Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

Dear Breeze

年の瀬の上野、丸の内、銀座。ついこの前まで身を置いていた街を3週間ぶりに歩いた。クリスマスが近づくこの季節は、夜になるとどこもイルミネーションに飾られ眩いばかり。

 


日が落ちると、真っ暗になってしまう里山生活をしていると余計に感じるが、東京は明るい街だ。夜になっても開いているお店は多いし、道も明るい。真夜中のランニングも何の不便もなくできる。(鎌倉は8時には大半の店が閉まる)

 


夜に走るのは足もとがよく見えないから、やる気が全く起きない。そこで日が昇った朝に走ることに方針を変えた。夜は早く寝るようになり、苦手な早起きが習慣となりつつある。自然の中で生活をするなら、朝は鳥とともに起きる。夜型生活はダメなのだ。

 


東京駅からほどない場所から離れ、仕事の観点では不便を強いられることは覚悟していた。湘南新宿or上野東京ラインに乗れば、大崎、新橋は約50分。ロードバイクに乗って山から一気に降りていけば駅までは10分。享受する自然と引き換えにするには便利な場所といえる。(その代わりに帰りはギアを一番ローに落とさないと上がれないキツい上り坂があるが)

 


東京で打ち合わせがあるときには朝一で乗り込んでしまわないと効率が悪い。中央区時代のちょっとその時だけオフィスに行くという技は使えない。携帯はソフトバンクの電波が全然入らないので、ドコモに久しぶりに戻した。10ギガの光ファイバーを引いたので、家のネットは会社より早くて効率的になった。

 


目映い彩り鮮やかなイルミネーションはないけれど、鳥が囀る清廉な空気に包まれた森と陽光に照らされた海の景色は、生きるための大きな力を呼び起こしてくれる。

 

 

 

『何時の日にか、この海まで帰る気がしてた』

『一度は都会に住んでも』

-杉山清貴&OMEGA TRIBE  "Dear Breeze"

 


ハイブリッドが許される働き方ができるようになった中では、文筆家や芸能人だけが享受できていた自然の中での暮らしと都会の会社という両立が現実になっている。

 


秋元康がDear Breezeで描いた、少年時代に戻る自然の中の暮らしは、成功した一部の人にしか手にできないものではない…ということなのだ。

f:id:ishibahomare:20231126225133j:image
f:id:ishibahomare:20231126225141j:image
f:id:ishibahomare:20231126225144j:image

f:id:ishibahomare:20231126225829j:image
f:id:ishibahomare:20231126225156j:image

センスの因数分解

クラスメートの田中敏恵さんのお招きで、AERA Style magazineが主催する講演会を拝聴しました。(11/24(金)にASMイベントを開催!人気連載「センスの因数分解」を因数分解します。:アエラスタイルマガジン)

 


彼女は『センスの因数分解』という連載を長らく持っているわけですが、そこで掲載された6つのテーマ(シックスセンスになぞらえて)について語るというもの。

 


①ホテルダイニングの新潮流

②NYのラグジュアリーホテルの新潮流

③シャンパンを支えるコルクの話

④坂本龍一さんが遺そうとしたもの

⑤ネイチャーアクアリウムを提唱した天野尚さん

⑥江口寿史さんの創作舞台裏

 


センスの因数分解とは、彼女が考える「素敵なもの」「よきもの」とともに、その理由を解説していくわけです。(今風にいえば『推し』なのかしら)

 


採り上げるものはジャンルが限定されないのも面白いところなのですが、『推し』の視点や意味づけの理由がなかなか興味深い訳なのです。これは上質のモノや考え方に長年接し、歴史や文化への造詣を深めてきたからこその審美眼であり、見立てであるといえます。

 

 

 

僕がなるほどなあと思ったのは、NYにおいては最近、黒づくめの身形をした富裕層が集うのが一流ホテルかと思いきや、カジュアルな格好をした若きニュービジネスのエグゼクティブが集まるホテルがあり、そこでは従来とは全く異なるコンセプトでサービスが提供されているというもの。

