Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

アウトプット中心主義

正解のある世界は、インプット中心のPDCAのパラダイムで御することができる。正解のない世界はアウトプット中心でOODA。仮説を作り「Observe(観察)」「Orient(状況判断、方向付け)」「Decide(意思決定)」「Act(実行)」のサイクル。

 

 

 

正解のないテーマとは戦略立案だったり、キャリア構築。その領域でまず書籍をあまた読んだり、資格をとるという発想が学校のお勉強と同列で扱っていること。それって無駄なのです。

 

 

 

だからいわゆる学校秀才タイプがこぞってこの意味のないアプローチで、不毛な行為に時間と労力を費やしてしまう。そもそも、難関資格の会計士や弁護士だって大きな事務所に入ったらサラリーマンと同じで大して稼げない。これに満たない資格など言うに及ばず。ちょっと調べれば分かります。

 

 

 

体力が落ちたとか、太ったというのもインプット中心アプローチではまず解決ができない。ダイエットは言うに及ばず。サプリメントこれも論外。運動習慣を身につければ太りづらく、体力もつくこと間違いなし。

 

 

 

でも、このアプローチは一見正しいし、『ダメな自分を変えたい」という人の弱みにつけ込んだ商売をする人たちに都合が悪いので、教育や医薬系などがまず言及することはないです。

生活の芸術

運動習慣を持っている友人がその意味を綴ってきたのだけど、いたく感心したので記憶もかねてここに記しておく。


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トレーニングは体の健康と精神的健康に大きなメリットがあり、身体能力を強化し、精神状態を高め、ストレスと不安を緩和することができる。そのため、鍛錬を続けることは健康や幸福の追求と見なすことができ、これはある哲学流派では“生活の芸術”とも呼ばれている。

 


また、トレーニングを続けることは、私たちの生命の質に影響を与える積極的な生活様式を構築するのにも役立つ。したがって、この観点から見ると、運動を続けることも哲学と見なすことができ、それは私たちが健康で、積極的で意味のある生活様式を構築するのを支えることに繋がる。


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なぜ鍛錬をするのか…

様々な意味や理由がある訳なのですが。ここまでしっかりとしていると哲学と言えるわけです。実際に哲学なんだそうです。

 


まあ、僕においては食べるのが好きなので我慢をしたくない。きちんと体型を保てれば服選びが便利。体が軽いと好奇心を満たすことが容易にできるという実に実利的な理由ですが。

海の向こうのソウルメイト

SNSをやっていると見知らぬ方から連絡が来ることがあります。Facebookではよくそうしたことがありましたが、友人の友人に限定した申請制限をしてからそうしたことはなくなりました。数年前だとLinkedin。最近だとInstagramでメッセージがやってきます。

 


僕は本名も顔写真も出していますから、その上で投稿の中から趣味、志向を読み取ってメッセージを呉れるならいいのです。国籍問わず、似ている価値観や志向性を共有し繋がれる友はいるに越したことはない。大していないことは分かっています。とはいって無理にネットワークを広げたいとも思わない。

 


ダイレクトメッセージの多くは、ロマンスに導線をもった詐欺の類です。フォトジェニックで釣りとなる写真をダミーで掲載し、やりとりを持ちかける。うちに投資などを持ちかけてくるというものです。まともなものは数少ない。その人の投稿ややり取りを少しすれば分かります。こちとら、ロマンスを求めている訳じゃないですし。

 


昔から文を交わすのが好きなので、繋がれる相手となら長くラリーができる方です。むかし、パソコン通信だった頃に知り合った方と2年近くやり取りをしてました。その方は住む場所は東北で、仕事もバックグラウンドも全く違いましたが、自身の感受性のアンテナを上げ、心にエネルギーをもたらしてくれる存在でもありました。人生としての交わりはなかったですが、近い人よりも話しやすく、見えていないところを見えている人だったと思います。

 


最近、台湾の方とやり取りをしています。年齢は僕より下ですが、自分の力で実業の世界で足場を作り上げており、経済的な自由を手にしています。時々、南国台北でしか見られない美しい空や街角、自然の写真が送られてきます。

 


実生活での関わりが持ちがたいので、実世界での眩い暮らしやフィジカルな魅力はさりとて。興味をそそるのは霊的な年齢が高く、物事を捉える眼や哲学だったりします。輪廻を遥かに繰り返さないと到達しないような境地にいる人との対話は、興味が尽きないわけです。僕の目標であるMaster of Life(人生の達人)だからです。

 


向こうは翻訳ツールを使って日本語でメッセージしてくれるのですが、本来は全く接点を持ちようのない人と袖が触れ、精神的な対話ができるというのはテクノロジー進歩のメリットの一つだろうなと思うのです。

