Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

カルトのロジック

世の中というものは自然であり、それぞれがあるがままに存在している。そこに対して良いも悪いもないのが原則。

 


一方であるがままの状況に対して、ある一定の尺度で物差しを当てはめると、良い状態と悪い状態というものが生まれてきます。さらには悪い状態とするものにおいては、必ずそれを生み出す原因となった悪がある。しかもそれは前世の悪などに根源はあり、そこに贖罪をしていくことが、救われるための唯一の道である…という解釈をする人が現れます。

 


そして時間なり財産なり肉体を贖罪のために捧げれば、現世か来世で必ず救済されるのだという教義が登場してきます。カルト教団の根底思想はすべて一緒です。

 


あるがままの状態に物差しを当てはめ、さらにはそこに因果律というものを持ち込み、因果を変えようというのは、全てに因果や意味を求める人間のエゴでしかない。いくら現世で善を積んでも早世する人はいますし、経済的な成功を収められるわけでもない。しかも他律のパラダイムに預けて上手くいくわけなどない。

 


神は自らを助くるものを助く。神様は自分自身のなかにある。そして、神様は基本的に『沈黙』なものであり、自問自答、内省を繰り返して最善を尽くしていくことしかない。報われるということを期待せずに。

 


これは宗教というよりも哲学になってきます。哲学は基本的に過去や他人を変えるものではなく、自己の考えと未来を変えていくための学問です。自律自助の考えといってもいい。

 


一方で自律自助の厳しい道を歩めない…他律救済に流れてしまう人が多いのも事実であり、そういう人を束ねる人がいつの世でも出てくるのだ…ということを思わされます。