Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

タワマン暮らしの憂鬱

売却が先行して決まったことから、仮住まいと終の棲家の両方を同時に探すことになり、物件巡りに費やす週末。まずは、当座の仮住まいは駅チカの利便性に富んだ所で3LDKという条件を立てて臨むも、なかなかこれといった物件には巡り会えない。(僕はこだわりあまりないのですがね)

 


これはという駒場公園のそばの物件に出会えたのですが、鼻先一つで他の人に決まってしまい凄くがっかり。周囲の環境も広さも抜群だったし、何より価格が妥当なところだった。

 


色々と巡って最終的には、中央区新川のタワマンにすることとしたのですが、これは僕の希望では全くありません。まあ、便利ですがコンシェルジェのいるフロントなんて不要だし、玄関開けたらすぐに家という環境が好きなのです。エレベーターで上に行くとか面倒くさい。ランニングで汗だくで帰るときとか、気が引けていやだ…タワマンに住みたがる人の感覚が僕には分からない。(年寄りだと安心なのかしら…)

 


とはいえ、築地、佃、日本橋に近いロケーションは短期間であれば、興味深いところもあります。新しいランニングコースは、皇居、有明隅田川あたりかなと思っていますが、一度自転車で下見ですね…

 


終の棲家の方は鎌倉にいくつか目星がついたのですが、こっちに行けるのは相当に先になるそうです。利便性を捨てて思いっきり環境の良いところにするか、駅から程よく歩いていけるところにするか。個人的には、自転車さえあれば駅から遠くても全然苦にならない。むしろその方が楽しくていいという人間なので、利便性を犠牲にしても環境が断然いいところ…と考えています。

 


それにしても都心の物件にしても、湘南の物件にしてもこんな時期だからなのかもしれませんが、取引は極めて活発であり、いい条件のものはあっという間に無くなってしまう。ここだけを見ると景気は非常にいいのではないか…とも見えます。写真は逃してしまった駒場公園。

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ベンチャーゆえの鷹揚さ

41歳の時にS社のキャリア自律プログラムの企画をやっていたのです。そこはバブル層を大量に抱えており、団塊層最大のコブが48歳だった。そこで出口施策として53歳の役職定年を早期退職優遇制度とセットで導入し、48歳でキャリア研修を実施。研修後はカウンセリングでフォローして外部に意思決定を促す仕組みを作ったのです。

 


当時は彼岸のことのように受け止めていた年齢に自分もなったわけです。経営的側面から見たら不可避ではあるものの、個人の観点で見たら理不尽極まりない仕組み。当時も思っていましたが、実際にその年齢になるとその思いをさらに強く持ちます。

 


年をとれば取るほど個人差が大きいのに一律で扱うんじゃないよ…と。記号で人を判断するようなところで、自分の可能性を埋めてしまうのはもったいないとね。

 


今のところはベンチャーで平均年齢は30代前半。役職定年なんてありはしません。創業期の社員だったという杵柄で実力もないのに役員に長く収まり、その人間に政治力を働かせた人間が要職を占めるというケッタクソ悪い状況も皆無。そういう意味では、余計なことに気を取られずに、真っ直ぐ仕事に打ち込めるのは有難い。

 


若手においてもこういう環境の方がきっと面白いと思います。それにしても思うのは、大手企業においては実力主義であらねばならない専門サービス会社においても、無駄な事業や人員が山ほどいるということ。だから給料を思い切ってあげられないし、年齢でポジションを外すという乱暴なやり方になるのですよね。

ブランド時計が欲しい時

使わない時計を売り払ってミニマルにしていたのですが、なんか熱病のように時計が買いたくなったりしたわけです。腕は一本しかないですし、取っかえ引っかえする趣味は僕にはありません。

 


私服が日常だとタフに扱えて軽量防水のルミノックスがメイン。デザイン重視のフォーマルなもの3本。この3本においても使用頻度が少ないのでもっと減らして良かったりします。

 


なので時計なんて新しいものを買う必要などさらさらないのです。しかも、高いブランドのものが欲しくなったりする…ごってり重そうな…実用性もないしどう見ても合理性がないのです。

 


この心理やいかなるものなのか。

 


新しい時計が欲しくなるとき、高級ブランドものが欲しいというのは、承認欲求に飢えているとき…だそうです。企画書を何本も書いて、手応えもあったけどプレッシャーの中でかなり消耗したこともあり、状況をクリアしたことへの報酬的側面があるのでしょうか。

 