 


そこでは最高級のものをふんだんに提供するというのではなく、あるところではリサイクルやエコに徹底的に配慮したコンセプトでサービスを提供していたりする。そして何よりもナチュラルでカジュアルであるということ。

 


上質さ、心地よさ、豊かさの定義を分解し、再構築したところに新しい価値が生まれ、そこに共鳴する人により新たなモードが生まれるということなんだろうと思います。

 


国が悪い、マスコミが悪い…と大きな主語でものを語る中では、物事は決して改善しない。小さく分けて徹底的に突き詰めることで全体が見えることもあるし、解決できることも多い。それがセンスの因数分解に込めた思いなのだと。

 


ビジネスにおける問題解決を生業としている僕も因数分解、可視化、言語化、再定義は常々意識していることであり、専門領域は全然違いますが、一隅を照らすという問題解決を行う立場において符合するところも多いものだなと感じました。

2ファクター認証の落とし穴

昨年3月から使っているiPhone13mini。バッテリーパフォーマンスが80%となり、もう少しで無償交換だと今か今かと待っていたわけです。そんな矢先、写真を撮ろうとするとどうもぼやけている。レンズを見ると結露の曇りで真っ白。内部に湿気が入ってしまったようです。

 


常時ではないもののカメラが使えないのは問題なのでAppleStoreに見てもらうことにしました。

 


この前までは新川でしたから、銀座だろうが丸の内だろうがAppleStoreなんて自転車で10分で行けたわけですが、鎌倉の谷戸の奥ともなるとそうもいきません。藤沢のT-siteも結構遠いし、横浜もそれなりに遠い。結局は、仕事でオフィスに行くついでで丸ノ内のAppleStoreで診てもらうことに。

 


案の定、湿気が内部に入ったとのことで1.7万で新品との交換対応。AppleCare+に入っていてもそれなりの出費。まあ、致し方ない…

 


問題の序章はここからでした。

 


古いiPhoneはリセット消去して返却する訳ですが、データ移行において端末同士で移行をするか、それともバックアップ先のiCloud経由で後々自分でやるか。対応してくれた女性の方は親切で、esimが入っているのだとすると端末同士でやった方が良いかもしれませんが、かなり時間がかかるしその間はお店で作業しないといけないです。ご自身で作業できるのであれば、esimを自身でダウンロードしてその後にiCloudからバックアップすればいいですよ…

 


ここで1時間近く足止めを食うなら、自分でやればよい。そう考えて元の端末は完全に消去して返却。そうして新しい端末でiCloudからバックアップを戻そうとすると、AppleIDのログインの2ファクター認証で携帯に送られるショートメッセージのパスワードが受け取れないという事実に直面。回避法は聞いてもなし。

 


そうなるとesimを復活させなくてはならないのですが、ドコモサイトのログインでも2ファクター認証で携帯にパスワードが送られる仕組みなので、これも頓挫…端末同士でデータ移行すればよかったと悔いるも時すでに遅し。

 


僕はプライベートのキャリアはahamoのesimで、会社携帯はソフトバンクの物理simのデュアルsimで使っているのですが2ファクター認証に使っているプライベート携帯の回線が不通状態なのでなにも前に進められないのです。それでも物理simのソフトバンクではデータ通信と通話はできるので、ネットで調べてドコモに問い合わせると、ドコモショップに行って物理simを発行するか郵送かのどちらかとのこと。近くにあるドコモショップに何とか予約を入れて物理simをゲット。2ファクター認証をクリアし、どうにかiCloudからバックアップを戻せたのでした。

 


Suicaが使えないので移動するにいちいち切符だし、ネット会議も携帯で全く行えないし、半日は散々な目に遭いました。

 


それにしても最近はどこのサイトでも携帯ショートメールによる2ファクター認証を導入しているのですが、何らかの要因で携帯番号にかからない状態が起こると先に進まないという恐ろしさがあることを身をもって実感。esimは便利ですが、端末交換などでは要注意ですね。

