Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

花粉症は寛解するか?

もともと大して重い症状ではないのですが、ハウスダストと杉花粉のアレルギーがあります。薬を飲まなくても日常は過ごせるレベルで時々点鼻薬や目薬をさせば何とかなります。ですがたまに鼻づまりがひどくなることもあるので、耳鼻科で薬を処方してもらいひどいときだけ飲んでいます。

 


花粉が出始めて飛散がひどい時には、目がなんだかゴロゴロするので何となく分かります。

 


今年はそんなこともないままに2月を迎え、さてや花粉症が完全寛解なのか…そんなことあるのか??

 


そう思っていたら先週の金曜日はあまりにも鼻詰まりがひどく、慌てて耳鼻科にかかり薬を処方してもらったのですが、どうもただの鼻風邪だったようで。治ってしまったら、鼻の症状は治まっています。

 


どうも加齢とともに花粉症の症状は治まる人も中に入るようで。免疫力との関係があるようです。とはいえ、いくら歳をとっても花粉症に悩まされている人は多く。ある意味でラッキーなのかな、本当なのかなあ…

 


家の息子の一人は、鎌倉は花粉が多い、八丁堀の比じゃあない…と大変な様子。うーむ…

西御門サローネでの話

雪になりそうな寒い日でもあり、鎌倉八幡宮の北東に位置する西御門サローネに先客はなく、ストーブを焚いた暖かなダイニングで初老の館長さんは里見惇さんや鎌倉の事について色々教えてくれました。


・鎌倉というのは昔から住んでいる人がいる一方で、華族や富裕層といった高い人たちが住む場所だった。また、戦前は海軍将校が多く住んでいた(僕の借家の前の持ち主もそうだ)。横須賀線で東京まで出ることが出来る便利な場所で、海があり山もあるため保養地には最適な場所ということらしい
・戦後は鎌倉の立派な家はGHQに接収されて士官の邸宅やホテルになっていた。西御門サローネもホテルになっていた(小規模ながら軽井沢万平ホテルのような雰囲気が残っている)
・鎌倉山は不便な場所にあるが戦後は米軍が接収していたので、電気、水道、ガスといったインフラがしっかり通っている

・戦後は太陽族と呼ばれるやんちゃな若者たちが鎌倉を多く訪れたが、石原慎太郎は地元できわめて評判が悪く、横須賀が地元の小泉慎一郎も鎌倉で女性がらみのトラブルを起こしており、地元では彼奴が首相になるなら世も末だと言っていた
・里見惇さんは、薩摩藩にルーツを持つ官僚の息子で、学習院だった。そこで、志賀直哉、武者小路実篤などと出会って白樺派を作った

・白樺派を離れた後は、小津安二郎さんと仲が良く小津さんの映画のイメージは里見惇さんの原作によって作られた作品も多かった
・鎌倉は大船撮影所が近かったことから、映画俳優が食事をよくするレストランも多かった。中井貴一さんのお父さんの佐田啓二の奥様は撮影所近くのおそば屋さんの娘さんだったそう

 

・邸宅は和の設計ながらも、初代帝国ホテルのライト建築を模して取り入れたものが随所にある。アプローチの階段であったり、階段の吹き抜けから見えるステンドグラスなど

・里見惇さんは大阪の南で置屋の娘と結婚し、身分で差別をするような人ではなかったが、邸宅にある使用人の部屋というのはやはり相応に貧相な作りになっている。

・離れになっている数寄屋造りの茶室は京都から大工さんを呼んで作らせたもので、茅葺きの屋根に白樺の天井などかなり凝った作りになっている
・トイレは浄化槽を備えた水洗式のものを当時から採用していた

・この邸宅を離れて里見惇さんは長谷に住むのだが、関東大震災の津波の影響で海抜の低いところは根こそぎ被災した記憶があったからだと思う

 

館長をしている方は、東京オリンピックの時から鎌倉に住んでいるそうですが、この地域の歴史や文学、映画に詳しかったですね。やっぱり、里見惇さんの作品や小津映画とか見ていると話の味わいがもっと分かるのでしょうね。


