『君はストーカーになったことはないかね…』
ITから戦略へのビックチェンジを狙い30代で転職先として選んだシンクタンク。内定をもらった後に、社長と差し飲みをするという機会がありました。そこで聞かれた質問。
ふられた相手につきまとうということはしたことはありませんでしたから、「ないです…」という答えをしました。
『そうか、それはいい。君はI君と一緒に働くことになると思うが、素直な気持ちで頑張りなさい。彼は、人格的には実に優れている。君は運がいいよ…』
Mさんは満足そうに頷いた。コンサルタント会社の経験はないが、海千山千の事業会社で上り詰めてきた人ならではのオーラのある人だった。それもギラギラしたものではない、どちらかといえば哲学系の人。後に座右の銘が『無私利他』であると聞いて合点がいった。
Winner takes all.
Up or out.
自分の頭の良さ、力を自負し周囲のことには目も向けない。実力主義といえば格好がいいが、おおよそエゴイストの人間の多いコンサルティング会社。
無私利他とは、自己のエゴためではなく他人の利益、幸福のために生きるという考え方。僕の好きな稲盛和夫さんが掲げる京セラ『敬天愛人』の理念も同じ。ある意味で斬新なものだった。
ストーカーというのは、無私利他とはおおよそ真逆の人がやる行為。自己の欲求のためには、他人の心や幸福など顧みることすらしない。
彼らの論理はこうです。
・自分はこれだけ愛しているのだから
・自分はこれだけ犠牲を払ってきたのだから
ゆえに、その対象は自分の支配のもとであるべきである…ということ。一方的な交換経済原則の押しつけ。自己犠牲の愛など欠片もないのです。
はっきり言ってこういう人と幸せな家庭など築いていくことはできないでしょう。
一方でストーカーに付き纏われる人って、相手の未練を一刀両断で切り捨てる「覚悟」と「愛」がない人が多いですね。都合よくつなぎ止めておく余地を残すから相手も成仏できずにストーカーになってしまう。
結局、自分の都合を優先させているという観点では、同類項だったりする。そうした意味で僕がストーカーにならずに済んだのは、好きになった相手において、「覚悟」と「愛」がある人だったからとも思うのです。