安物買いの銭失いとは、何もモノやサービスを対象にした格言ではない。長いキャリアの中で痛感するのは、報酬を出し渋る会社においては長い目でみてケチった報酬より多くの銭を失うということ。
まず、業界や競合に比べて報酬水準が低いと、そもそも採用候補者が挙がってこない。ようやく挙がった候補者に手間暇かけて面接しオファーをしても、まず逃げられる。要は採用コストがかかるのだ。
仕方がないので、ハードルを下げて採用をすると、生産性も低く伸び代もなかったりする。意欲も低く、すぐに他責にする。残念な人材というのは、本人の報酬よりはるかにマネジメントコストがかかってしまうのだ。かといって一度採用した人材をリリースすることは実に困難。
そのしわ寄せは仕事のできる社員に集中しつつも、その努力は報われない。結果として優秀な社員から組織を去って行ってしまう。残っているのは、制約つきの社員だけということになる。
この状況は、紙と鉛筆だけで付加価値を創ろうとする仕事であれば致命的。
報酬を安くしてもそこで働いた事がプレミアムになるようなブランディングができればいいかもしれない。アルバイト先におけるオリエンタルランドやスターバックスのように。こういうところであれば、いい人材が辞めてもそれを補う人材を採れるだろう。
でも、そういう状態を創り上げるにはそこにも投資が必要。結局、人がすべての組織において競合より早く成長していきたいのであれば、報酬をケチるというのは全く合理的ではないのだ。
もしそれが分かっていても出来ないのだとすれば、内向きの論理がそこには作用しているとみていいだろう。
既存社員や異なるビジネスモデルの組織に属する社員との比較という観点だ。
いわば、外部労働市場観点に立った報酬設定ではなく、内部労働市場の平等性に配慮した意思決定ロジックということ。この時点で成長することを放棄したといって過言ではない。ただし、大企業においては戦略子会社を作ろうとする際に必ず陥る罠でもある。
これをブレークするには、大局観をもち内部論理に流されない経営者が必要。だが、親会社からの傀儡政権においてはここも全く期待できない。
結局、戦略子会社が伸び悩むのは、意思決定が内向きになるという一点になる。まさにイノベーションのジレンマそのもの。急速に伸びている会社は、意思決定の基準が外向き。その際たるものが報酬なのだと思う。