どこで部屋を借りるか

新人たちと話している際にどこに独り暮らしをするか?というのが話題になりました。僕らのようなコンサルティングファームは、給与水準は低くないですが家賃補助や寮がありませんから、家賃が高いとやはりそれは家計に痛手な訳です。

 


渋谷がオフィスということもあり、井の頭線沿線が人気。でも家賃は駅チカで女子にもいい物件となると安くても8万円くらい。高い!いいとこないですか…と聞かれたわけですが、渋谷から30分以内圏でリーズナブルな物件なんて無いですよね。特に京王、東急、小田急沿線はね。

 


葛飾区高砂の女性がいて、その方は実家なのですが葛飾区とかはリーズナブルですよねと話していました。柴又帝釈天の近くなんだそうです。僕が地方から上京して独りでしたら、墨田区や葛飾区で家賃は5万くらいに抑え、シェアラウンジで仕事をするというのも良いかな。

 


ちなみに丸ビルに入っている蔦谷のシェアラウンジは、月額5.5万で軽食やちょっと良い目のドリンクやスナックが食べ放題。こういうところでワークアワーは過ごし、家は基本寝るだけというのでもいい。

 


まあ、電車賃を出してくれるのでしたら逗子で家を借り、オフィスの時は始発で通い、リモートの時は浜辺で仕事をするというのを選びます。その方が豊かですもの。

京浜工業地帯のプラント群

先日、木更津に行こうと八重洲から高速バスで目的地に向かったのです。都心に移り住んで、愛車が廃車になって以来、車を持たない生活。時にはシェアライドも使いますが、交通も至便で大きな不満も無かったりします。


木更津行き高速バスは、ミッドタウン八重洲の地下ターミナルからの出発。ヤンマービルの地下に入っている美味しい『のり弁』を購入し、いざ乗車。(ちょっと高いせいかもしれないけど、ここののり弁は美味しいですよ。空いているのが不思議)京橋インターから首都高速へ。本来、木更津へは高速湾岸線経由でアクアラインなのですが、渋滞を避けるために横羽線経由で大師で一度降り、殿町インターからアクアラインに入るルートをバスは選びます。


自家用車では全く気がつかなかったことですが、大型バスの車窓から見る景色は新鮮なのです。横羽線では大井競馬場のトラック全貌が見えます。圧巻だったのは殿町から浮島までのルートで見る工業地帯のプラント群。そもそも浮島という場所は用もないので普段は降りることもありませんから、道沿いに拡がるプラントの景色を見る機会などありません。


プラント群をみていると、小学生の社会科教科書に出ていた『京浜工業地帯』はやっぱこの景色だな・・と思うわけなのですが、そもそも工業地帯というのは関係者以外は立ち入ることが出来ないわけですから、実物をきっちり見られる機会は意外とないものなのですよね。。

 

プラントは立派なわけですが、やはり経年劣化の腐食が目立ちます。今や工業地帯の規模第一位の座を明け渡した京浜ゆえ、40年以上も経つと隆盛の時代を過ぎてしまったのだな・・と何か一抹の寂しさも感じるのでした。

 

谷戸を巡る人々

浄明寺の土地を手に入れたものの、工務店とのトラブルが起こり工務店を変更したのが昨年の暮れ。新たな工務店でようやく着工かと思いきや、地盤調査で強度の問題が発覚。地盤の弱さを考慮して基礎杭を打つには埋蔵文化財調査が必要とのことで試掘調査をするも、案の定歴史的埋蔵物が出土してしまい、家の建設は暗礁に乗り上げることになってしまった。(宅間上杉家の邸宅跡地らしい…やれやれ)

 


基礎杭を打たなくてもいい平家にするか、鎌倉市の公費調査を3年待つか。待たずに私費で調査を行うには1000万円も要してしまう。このまま、じりじりと都内に仮住まいをつづけるのか…

 


そんな折だった。同じ谷戸に古屋をリノベーションした賃貸が出るとの情報を妻が地元不動産で聞きつけてきた。そこは、谷戸を大分上がったところにあり、古い擁壁には岩煙草が生い茂る築60年の平屋の邸宅。

 


元オーナーは帝国海軍で伊号潜水艦の艦長。かの有名な人間魚雷回天を搭載した伊号潜水艦であったが、不要な戦いを避けた艦長の人徳により多くの人が救われたのだという。その方は戦後は自衛隊に入り、横須賀勤務で潜水艦乗りを続けた。そして艦長の人柄を慕って多くの人が家を訪れたのだという。そのオーナーが亡くなった後、家の権利を買ったのがAさん。Aさんは元オーナーとの知り合いであり、かつてこの谷戸の住人。本当は自分が住みたいと思ったのだがそれは難しく。一方でこの土地のロケーションと擁壁の岩煙草の植生を護りたいがゆえに、古屋をリノベーションし、自身の考えに共感してくれる借り主を募りたいのだという。