その西御門サローネの側にある、邸宅を喫茶店にしたカフェ。前を立ち寄ったところ週末しかやっておらず、気になって翌日に寄ってみました。そこは、古いパイオニアのステレオセットがおいてあり、もっぱらビートルズをLPで流しています。入り口には巨人の高橋由伸さんが送った植物があり、店内には野球のバットなども飾られています。


初老の夫婦と息子さんの3人で経営しているのですが、息子さんが交通事故に遭って働けなくなったことから鎌倉でお店を開いたのだそうです。後で調べてみると、息子さんは慶応高校で甲子園に手が届くところまでいき、大学野球では高橋由伸のチームメイト。社会人で明治安田でプレイをしていました。ですが、37歳の時に彼を不幸が襲い、飲酒運転の車に20mも跳ね飛ばされ、意識不明で瀕死の重傷を負ったそうです。一命を取りとめたものの、脳に高次機能障害と左半身不随となり、ご両親と鎌倉でカフェを開いたのだそうです。


マスターは、あまりこの店は宣伝をしたくないらしく、ガイドブックなどや取材などは一切お断りしているそうです。とはいえ、大河ドラマなどでロケ地となると多くの人が来ることになり、なかなか大変なのですよ・・なんて話していました。


リーズナブルですし、ビーフシチューがとても美味しいのです。テラス席も素敵で暖かくなったら来てみたいところ。しかし、ここに住む人にはそれぞれ人生のエピソードがあるのですよね・・


時間の流れがのんびりしていて人との距離感が近いので、仕事に関係のない知り合いが増えます。そんなことがSHONAN TIMEという雑誌に書かれていましたが、確かにそうですね。

 

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「失われたX年」やめませんか?

イタリアは長いこと経済が停滞している状況にあるけど、その状態をもってわざわざ「失われたXX年」などとは言ってない気がします。南北問題なんて今だに解消されておらず、南部の経済状態や犯罪率だって悪いまま。


日本は、なぜバブル崩壊後の期間を失われたX年などといつまでも呼び続けているのでしょう。この失われた30年というのは僕の社会人年数と全く同じ訳ですが、別に不幸な時代だったと思いません。確かに氷河期世代というものが存在し、正社員になる機会を奪われてしまった事は事実です。ですが、イタリアの失業率なんて5人に2人で日本の比じゃない。


要はものの考え方や見方の問題だったりすると思うのです。実際にこの国が持つ歴史や美しさ、素晴らしさを心の目で理解できていないからなのではないかと思うのです。現に多くの観光客が日本を訪れているわけです。その多くは、この国の物価の安さだけではなく、食事の素晴らしさ、四季の景色の美しさ、清潔でモラルが高く親切な人々が多いこの国に関心をして帰っていくわけです。それは、ヨーロッパの人がイタリアを好んで旅するところに少し似ている気がします。


学校、会社、地位、財力など相対的なことばかりを気にし、自分の人生や仕事を愛せない日本と食べることを楽しんだり家族や友人などとすごす時間を大事にするイタリア。この違いは宗教という普遍的な心の拠り所から来るのでしょうか。日本に必要なのは、経済成長や競争力の向上なんかではないと思います。

宅間の会

鎌倉は大小の谷が入り組んだ「谷戸」と呼ばれる地形が多い場所。僕が住んでいる場所は「宅間ヶ谷」と呼ばれています。宅間というのは鎌倉時代にここに住んでいた仏師の名前から来ているらしい。

 

今日は、宅間ヶ谷の有志ボランティアの人たちが集まり、華頂宮邸の整備や周辺の清掃を行う日。ここに移り住む前からこのボランティアには是非とも参加を・・と隣家の方からも言われていたのですが、前回は雨で流れてしまい初めての参加。

 

ここの人たちは博識の人が多く、地域の歴史や動植物の造詣に深い。皆さんお歳を召していらして、僕の年齢でも最若手。昔、小学生の時にたった一人で地元の野鳥の会に参加したときの記憶が蘇ります。

 

興味深かったのは、この谷戸のボランティアのルーツがプロレタリア文学家として活躍した林房雄さんが作った宅間会にあるのだということ。彼は終生この地で作家活動を行い、大東亜肯定論、息子の青春などを執筆したのだとか。そして、彼に師事する川端康成さんがこの地に住み、代表作品の「雪国」はここで執筆されたのだそうです。

