多くの組織で掲げられているビジョン。No.1になるとか、5年後に売上10億を目指すとか。でもこれって、僕からいわせたらビジョンではありません。ただの目標です。
企業や組織は、拡大や成長すべき存在である。この『誰からも分かる正しさ』に立脚したビジョンとも言えばいいでしょうか。
僕は、ビジョンは誰からも判断できる『正しさ』を据えるものではないだろうと思うのです。『正しさ』ではなく『美しさ』やそこに集う人々の『歓喜』を表現したものこそが『ビジョン』。人と比べた位置づけとか、規模なんて相対性の世界はどうでもいい。『美しさ』や『歓喜』という絶対観の価値があれば、そこに顧客も従業員もついてくる。だから、No.1ではなく、オンリー1。
『正しい目標』などに求心力は決して生まれません。未達だったら罰を受ける、達成したら評価をされるという恐怖のマネジメント。言い換えるなら律法の世界です。
ワクワクや喜びのドライブで人を動かしていこうとするなら、美しさや歓喜のビジョンこそ北極星として天上に掲げるべきであり、そこに従った決断をしていくべきでしょう。
一方で、学校教育以来『正しさ』の世界でしか生きてこなかった人は、絶対観としての審美眼が全く養われていない。だから、こういう人の作るビジョンやマネジメントはいつも"律法的"で堅苦しいのです。
法律だから否定はできないけど、共感は決して生まれない。美しさの基準がない人がリーダーに多いから、多くの組織では自己顕示欲の強い一部の人を除くと、息苦しさを抱えた人が多くなるのだと思うのです。
そうした意味で、リーダーにおいては審美眼を養う上でのリベラルアーツが重要である…というのは理にかなっている。そして、美しさの基準を正しさにしか持ち得ない人が、リーダーに立つ弊害を理解した方がよいと思うのです。すべてを否定はしませんけど…