プロのメンテナンス

18年ほど使ってきたLUMINOXに時刻の遅れが出るようになった。消磁をかけても問題は解消されず、そろそろ寿命なのかはたまた電池の問題なのか・・近くの日本橋丸善の時計コーナーに持っていくことにした。


日本橋丸善の時計コーナーは小さな一角にあるが、時計に詳しい専門員を置いている。八重洲駅前にある全く冴えないヤマダ電機が時計修理コーナーを止めてしまったのとは対照的。


・クオーツの場合は電池寿命の場合は、ピタッと止まることが多く、時間のズレが発生するのはムーブメントの油ぎれだったりする
・スイス製の時計の場合は、電池交換に2000円かかるが、電池の問題ではなかった場合に出費は無駄になる
・丸善で提供する6000円のリフレッシュサービスだと、防水テスト、クリーニング、点検、電池交換ができる
・問題が解消されなかったらお代は頂きません


遅れがでる時計は実用にたえない。6000円の投資をする価値がある時計なのかというと、スイス製とはいえLUMINOXのムーブメントに使われているRONDA515はせいぜい2000円から3000円程度の安いムーブメント。名門LONGINESなどに搭載されているものとは比較にならないチープな代物。そもそも、こんな安いムーブメントを使って4万近くをとるなんて阿漕な商売をする・・それがブランドと言えばそれまでだが。米軍に使われていることを売りにするLUMINOXだが、そもそも軍用時計というのは消耗品で安い代物だったりもするのだ。それに引き替え、SEIKOやシチズン、MIYOTAのムーブメントは絶対的に高品質。


一方で、30代の半ばから使用してきて、プライベートの旅行ではいつも付けてきた時計。夜間自動発光、軽くて防水なのでTシャツみたいに使い勝手がいい。最近では、ベゼルとバンドも新しく交換したので古ぼけた感じもしない。ここ最近は防水テストなどもしっかりやってもらってなかったし、6000円で見てもらうのも悪くはなかろう。故障ならお代は無しなのだから。


時計は無事にメンテナンスを終えて帰ってきました。時刻遅れなどの問題も出ていません。量販店で電池交換してもらうのとさほど値段も変らず、きちんとしたプロのいるところに大事な時計は扱ってもらった方がいいですね。

庭で見る食物連鎖

今朝は早朝からミーティングがあり、息子のいる福岡から後ろ髪引かれる思いで21時発のフライトで鎌倉戻り。羽田からのアクセスは案外良いので、午前零時には自宅に到着。

 


朝起きて風雨の強くなってきた庭を眺めると、ペッタンコになったネズミの死骸を発見。これは近所の猫の仕業なのか…にしてもここに披露して置いていく必要もないでしょうに…

 


僕は"ドラえもん"のようにネズミは怖くないのですが、妻が見たら卒倒するだろうなあ…でもって即座に片付けろなんて言われるだろうな。そうなると面倒くさいなあ…

 


幸いにも娘と妻は今日の夜の戻りなので、やれやれと思いつつ、どうしたもんかなあと庭を眺めつつテレビ会議をやっていたのです。

 


すると、大きな鳶が空から舞い降りてきて、両足でガッシリとネズミを掴んで空に飛び去って行ってしまいました。鳶は、上空をピーヒョローと鳴き声を上げながら滑空しているのですが、目が恐ろしく良いのですね。こりゃ助かったわ。

 


この話をしたら、子供たちはリアル食物連鎖だと結構喜んでました。小さい頃から昆虫採集など自然には殊の外触れていたので、抵抗感がなく目黒の時は彼らと一緒に生きることが普通でしたから。不便さはあるけど、家から駅までの道も季節の移り変わりが見られて楽しいものです。

 


こんな光景は自然豊かな田舎に来たから観られるわけですしね。

蛹の季節

50歳の節目を機に開催されるはずだった中高同窓会は2019年の台風襲来、2020-2022のコロナで4年遅れ。50代の4年という時間経過は大きなもので。4年前だったらもう少し髪の毛が多かったし、老眼も入っていなかったよね…なんて声も。まあ、こればかりは抗いようがありませんね。