 

川端さんは後に長谷に移り住みますが、この宅間ヶ谷での生活を思い起こしながら書いた作品が「山の音」だそうです。確かにここはとても静かな場所で、木々のざわめきの音がよく聞こえてきます。

 

 

そして、リーダーの方は旧華頂宮邸の存続運動をしたときの事を話してくれました。なんでも、バブル期にかなり裕福なお家の方が住んでいたものの、その方が家を手放すことになり、結婚式場か福祉施設になる話が沸き上がったのだとか。一方でこの地域は商業活動を展開することができないエリアで、その指定を解除して商業施設にするという話があったため、弁護士などと協力して改正が出来ないようにしたのだそうです。その後、華頂宮邸は鎌倉市の所有となって今に至るわけですが、庭園のバラの手入れや年に二回解放する際のボランティアは以来はずっと行ってきたのだそうです。

 

 

この谷戸は報国寺と旧華頂宮邸が名所ですが、谷戸に沿って流れる小川の水がとても綺麗なのです。下流は平家蛍、上流では源氏蛍が見られるのだとか。それもボランティアの人たちの活動のお陰なのだとか。こうしたことも地域住人同士の繋がりが強い鎌倉ならでは。東京にいたら地元コミュニティなんてほとんど形成されていませんから。

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Peefect Days

『今日は家で仕事なの?』

 


羽田で独り暮らししている娘から日中に連絡があった。今日は朝から東京で仕事。「映画でも観るのかい?」と訊くとそうだという。先日あったときにPerfectDaysを観たいと言っていたのを覚えていたらしい。

 


時期が大分過ぎたため、夜の上映をしている映画館は都心ではなく、みなとみらいで20:30から。みなとみらいで19時に待ち合わせをし、夕飯を二人で食べてからいくことにした。

 


実習が終わってシフト勤務が始まった彼女。今日はとても忙しい一日で、しかもストレスの溜まった一日だったらしい。明日も勤務なのだが遅番の日。映画を見て気分転換でもしようと思ったのだとか。

 


まだまだ慣れない中で、思うに任せないことも色々とある。こういう時は、美味しいものを食べて映画でも見るのが一番。

 


PerfectDaysは、Pen3月号でも監督の寄稿が掲載されており、東京を違う視点から映し出した映像が観てみたかった。

 


映像には台東区、墨田区を中心として隅田川のシーンが多く登場する。浅草、両国ジャンクション、隅田公園、桜橋…

 


僕が2年間ランニングで走っていた場所が随所に出てくる。役所広司と三浦友和が影踏みをした所は、暑いときはいつも階段に座り込んでクールダウンしていた場所。

 


『お父さん位の男の人の感覚を描いた映画だよね…』

 


確かにそうかもしれません。もし、僕が家族と別れて独りで生きていくとしたならば、台東区あたりの煤けたアパートに住んで、銭湯に通うことを日々の小さな楽しみにして暮らすのも悪くない…とかつてから思ってましたから。

 


観ていて思ったのは、この映画の世界観は缶コーヒーの『BOSS』そのものだな…と。ここに描かれているのは、このろくでもない、素晴らしい世界…なのですよね。

執着心と志望理由

人が生き生きと働ける社会を作りたい、人が成長することにやりがいを感じる・・


組織・人事コンサルティングの世界を志望したいと言ってくる人に多く聞かれる志望理由です。否定はしませんが、この理由で仕事を選ぶなら、世の中には他にも数多の仕事があります。人が成長することにやりがいを感じるのであれば、事業会社で部下を多く抱える管理職を目指しても良いのです。全ての仕事はより良い世の中の実現に向けたサービス、商品を提供しています。


そうなのです、この志望理由は職業選択の必然性を何ら示していないのです。そもそも、コンサルティング業界である必要性すらない。ましてや組織・人事のテーマである理由でもない。


こんなロジックジャンプした理由しか言えない時点で、突き詰めて考える力が足りないことを露呈しています。ですから、組織・人事のテーマに関して最近読んだ書籍や雑誌において、記憶に残っているものがあれば教えてください・・と問いかけると、そういう人たちは答えに窮してしまうのです。