とはいえ、冷静に自分を見つめればそういうアイテムをまとう柄じゃないのです。村上春樹さんの『男の子のルール』の一つにある一万円以上の時計は身につけない…じゃないけど。

 


3週間くらいしたら、熱が引いたので余計なモノを買う必要はどうやらなさそうです。ペンと時計と鞄は、何かを誇示するものではなく、実用的でタフなモノが僕にとっては一番ですしね。

故障の連鎖反応

或る物が壊れるとなぜか時を経ずして他の物も壊れる…という現象。

 


車のエンジンオイルがなにか減少しているような感覚があったのです。2年の車検おきにフィルターとオイル交換というペースでよかったのに、どうもそれには持ちそうもない。高速運転中だったときに一瞬だけ灯ったエンジンオイルランプ。早めにオートバックスでオイルとフィルターを代えてもらいました。案の定オイル残量はゲージより下まで減っていたわけで。

 


これで安心かなと思いきや、駐車した車の下にうっすらとオイルの滲みが落ちている。オイル漏れというほどではないけど、どこかからか漏れていることは確実。さてはこれがオイル減少の原因かと馴染みの工場に持っていったら、エンジンのオイルシールの劣化による漏れなのだとか。シール自体は安価なのですが、脱着工賃が相応にかかるのとタイミングベルトにもオイルがかかったためにこいつも交換で交換工賃がかかるとのこと。想定外の出費だわ…昨年にタイミングベルトは換えたばかりなのに…その時にシールも交換しておけば…

 


とはいえ、部品は自分で型番を照合して調達することで全体的にはコストを抑えて修理は完了。これで車についての悩みは解消。そんな矢先に普段の足に使っているロードバイクの前輪から軋むような異音。

 


スプロケットとチェーンを変えてもらったばかりなのに…こんな軋むベッドのような音がする自転車には乗れたもんじゃありません。油を差しても、スポークテンションを張っても解消はせず。原因はハブの中に入っているベアリングが錆び付いたことによるもので、サイクルショップあさひでキッチリ直していただきました。心なしか前輪の回転がスムーズになったような…

 


家も明け渡すので汚れた壁紙の張り替えとか壊れたウォシュレットなどの修理などをしたこともあり、なんだか最近は修理ばっかりやった感じがします。特に車や自転車といった大事なツールに問題が生じると、心理的なストレスもあるし。これで問題一掃で新生活に向けて心機一転していけるといいな…

人を大切にするとは何か

「45歳を過ぎてもまだ"出世の可能性"を匂わせて引っ張りながら50歳過ぎると途端に手のひら返しのリストラをするのが日本企業の残酷さ」。

 


先日取材した経済学者はそう看破していた。

 


せめて3年、早めに社内キャリアの終点が見えるだけで人生は変わる。「50歳の壁」が削る可能性はとにかくえげつない。(黒田眞行氏 Linkedin)

 


この氏の投稿にある方がこう書いていました。

 


『20代のときに勤務していた外資の人事部長から、若いうちにあなたはうちの会社には合わないと率直に伝えてお金を払って出てもらう外資でやるマネジメントと、長年本人の特性と合わない仕事をやらせて50代になり放り投げるのとどちらが社員のこと考えてると思う?雇用の保証はうわべだけよね?と聞かれて考えさせられました』

 

 

 

そうなのです。結局、日本企業の多くは問題を先送りにして年齢を理由に外部に放り出す。やり直しも、チャンスも全くない状態に陥ってからです。本当は放り出される人は、いきなりその時になって不要だと判断されるわけじゃない。30、40代に分かっているのです。少なくとも上に行けるチャンスはまずないのだと…

 

 

 

そういう人に対しても可能性のない将来をちらつかせたり、経験を活かせないその場しのぎの役割を与えて放置するというのは、結構罪深いことだと思います。

 


これが男女の仲であればストーカーや逆恨みの殺傷沙汰に発展する危うさを秘めた行為。雇用を守る事と人を大切にする事はイコールじゃない。

 


こうした中で、日本企業は定年65歳、70歳時代でも人を活かして競争力を高めていけるのか…疑問を持たずにはいられません。

自転車と本

小さい頃は、旅行にあまり連れて行ってもらえませんでした。年に唯一の夏の家族旅行は、二泊三日、場所は会社の保養所というのが定番でした。それ以外は、自転車と本が僕にとってのトリップアイテム。

 

高校卒業後に電力会社に入った父は、謹厳実直を絵にかいたような会社人生を送りました。労働安全衛生の担当だったこともあり、休日や正月、盆休みでも出勤になることも都度。単身勤務も長く余儀なくされました。

