Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

神話、宗教、芸術作品

ジョジョの奇妙な冒険黄金の風」において、暴走状態に入ったシルバーチャリオッツレクイエムを止め、元の世界に戻すために、ブチャラティは自分の頭の後ろにある「太陽のようなもの」を破壊します。これにより暴走状態は解除され、入れ替わった魂はそれぞれの肉体に戻っていくわけです。


ブチャラティが破壊した自分の頭の後ろにある「太陽のようなもの」とは一体何か?これは仏教世界における「阿頼耶識(あらやしき)」と解釈しても良いのでは・・と思っているわけです。(ちなみに、機動戦士ガンダムにも「阿頼耶識」って出てきます)


仏教の唯識論では、眼、耳、鼻、舌、身、意の六感と個人的自我の意識である末那識(まなしき)、さらにその奥に阿頼耶識という究極の識があるとされています。

 

阿頼耶識があるかぎり、これによって世界は存在する。一切のものは阿頼耶識によって存在し、阿頼耶識があるから一切のものはある。(中略)現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである」(三島由紀夫 豊饒の海


ブチャラティは、実有の捻じれた世界を元に戻すために、自身の阿頼耶識を自ら葬り去った。そもそも、ブチャラティの肉体はその時死んでいたのに、その肉体を操ることが出来ていたのは阿頼耶識がそこに留まっていたから。


豊饒の海を読み解くことは、三島由紀夫の美意識であり、自決に繋がった理由を紐解くことに他ならないわけですが。その中でも非常に難解なパートの一つが「神風連の乱」「輪廻転生を核とした仏教世界」なわけです。


読んでいてもなかなか頭に入ってきません。特に仏教世界は普段接していないために理解をするための基礎的な事柄が頭にない。このため前者の文章が暗号のように感じられてしまう。ですが、この2つは物語においては非常に重要なパートの訳です。それゆえ、相当のページが割かれている。


今更ながらも神秘性があり奥行きのある文学、芸術作品というのは、宗教、哲学、歴史のモチーフを上手くとりこんでいるもの。一方でそれを楽しむためには、ある一定の教養が必要なのだと改めて思うわけです。