 


筑波にいって母校を見たかったのですが、所要で断念。大学はよく訪れているけど、中高は全く訪れる機会がなく。そもそも高校時代は鬱屈とした想いしかないので、一時期は記憶の彼方に追いやろうとしていたこともあり。今やそんな記憶は昇華し改めて原点を見ておきたいなと思ったのです。

 


考えてみれば、中学時代は明るく楽しかったけれども、高校を彷彿させる卒業アルバムはまともに見返したこともないし、ポートレートをまじまじと見返したこともなく。ましてやあの頃は…なんて昔話に花を咲かせることにも全く興味をそそられなく。モノトーンな高校時代にケリをつけたかった自分がかつてそこにはいたからなんでしょう。

 


古文・漢文を教えていた名波先生は挨拶で、

 


『五十は孔子曰く天命を知る齢であり、今手にしている仕事は天命ゆえに大切にしてくださいね…』という言葉をまさにその通りや…と受け止めることができた自分はとても幸運だし、それはあの学校にいたお陰だったからなのだと素直に思えるのです。

 


何も未来が確定できないまま卒業した高校。医師などのプロフェッショナルの道を定めたクラスメートは、遥か彼方の存在。

 


『自分にとっての道とは何か』という自問自答が大学の専門、そして経営コンサルティングというプロフェッショナルワークの選択に繋がったことは間違いないから。今にしてみれば、高校時代はさしずめイモムシか蛹みたいな状態だったのでしょう。

 


今回はお会いして話をしたかった人に逢えずにちょっぴり残念。とはいえ、こういう場での対話は難しいから個別で会うのが良いのでしょうね。

Pay it forwardをする番

スケジュール帳が一杯に埋まっていないと不安で仕方がないという人と異なり、僕はスケジュールが埋まっていない方が好きだったりします。その方が道草を食うことができるからです。

 


ここ最近は事情が大分変わってしまい、平日はほぼ余白がなくなり、それどころか二重三重で予定を入れられるようになりました。お昼ご飯の時間すらも持てなかったりします。もちろん、夕陽をみに眺めのよい場所に行く時間もありません。土日に根を詰めて仕事をしないで良いのだけは救いですが…

 

 

 

もともと家族のためなどという目的はあまり視界には入れていませんが。子供が全員社会人ともなると、高い学費を捻出するために、家族のため多少の無理なことがあっても働くという目的はもはや完全に消失するわけです。多少広い家に住むためにお金が要りようとしても、起きて半畳寝て一畳で、いざとなればそんなもの売り飛ばしてしまえばいいのですから。

 


2歳しか年齢の離れていない双子の息子と娘の3人を私学に通わせたことは、自分自身も親にさせてもらったから、当然にそうするものと考えていました。いざやってみると、小学校、中学から歳の離れていない3人の子供を私学に入れる経済的な負担は大きなもので。夫婦共々よくまあ無事に切り抜けられたものと思います。

 


今の忙しさとゆとりが当時にあれば、どれだけよかったのにと思いますが、こればかりは人生の前借りというわけにはいきません。

 


子供の育成がようやく終わって待っていたのは、自分の子供とさほど年端の変わらないメンバーを育成しながら組織を大きくしていくこと。これまた、なかなか難儀です。

 


自分が仕事をとって組織を回していかなければ、最悪メンバーは路頭に迷うことになります。さらには上場を目指して組織を大きくしていかなくてはいけない。自分ひとり何とかするのでしたら、全く困らないのですが…

 


今さら組織を大きくして、そこに対価があったとしても、上手くいかなかったとしてもどちらにしてもそこにさしたる意味はなく。これまで得てきた経験や知識を後進や世の中に還元する、そして自身が成長をし続けるための機会というのが意義。

 


50代という世代が背負う世代継承性=Pay it forwardの使命ということになるのでしょうか。かみさんからはようやく大人っぽい顔つきになったと言われるのは、それがあるのかもしれませんね。