僕はそうした反動からか、異動辞令一枚で人の働き方をすっかり変えてしまうような会社は選びませんでした。休暇もなるべく取るようにしています。

 

一方の妻は、時間にも経済的にもゆとりのある家庭に育ったこともあり、1ヶ月の家族旅行であったとしても、さして驚きません。とはいえ、世間的なレベルも分かっており、慎重な人でもあるので『そんなに、休んで大丈夫なの?』と聞いてきます。

『なあに、成果をだしているから大丈夫だろ・・まあ、ちょっとばかり働いたところで出世するわけでもなし、いいんだよ・・』いうと、『それじゃ困るのよ!』と怒られてしまう。

 

ただ実際、数日の休みを多くとるか否か・・を気にしたところでパフォーマンスは上がりませんし、ましてや出世するわけじゃない。宮仕えの日本人は、お互いに変な恐怖に縛られすぎ。ライフワークとしてのめり込むほど、目の前の仕事が好きなわけじゃないのにね。

これにけりがついたら・・一定の成果が残せたら・・昇格したら・・

子供は成長を待ってはくれません。自身の肉体だって衰えていきます。今と同じ条件の”いつか”なんて、永遠に訪れない。であれば無理をしてでも”いつか”を今した方がいい。

”いつか”のために粉骨砕身し、色々なものを犠牲にした人が、定年も間際となり、いよいよとなったら誰も分かち合う人がいないし、選択肢もない・・という寂しい状況も多く見ていますから。

旅行に連れて行ってもらえなかった子供時代。

僕においてよかったことは、想像力や好奇心を育んでくれたこと。大人になって、仕事で様々なところを訪れたり、旅好きで行動力のある妻と様々なところに行けるのも、自転車と本で過ごす経験があったから。人にとっては、何が良い環境かはわかりませんね。

連戦連敗

空港、駅、美術館など大型の建築では、公開コンペになることがほとんど。その中でコンペに勝ち残れる確率は、世界に名だたる安藤忠雄さんをもってしても、1割か2割程度しかない。基本は連戦連敗。でもそこで諦めない。敗戦の理由を丹念に分析し、次への肥やしとする。


なぜ勝率も高くないのに莫大な労力を費やす過酷な挑戦をし続けられるのか。


それは、安藤忠雄さんが学歴も経験も何もないところから身を興した反骨精神の持ち主であり、建築というものは様々な制約のなかにあってこそ新たなブレークスルーを産み出すのだという確固たる信念を持っているから。


・ギリギリの緊張状態の中にあってこそ、創造する力は発揮される。条件の整った仕事よりも、コスト的・条件的に苦しいときの方が、意外によい建築が生まれることが多い

・コンペを通じて、自らの建築への姿勢を問い直し、その意志を確かめる。そのような思考の時間をもつことができることが、コンペに参加する意義といって過言ではない

・大抵の人間は、この苦難のときを耐え切れずに終わってしまう。しかし、ル・コルビュジエもカーンも、決して諦めなかった。妥協して生きるのではなく、戦って自らの思想を世に問うていく道を選んだ。与えられるのを待つのではなく、自ら仕事を作り出していこうとする、その勇気と行動力こそ、彼等が巨匠といわれる所以なのである

・コンペで勝てなくてもアイディアは残る。実際、コンペのときに発見した新たなコンセプトが、その後に別なかたちで立ち上がることもある。そもそも、実現する当てもないプロジェクトを常日ごろから抱え、スタディをくり返し、自分なりの建築を日々模索していくのが建築家だろう。だから、連戦連敗でも懲りずに、幾度でもコンペに挑戦し続ける。建築家の資質として必要なのは、何をおいてもまず心身ともに頑強であること、これだけは間違いない。

 

新しい環境に来て3ヵ月。新たなテーマへの挑戦とともに数限りない企画書を書き、コンペにも参加しました。僕が道を造らなければ、道なんてないからです。決して精神的には楽ではありません。でも、今までの環境であればとても生みだせなかったような企画を作ることができています。しかもハイペースで。


企画は相手と競合次第で選定されないかもしれない。でも、考え抜いたことは残る。選ばれなかったらその反省を生かし、次に向かう。あの安藤忠雄さんですら挑戦し続けているのだから。


でも、公開コンペというのはある意味で気持ちがいいものです。だって、平等な条件の中で会社の知名度など関係なしに個人の経験と内容の優劣で勝負できるのですから。僕の性格にはあっている気がします。