード大学でのスピーチで、死を意識することが人生において重大な決断を行うときにもっとも役に立つと述べている。人生で後悔をしないためには、自分が最も欲すること、他者との近いを明確化し、そこに基づいた意思決定をするしかない。それは7つの習慣 その2『終わりを思い描くことから始める』ということ。それが身をもって理解できたとことは大きな財産だったのだろう。

根は田舎者

中高野球仲間と恒例の忘年会。田園都市線ユーザーが多く、僕も目黒在住が長かったこともあり、いつも二子玉で開催。鎌倉から二子玉は車だと第三京浜があって早いのだけど、電車だとちょっと不便。でも、二子玉は馴染みの場所なので落ち着いて良いのです。


友人の兼松君が、

・高校時代の卒業生で家業・事業があった人間はずっと茨城にいるが、千葉から茨城に通っていた人で社会人になって千葉に住み続けている人ってほとんどいない
・自分も柏に住んでたけど、柏なんて絶対に住みたくない
・千葉に住んでいた人は、神奈川に憧れるもの。根が田舎者で、東京はどこかで性に合わないところがあるから


と言っていたわけです。確かに集まる4人は全員常磐沿線で柏と我孫子だったわけですが、誰も千葉には住んでいません。他の3人は鷺沼、あざみ野で神奈川県民。唯一都民だった僕も鎌倉なので、今や4人共に神奈川県民だったりするのです。


他の知り合いでも都内や神奈川が多い。千葉に住み続けている人って少ないように思います。


神奈川は学校などのインフラが整っていないから、区内の方が子供を育てるには良いと思う・・とも言っていました。港区、千代田区、中央区などは学校も図書館も立派だし、保育園もしっかり整っています。子供が学校に通っているのでしたら、自然豊かではあっても税収があって豊かな自治体の方がいいのかもしれません。目黒もとても便利で都会過ぎずに良かったと思います。


しかし、根が田舎者で東京がどこか性に合わないところがある・・というのは、共感できるところ。


僕も鎌倉は良い感じの田舎で落ち着きます。空は広いし、昆虫や野鳥、野生動物も多い。小学生だったら毎日、釣りやら昆虫採集やら毎日冒険で楽しかったろうな・・と思います。ま、根が小学生ですから今でも楽しんでますけどね。

風邪の福音

明日はクリスマスミサのソロ歌唱という大役を仰せつかりました。一年で最も多くの方々がくる機会。


そんな中で悩ましかったのが、昨年8月にコロナとおぼしき病に罹患して以来、ずっと続いてきた空咳。ひどい喉痛と咳に悩まされた症状が引いてからも、咳が長く抜けない。会話をしているとむやみに咳がでてしまう。歌なんてなおさらです。走ったりする分にはなんら問題はないのですけどね。


病院での診断は咳ぜんそく。治癒にはかなり時間がかかるでしょうということ。実際に粉の吸引剤などを処方してもらいましたが、心持ち良くなったけどすっかり抜けません。空気が乾燥してきて、研修講師などをしていると不要に咳が出そうになるので、周りを不快にさせると思うと、内心も穏やかじゃありません。


先々週、飲み会などが続いたこともあって喉風邪をひいたのです。大事をとって週末のランニングもお休み。だいたい風邪など引いても週末でだいたい良くなるわけで。喉風邪から咳に移行。そして咳が治ったら元々あった空咳もでなくなったのです。


滅多に風邪など引きませんが、今回においてみれば薬でも治癒しなかった空咳をなおせてしまったので、幸運でした。後は、落ち着いて歌うことだけです。でも、空咳はどういうメカニズムで起きていたのでしょうね。

暗夜行路の世界

志賀直哉唯一の長編小説である暗夜行路。近代文学を代表する最高作品との評も高い。だが、実際に読んでいくと長い休止期間を挟み執筆に相当な時間をかけたというだけあり、とにかくテンポが非常に悪く読み進めていくことに難儀する作品でもある。おそらく、湧き出るようなストーリーを書き進めたものではないからだろう。主人公を取り巻く人間模様、心象風景の動きもさることながら、筆者が実際に住んだ土地、訪れた名所を精緻な筆で描いた紀行のような性質が多分にある。


尾道、鎌倉、京都、城崎、大山・・


東京下町も尾道、鎌倉、京都も僕はある程度詳しいので、地名が出てきても大凡の見当が付くわけだが、土地が分からない人においては全く何を言っているのか皆目見当の付かない書き方をしている。(注記がたくさんある)

それにしても、鎌倉、京都、尾道の描写は大正から今でも大きく様相が変わっておらず、文豪の愛する場所というのは情緒があって、時代変化から分け隔てた環境なのだと改めて思わされる。


一方で、彼が足繁く通った三ノ輪から遊郭のあった台東区吉原の東京下町の様相は全く変わってしまっている。彼が文章に描いた土地の今を訪ねてみるだけでもなかなかに興味深い。

この作品は、テンポが悪いながらも主人公のささくれた心がゆっくりと恢復していく様が、目に映る景色と共に綴られている。実際に深いところで傷ついた人の心というものは、劇的に変わるものでもないので、ある意味でリアリスティックな作品といえるのだろう。

暗夜行路は、志賀直哉が我孫子に在住していたときに執筆された。我孫子、京都、鎌倉、尾道・・彼が好んだ場所と自分が縁があり足を向けた場所が同じというのは、なんとも面白い。それにしても、この主人公の放蕩ぶりというか、稼得の業をまるで感じさせない浮き世離れした生活は、全く想像も付かないし、共感すべき点がまるでないのだが。

ガクチカの憂鬱

新卒面接。自己紹介と志望動機で圧倒的に多いのが、塾バイトとサークルでの経験。そこで、子供の成長やリーダーシップの大切さを感じ、ゆえに組織人事コンサルティングなのだと思ったというもの。

 


あまりにも単純で、職業選択の必然性が伝わってこない。リサーチ力、論理構成力、探求心・学習力も希薄であることが分かってしまう。出現頻度は難関大学であろうがなかろうがあまり関係がない。誰かがそう言うと受かるとか言ってるのか…

 


高い学費と時間をかけ一体何を大学で学んできたのだろうか。そんなアピールをするくらいなら、大学に行かなくてもできることばかり。

 


やはり学部学科の専攻において知的好奇心の充足という観点を意識することなく選択したことがあるのだろう。ゆえに面白みも興味も持てず、学外活動に邁進。結果として、アピールできるものが学外活動だけになってしまう。

 


組織人事コンサルティングは、商学・経営学、心理・教育学に根があるビジネスであり、かりにそれらの学部に在籍している学生であるならば、学んだものと必然性を語れないのはあまりにももったいない。

 


それにしても、時代が移りつつも大学という場所に対する意味が未だに変わらないのはなぜなのだろう。少なくともそこ対する解を持たない人は、モチベーションやエンゲージメントといった問題に対する解も出せるはずがない…と思うのですよね。