Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

モテない人の性

異性の目に映る自己の見積というのは、いつごろ形成されていくのだろう。僕の場合は、大学生時代までにほとんど形成され、以降はアップデートがかかっていない。だから、おとなになってから『そんなはずはない、ぜったいモテると思います』とか面と向かって言われてしまうと、不意打ちを喰ってたじろいでしまうのである。

 

中高時代は、まるで異性に縁がなかった。それなりに悩んでいたので、学園祭のタロット占いで『君は、大学生になったらモテるようになるよ・・』という言葉に対し、素直にほのかな希望を抱いたものだった。


果たして、大学になってみると確かに状況は良くなったけど、意中の人と心が通わなければ、手近なところで手を打つような器用な人間でもない。だから、状況としては大きく変わったわけでなく、自己概念は変わることはなかった。

 

多くの人にちやほやされる必要性は全く感じていない。だけど、意中の一人に振り向いてもらえない、というのはなかなか切ないものだったりする。

 

大学3年の時に難病で入院していた時、白い天井を見つめ考えていた。再び、自分の足で外を普通に歩いて復帰できる見込みはたっていない。恋人がいて見舞いに来るわけでもない。それどころか、用を自分で足すことすら出来ない。看護婦さんの世話になる時は、死ぬほど恥ずかしかった。

 

「自分を好きになってくれる人なんているのか?」「もっと恋愛をしたかったなあ」そう、この問題は、生死に直面する局面の中で、最大の問題なのだと分かった。

 

僕のことを担当していた看護婦さんの一人は、目のクルッとした可愛らしい人だった。ある日、消灯間際に枕元に来て話しかけてきた。酸素吸入器をつけ、両腕には点滴、鼻からは胃に管を通され、胸部にもカテーテールを通されている。髪もバサバサだし、髭もそれていない。そんな僕の瞳を覗きこみながらこういった。


『きみ、モテるでしょ・・』


「いや、そんなこと・・」

 

恥ずかしくてそう返すのが精一杯だった。だけど、そんな事面と向かって誰かに言われたことなんて無かったから、素直に嬉しかった。もし、病気が治癒したらデートに行きたいなあ・・。心の中に小さな灯りがついた。

 

退院をする時、彼女の姿を探したけど担当替えをしてしまい会うことは叶わなかった。胸の奥が痛んだ。


その程度の人間だから、どんなときでも好意を寄せてくれた人のことは、程度の大小あれずっと忘れないし、気持ちや言葉は大切にしようと思っている。でもきっとそういうのは、モテない人だからこその性なのだろう。