Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

環境と佇まい

画面の向こうに映っていた面談相手は、偉い貫禄がある人だった。向こうのこちらに対する態度や言葉遣いも不貞不貞しくぞんざいだったりする。

 

 

 

いつからこのような重鎮を面接で通すよう設定をしたものか…年齢基準が今までは若すぎたこともあり、僕の責任で先日から40代半ばまで緩和はした覚えはある。今いる会社は、平均年齢が32歳なので全体がとっても若い、だからといって年齢で仕事をするものじゃないしね。

 

 

 

考えてみれば、そういう中で僕は相対的にはかなり上の年齢なのですが、年上という意識で周りに接したことも逆に配慮されたこともない。年齢で仕事の実力など判断するものではないのだ。とはいえ…

 

 

 

面談が終わってから、彼は何歳だったのだろうか…と。年齢を見たら僕より9歳も歳下だった。それはそれでいいのですが、この仕事はハイプレッシャーな環境下ですることもあり、スマートな人が多いのも事実。でも、違和感はそれだけじゃない…

 

 

 

彼が時間の多くを過ごしたのは、事業会社の人事。専門性は同じだけど、空気のように当たり前に仕事が与えられる環境。取り巻く環境が違うと醸し出す雰囲気や態度が全然雰囲気が異なるものになる。人は見かけじゃないけど、客商売の僕らの職業は『らしさ』って大事だったりする。そう、不貞不貞しくぞんざいな態度は客商売のサービス業には似つかわしくないのよね。

大人になること

新制度導入に伴う新給与計算オペレーション。一人一人通知する給与通知は、ミスがあってはいけない。特に新しい等級と給与の変動が生じた社員にはデリケートな措置が発生します。

 


クライアントのこれまでの計算は若干トリッキーで、エクセルと給与システムの両方に計算式が登録されているもの。しかも、計算ロジックの仕様書がない。プログラムソースだけがあって、要件定義書がないというパターン。

 


こういうケースは、迂闊に式をいじるとトラップにはまる。ロジックをしっかり可視化して双方で握った上で数式を埋め込まないといけない。プログラムで言えば、REM文にしっかりロジックと変数を記載しておくべき。

 

 

 

駆け出しの新人とマネジメント経験の未熟なリーダーは見事にトラップにはまりミスを頻発。リーダーが仕様を握らずにスタッフに指示をしたため、計算結果がところどころ違う。一度とはならず数度のミスにクライアントも怒り心頭…

 

 

 

ジェンダー学を大学で専攻したスタッフの彼女は、もともとエクセルやロジックに強くない。文章やメディアを創ることが得意。苦手なことで生じたミスもあり、自信を喪失してうなだれていた。自分はこの仕事に向いていないのだろうか…

 

 

 

あまりにオフィスで意気消沈しているので、1時間くらいオフィスで話を交わし、飲みに行くことにした。

 

 

 

23歳の新人が、組織・人事の領域で仕事の面白さとかやり甲斐とか、そんなことを簡単に味わえるものじゃない。この仕事は、広さと深さが要求されるもので、組織のことも人間のことも、はたまたエクセルのテクニックすらも満足に知らない人が人に影響を与える仕事なんてできるはずもない。とはいえ…

 

 

 

僕だって若いときは出来損ないだったし失敗も何回もしたし。馬鹿にされたり、使えないやつだと思われたことだって何度もある。いろいろ寄り道もしたし。

 

 

 

総合力がついて本当の意味で相手の力になれるという感触が持てるようになったのは40代半ばを過ぎてから。そもそも、30代半ばでキャリアチェンジしてますしね。スロースターターですからね。

 

 

 

彼女の学生時代の話や将来のキャリアを聞きながら、そんな話をしたのですが、冷や汗、恥をかいて成長していくことの意味は、最高学府を卒業し、成功体験を積んできた20代では解ろうはずもないのでしょう。それが分かる年頃になってから、組織・人事の領域は始めても遅くはないくらい。

 


彼女を見ていて、いわさきちひろさんの『おとなになること』の文章が頭を過りました。

 

 

 

彼女は組織や人に感心があって頭もいいと思うのですが、まだまだ自分が中心なのです。いわさきさんは、大人というものはどんなに苦労が多くても自分の方から人を愛していける人である…と言っています。

 


そのためには、冷や汗をかき、苦労をして、地味な努力を重ねていくこと、相手の立場に立って物事を考えることの大事さを肌で知ること。それにしては若すぎますね…

昔の名前で出ています

今の仕事のよい点。それは、会社を変えても経験・ナレッジを活かした仕事ができること。クライアントによい印象を持ってもらえれば、長く関わりを続けていくこともできる。スキルポータビリティが高いということでしょう。