 


鎌倉の歴史、谷戸の歴史について様々な情報を取り寄せ愛着を深めていた妻から見ると、願ってもない話。家を見学し、応募をすることにしたのだった。

 


家賃もさほど高くない絶好の条件であったことから、10組もの応募。想いを綴った手紙をAさんに書いたのが通じたのか、僕の家ともう一組と面接をして決めたいのだという。そして仲介業者がいる下北沢でオーナーと借家の隣人とAさんお抱えのデザイナーを交えた面談。

 


76歳のAさんは長い歴史を持つ都内工務店の社長を務めた方。今は引退して大磯に住んでいるのだという。その家は、かつて村上春樹さんが住んでいたそうで、建築家中村好文さんが新潟から古民家の材料を持ってきて建てた家なのだという。数寄屋造りで有形文化財になるような素敵な家。

 


Aさんは大学時代は写真活動に明け暮れ、卒業後は卒業写真を制作する会社を仲間と興したのだという。その仲間達はみな有名な写真家となり、保有している当時のおびただしい作品はどれもがかなり価値のあるものになっているのだとか。

 


その後、東洋医学に関心が深かったため漢方の世界に飛び込み、問屋や営業の仕事で経験を積むも父親が倒れたことで家業の工務店を継ぎ、事業を大きくしたのだという。

 


その工務店の株は3年前にゼネコンに売却し、今や大磯の自宅と八ケ岳の別荘で悠々自適の生活。とはいえ大磯で有機栽培の栃錦の稲作を行い、地元酒造メーカーに米を納めている。亡くなったCWニコルさんとも繋がりがあり、八ヶ岳でパタゴニアと連携した活動、大磯では地元農家、加工業者を連携させマーケットを企画している。工務店が本社を置く東京阿佐ヶ谷では、ジャズフェスティバルをスポンサーし、山下洋輔さんとも懇意なのだとか。

 


実業家の一方で芸術、芸能に深い造詣がある。福々しく穏やかな人で身体から暖かなオーラが迸り出ている。とにかく生き方がユニークで、美意識がとても高いのだ。

 


Aさんは話をして、僕たちのことをすっかり気に入ってくれたみたいだった。隣家の方もデザイナーの方も同意見だったらしい。自分の想いを託せる人はこの人たちしかいない。自分が将来亡き後もここを守ってくれるなら、権利を譲ってもいいのだ…と。いきなり面談の場で話をしてきた。(無論ただではないけど)

 


さて、元々家を建てる予定だったところをどうするのかという問題はありつつ、Aさんという人物とリノベーションした岩煙草が生い茂る古屋の魅力は捨てがたく、話は全く予期しない方向に。

 

人が誰とで会うかは、偶然ではなく必然。きっとこれも何かのお導き。そう思わせる出来事だったのでした。

27のリフレクション

新卒研修終了の打ち上げ会。27人の新人たちと一堂に会する場がありました。新人たちとの最初の接点は、各ユニットがサービス紹介をするプレゼン。ユニットのビジョンに加え、できの悪かった30年前の新人時代、今の仕事に出逢うまでの経緯を自己紹介として話しました。

 


僕が受け持った研修パートでは、人を変えていくことがいかに難しいのか…ということを身近なエピソードを踏まえアレンジしたチェンジマネジメントの講義。みんな僕の子供たちと同じ世代です。なんか、不思議な感覚です。

 


宴会の場では様々な新人に声をかけてもらいました。分かりやすくて、一番腹に落ちる話だった…何人かの同期ではそう話していたのですよ…と。

 


チェンジマネジメントの講義に、三島由紀夫やマザーテレサの話をする人など珍しいので印象に残ったのかもしれません。

 


20代は何を考えて過ごしたのか、人生に影響を与えた小説は何か、仕事で成功するとはなにか…など。新人の方々の生い立ちや親の働き方、住んでいるところを選んだ理由などを聞きつつ、相手に深い関心を持ってくれた証左となる質問に答えながら、素敵な方々が入ってきたものだとつくづくと感心してしましました。

 


人が人とで会うのはある意味での必然性に基づくものであると思ったのと同時に、自分の発した言葉や呼びかけが、透明な水のような新人の心の中には、想像以上の乱反射をしたこと、その重さを思い知る機会にもなったのでした。