それはよく有ることですから、物事を突き詰めて考えていく執着心を確認するわけですが、当然に曖昧模糊とした志望理由を蕩々と話すことでコトが足りると考えている人においては、正解を答えることには長けていても、自ら問いを立てて考える事は全く出来ないケースが大半です。


探究心や執着心といったものは育成ではなんとかできるものではありません。Big5の「開放性」と呼ばれる性格特性はティーンエイジの頃までに形成され、その後はあまり伸びていきません。ですので、いくら学歴が良くて立派な会社にいたとしても、探究心や執着心に欠ける人は、この仕事においては向いていないので絶対に採用してはいけないのです。これで、過去何度痛い目に遭ったことか分かりません。当人においても、強い動機や欲求のないことについては、義務感や誠実性で補えるものではないからです。


志望動機において僕が望んでいる答えは、自分自身の性格や傾向、そこに基づく職業イメージや貢献の姿です。結局、人は自ら与えられた能力を活かすことで世の中に貢献するのであり、世の中に貢献することを目的として仕事を選択するものではないからです。結局、それが答えられないというのは、自分自身に対する理解が足りないからなのでしょう。

 

僕は人を好きになったときにその理由を自分なりに言語化できないと嫌でした。相手に失礼だとも思ったからです。どうしてこの人でないと駄目なのか、単に見た目が良いと感じたからなのか。見た目から感じたこととは何だろうか・・他の人とは違うところは何だろうか。考え、言葉を探し、ある確証を得ることにエネルギーを割いていた気がします。


エンゲージメントなんていう位ですから。仕事選びは生涯を共にするパートナーを選ぶことと同じ。好きになる相手をこだわらないという人ならそれでいいですが、プロフェッショナルワークを選ぶ人においては、それは欠かせない基本的な資質なのだと思います。

モモが教えてくれること

問いを発することは、積極的な傾聴の顕現であり、それが行われたとき相手にも大きな変化が起こる。特殊な力など何も有していなかったミヒャエル・エンデ「モモ」が有していたのは、積極的な傾聴としての「問い」であり、その問いは相手に忘れていたものを思い返していく。それは、人としての尊厳や自信。そして、人には誰かにおけるモモになれる力を有している・・

 

日経土曜版の若松英輔さんの素晴らしいメッセージ。以下抜粋。

 

聞くという営みが創造的に行われるとき、それは問いという形で顕現する。ある人が何かを語る。それを聞き、問う人の言葉が、語られた言葉の意味を深めるのである。昨今、リーダーと呼ばれる人たちは、自分のおもいを流暢(りゅうちょう)な言葉で語るのに長(た)けているが、深く聞けているかには疑問が残る。

 

ドイツの作家ミヒャエル・エンデの代表作『モモ』(大島かおり訳)には次のような一節がある。主人公のモモは、さほど大きな能力を身に宿してはいなかった。しかし、聞くという点においてはおよそ異能と呼ぶべきちからを有していた。モモに話を聞いてもらうだけで「ひっこみじあんの人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいて」くるのだった。

 

自分の人生は失敗だった。生きていても意味がない。つまらない人間で、自分がいなくなったとしても、誰かがその代わりをつとめる。自分の死はまるで「こわれたつぼ」のように扱われるに違いない。そう感じていた人であってもモモに自分のおもいを打ち明けているうちにまったく異なる実感に包まれていく。

 

「しゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。」

 

モモがよみがえらせたのは自信であり尊厳である。自信を失っている人を前に言葉を尽して語るのもよい。そうした行為が何かを伝えることもあるだろうが、話すことでここまでのことはなかなか起こらない。人はつながりがないところでも話し続けられるのである。


いっぽう、聞くことがある深さで実践されるとき、語る者だけでなく、聞く者をすら驚かすような出来事が起こる。

 

もう少しで春になる。新しく社会に出ていく人たち、新しい職場、新しい環境で働き始める人たちもいるだろう。そうした人たちにも私は、この一冊のファンタジーを贈りたい。それは新しい場所でどうやってモモを探すかを考えてほしいからではない。人は誰も自分のなかにモモを宿していること、そして、人は必ず誰かのモモになることができることを忘れないために、この本を近くに置いておいてほしいと思うのである。