 

 

会社の看板が変わっても新しい依頼や繋がりを持ってくれるお客さんの存在は本当にありがたいこと。

 

 

先日とある会社の方が、代表にメールを送ってきてくれたのです。その方には会社を変わることを敢えてお伝えしていなかったのですが、病気にでもなってしまったのか…ととても心配していたそう。

 

 

無事に施策が進んでいること。他にも様々な課題があるので相談をしたい。とにかく、元気で活躍されているので何より…後日にお会いしたら、とても喜んでくれて泣き出さんばかりの表情だったので、恐縮することしきり…

 

 

コンサルタントとは、昔の言い方なら男芸者。店を変わっても贔屓の客がついてきて、座敷に上げてくれる。それは報酬の多寡を問わず冥利に尽きるというもの。その期待を裏切らないためには、感謝と精進あるのみですね。

 

 

ちなみに、タイトルは昭和歌謡を代表する小林旭さんの有名な歌。各所の酒場を名前を変え転々としたホステスが、かつて会った好きな男に見つけてもらいたいばかりに、昔の源氏名でお店に出ています…という歌です。僕の世代より上の歌ですが、いい歌です。僕は昭和の銀幕スターは、石原裕次郎さんも好きだけど、小林旭さんが好きなんですよね。

優雅に生きることが復讐

Living well is the best revenge.


優雅に生きることこそが一番の復讐である


復讐は与えられた屈辱に対する仕打ち。屈辱にもいろいろあると思います。


仲間から袖にされた、異性に振られた、不当な評価や扱いを受けた、自分を見下された、大切なものを傷つけられた…


復讐に生きることは、心が束縛されている状態であり、屈辱にまみれたまま。その時点で良い人生とはとても言い難い。屈辱を与えた相手に羨望や嫉妬、後悔の念を与えるくらい優雅により素晴らしい生活を営む。相手の存在すら歯牙にかけない。

 

 

道を歩いていれば、石に躓くこともある。その石ころにいちいち感情を込めて立ち止まっていても仕方がない。前を向いて歩く。

 


果たして今の恵まれた生活が送れる理由は、一見不幸とも思われたすべての出来事のお陰なのですから。

言葉の波紋

昨晩、大学時代に1年だけ属したソフトボール部の友人二人と会う機会があった。K君は上場会社の社長、O君は社会人1年目に友人の3回忌で会って以来。迫力ある風貌も雰囲気も当時と変わっておらず、静岡で社労士を独立でやっているのだという。


なんでも、新卒入社の金融商品取引会社から税理士事務所に転職し、税理士を目指したのだという。だが途中で断念し社労士を目指すことにした。税理士を目指したきっかけは僕にあるという。それは社会人1年目の時に僕が簿記二級を取ったと話したことにある・・うむむ、自分が簿記二級を持っていることも忘却していた・・


新卒で入ったPwCは会計事務所系コンサルティングファームで会計システム刷新が多かった。そんなことから、簿記2級を取ることは新卒全員の必須課題だった。とはいえ、工業簿記をとったことが役に立った機会は、最初にアサインされた生産管理システム刷新プロジェクトくらい。その後において簿記の知識やスキルなんて僕はなにも活かしていない。独立したときに、BS,PLは作ったけどそれは会計システムが勝手に仕分けも帳票作成もやってくれたしね。


O君と出会った大学1年は体育会ソフトボール部に在籍していた。当初は野球をやろうと考えていたのだが、最初に熱心な勧誘をされたこと、同期が多かったこと、浪人時代で視力1.5が0.4にすっかり悪くなってしまったことなどから、ボールが大きくてルールのさほど変わらないと思われたソフトボールに入ったのだった。


部は東都大学2部リーグから1部に昇格したばかり。未経験者が混じりながらもひたすら練習に打ち込む毎日。授業に出る以外は、部活と隙間時間のアルバイトでほぼ時は流れ去っていった。一方で同期の仲はよかったから、独り暮らしの仲間の家によく泊まりに行き夜な夜なテレビゲームに興じたもの。


だが、せっかく入った大学において次第に部活中心の単調な毎日が続くことに疑問が生じ始めていた。そもそも、入部者が非常に多かったからレギュラーになるには、部員も多く相当時間がかかる。代打でたまに出る機会のために、貴重な時間を費やすことは、まるでメリットのあることとは思えなかった。


同じように考えた連中は複数いた。


10名強いた同期において、5名ほどのメンバーが時期をさほど変えずし、退部届を提出した。何名かはその後は何の部活にも入らず。僕は準硬式野球茶道部という二足のわらじを履く生活となった。この決断は賢明なものであり、野球の試合に出られるようになったし、全く無縁だった世界を覗いてみることで始めた茶道は、仲間においても僕の性に合ったものだった。我慢なんてほどほどにするのがいいのである。


その後、辞めた同期とは時々会っていたのだが、世界が大きく変わっていったこともあり、交流する機会は減っていた。今回の再会のきっかけは、会社経営をするOBの一員として大学会報誌に登場したK君のことを知り、O君が連絡をしたことにあるらしい。僕においてはK君の会社の人事制度のコンサルティングをしたこともあり、その後は少なからずの繋がりがあった。


家に戻り、O君が連絡を取るきっかけとなった、会報誌に目を通してみた。そこには、K君が会社経営をするきっかけは、大学時代に学んだ経営学原論にあることが書かれていた。僕が経営コンサルティングを目指すきっかけとなったのも、経営学原論で学んだ事業戦略の面白さ。こうした繋がりも何かしらの共通点ゆえ。

 

それにしても、何気なく人に話したことが、他人の生き方に少なからず影響を与えているものなのですね・・

 

相互理解の架け橋

推敲は最大の趣味であり、それを行うために小説を書いているようなもの。文章を推敲するのは、読者に対する親切心であり、それを失ったら小説を書く意味なんてないのではないか…

 


「さらりと読みやすい文章は、いきなり書けるものなのか、それとも素朴な元となる文章があってそれを精錬させていくのですか?」という読者からの質問に対する村上春樹さんの回答です。

 

 

 

感じたこと、思ったことを徒然綴っているブログではありますが、できれば読みやすい、伝わる文章を書こうと少しは心掛けています。勢いだけで熟れていない文章を他人に読ませるのは、申し訳ないと思うからです。

 


官僚のような文語体、句読点や改行が入っていない、一センテンスが異常に長い礫のような文章…

 


僕は基本的に頭が良くないせいだと思うのですが、ことこういう文章が全然頭に入ってこないのです。むしろ、すごくストレスを覚える。

 

 

こうした文章の書き手は、相手に対する親切心というものがないのだと思います。書いた以上は伝わるはず、もっといえば考えや思いを掲示することで悦にいっているところすらある。でも時に当の本人は自分のことを他人は分かってくれないと嘆いていたりもします。

 

 

 

SNSや電子メール…どんなメディアであれ、推敲をしない文を送ってくる人は、相手の立場に立った優しさが足りない。コミュニケーションは受け手が成立させるもの。文章は相互理解の架け橋となるものですから。

期末試験の夢

30代の頃までよく見た夢。それは、大学期末試験のシーン。留年するかどうかの瀬戸際であるのに、試験を受けに行く教室がわからず掲示板の前で途方にくれるというもの。

 


実際に留年の瀬戸際に立ったことは一切ないのだが、入院生活で3年の学年末試験を全て追試で乗り切ったことが、夢の深層にあると思っている。目が覚め、自分は試験や単位など気にする人間だと分かりほっとする。やれやれ。

 


大学は考えに考え抜いて選んだ専攻科目でもあり、実際にも興味深かったことから、学ぶということにおいてはおおよそ楽しく心おきなく取り組めた。今の仕事があるのも、大学で経営学という学問に出会えたおかげ。一方で大学院に行くという願望は潜在意識に残っていたのかもしれない。もはやその夢は一切見なくなった。

 

 

 

昨晩、夢に出てきたシチュエーションはこれまでの大学3年生ではなく、高校時代だった。

 

 

 

授業もろくに聞いておらず試験範囲も何も分からず、何故かS.龍太郎君に頭を下げて範囲を聞くというもの。彼は怠け者のどうしようもない僕に懇切丁寧に教えてくれたわけで…

 

 

 

だがS君は中1の時以来で高校時分のクラスメートではなかったような…そもそも高校時代は理系専攻の不向きさゆえできが悪かったとはいえ、そこまでひどい状況ではなかったので、夢の状況に思い当たる節がぜんぜんない。そもそもなんで龍太郎君なんだろう。同窓会でも顔を見てないので、久しぶりに顔を見たわ。

 

 

 

それにしてもリアルで嫌な夢だったわけで。僕は学校はゼミや研究なら大好きなのだけど、こと試験ともなるとトラウマになっているのだなあと改めて自覚。

 

 

 

確定した回答を課題に合わせて暗記をして解くなんて、今でも全く自信がない。自分で課題を見つけ、解決法を考えるならいくらでも自信がある。その面では今の立場は僕においては性に合っているのでしょうね。ある意味で得意と苦手が逆じゃなくてよかったわ…