Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

モビリティシフトの余波

毎日使っているGiantのロードバイクも乗り始めて4年。そろそろスプロケット(後輪のギアです)でも交換すっかなあ…と思ったわけです。大分摩耗しているし、もう少しトップスピードの乗る低いギア比の歯も足したいし。(今のはTiagra 10speed)

 


で、Amazonシマノスプロケットを探して見て驚愕したわけです。どれもこれも在庫がないのです。11月入荷予定やら来年2月入荷だったり…一体どういうことなの?

 


どうも新型コロナウイルスの影響で自転車需要が急速に高まると同時に、パーツ製作を行っているシマノサプライチェーンが全く追いついていないことで起きているようなのです。当たり前ですが、パーツの供給は完成車が優先されるので、そちらに在庫が振り分けられるとパーツ売りの在庫は枯渇しているという構図。

 

 

 

いやあ、驚きました。目当てのパーツは最終的にヤフオクで購入したのですが、もっとよりどりみどり選んで買いたかった…買えただけ良しとします。(105の10speed)

 

 

 

車の需要も上がって半導体の供給が追いついていないのですが、自転車においてはパソコンにおけるインテル同じシマノがキラーパーツ。これも同じ現象に陥っているというのは正直全く知りませんでした。

 


鉄道やバスは需要が激減している一方で世界的に自転車にシフトをしているということを体感しました。

レハレハの啓示

ヘブライ聖書によれば、ユダヤ人の始祖アブラハムは、ある時「レハレハ」(すべてを捨てて、新しい土地へ行け)と、神から告げられた。父の土地を捨て、親から引き継いだ豊かな生活を捨て、全く新しい土地に行き、もう一度ゼロから始めよ、と神は命令した

 


「レハレハ」は、自分自身の内面に深く入って、全く知らなかった新しい自分を見つけよ、という示唆に富んだ言葉。つまり、ゼロに戻った時こそ、新たな自分に出会えるチャンスだということ(ユダヤ人の成功哲学『タルムード』金言集)

 

 

 

 


ゼロベース思考というけど、ことキャリアにおいて積み上げてきたものを一度ゼロにして挑戦をするというのは口で言うほどに簡単なことではなかったりする。人は、未知の環境に身を置くことを基本的には好まないし、積み上げてきたものに頼って局面を打開する方が遥かに楽だから。

 

 

 

すべての物事が必然的に起こるというのであれば、慣れた環境を変えざるを得なかった不測の出来事も、そして全く予見のなかった機会の提示も。それは、僕にとってのレハレハだったと言えるのだろう。あのままのキャリアであれば、限定された領域だけを遂行するエキスパートであり、将来の絵姿もおおよそ見えていたから。

 

 

 

何のプレッシャーもない。圧倒的に優位性のある仕事ができる。でも、僕というのはそういう環境には縁遠い人間らしい。

 

 

 

でも、マザー・テレサが神が望んでいるのは、成功ではなく挑戦だという金言も、きっとそれはレハレハの勧めなんだ…と思っている。

執着と転機

好きになったものは、ずっと好きでいられる自信がありますし、縁があって関わったモノについては良い面を多く見いだし、贔屓になる力は人一倍強い方です。

 


好きなものに囲まれていたいし、愛情を注げないと力が出ない。もっといえばそれが自尊心を保つことに繋がっているからだと思います。

 

 

 

そうした性質は物事に対する過度な執着の源にもなりえます。諸行無常である以上は、ずっと縁を持ち続けることはできない、どこかで終わりは来る。

 

 

 

その時に、培った好意や愛情は喪失に対する強烈な抵抗心へと変質してしまう。異性だと厄介ですね…

 

 

 

家を売却する契約書にサインを書き、暫くするとここは自分のモノではなくなります。自分が手をかけて直した水回りやドア、屋上の塗装、壁紙…そして、屋上から拡がる景色。僕には一つ一つに愛着があります。きっと離れたら相当の喪失感を感じるはずです。

 

 

 

新しいところでもまた良いところをすぐに見つけ、好きになっていくであろうことは分かってはいるのです。

 

 

 

人が変わるには、時間配分、付き合う人、住む場所を変えること。今年は、会社と家を変えるという転換期。自分が知らない自分に会えるという楽しみもありますしね。

ハイプレッシャーに生きる

石川佳純さん、桃田賢斗さん残念でした。国民の期待を一身に背負い、全てを一瞬のために犠牲にして日々を過ごすアスリート。報われる瞬間が来れば良いですが、そんな事ばかりじゃない。

 


厳しい練習だけでなく、かかるプレッシャーの大きさは、想像もできないレベル。仕事で結果が出るか、否か…なんて大したことないね。本当に彼らの姿からは勇気をもらいます。

 


無観客試合で良かったし、開会式の演出も貧相だったかもしれないけど、試合の場が提供され目撃者となることができるだけで、とても意味があると思う毎日です。

姿勢と肩凝り

昨年の暮れぐらいまでは、極めてひどい肩凝りに悩まされていた。8,9月あたりはもはや凝りというより、右腕の痺れと強い痛みを伴うもので、頚椎症性神経根症と思わしきものだった。

 


こいつは、首にある頚椎の椎間板の変成により、腕の神経が圧迫されることで生じる。自然に治癒するのだが、それまでは耐え難い痛みや痺れに付き合うはめになる。

 


原因は、PCやスマートフォンによるストレートネックと椎間板の経年の変容にある。対策を考えてPCスタンドと首のアーチを維持すべく低反発の枕を購入。

 


そして、しばらくすると痺れは徐々に消え、右腕の耐え難い痛みも引いていった。気がつくと、肩凝りが無くなっている自分に気がつく。これって、結構画期的…

 

 

 

仕事は断然に新しいところ来たらやっているものね。姿勢って起きているときも寝ているときも大事ですね。

憂鬱じゃなきゃ成長しない

憂鬱でなければ仕事じゃない

 


もっといえば、憂鬱になるくらい難しく、手探りの不安の中でもがくような仕事じゃないと成長なんてしませんよ…

 


基本的に楽観的ですし、好きで興味のあることだけを追いかけていきたい人間だったりするわけですが。成長したときは、不安で憂鬱で葛藤の日々を過ごした時だったように思います。

 

 

 

泥濘のトンネル抜けた後の景色は格別ですし、前とは違う自分がそこにはいるわけです。でも、求めていた光に満ちた世界はうちに退屈になり、また暗い谷に降りていってしまう…

 

 

 

何が物好きでそんなことをするんだろうね…

 

 

 

宮本輝さん『流転の海』の松坂熊吾の生き方を見ていると、なんか他人事には思えない。せめて糟糠の妻をなおざりにして家族に愛想を尽かされるということがないようにしたいものです。

エコなのにエコじゃない

ソーラーや振り子で充電される時計って、電池交換が不要ということを売り物にしているわけですけど。これって、結局便利そうで不便なのですよね。当たり前だけど、何度も充電と放電を繰り返していくと、バッテリーが消耗して駄目になる。


充電型腕時計のバッテリー寿命は約7,8年。しかも、こいつの交換にはえらい値段がかかるわけです。しかも交換を前提に作っていない。本体丸ごとお釈迦になるくらいなら、ボタン電池を3年ごとに取り替える方がよっぽどエコだと思うわけです。機械式時計と違って、ボタン式なら電池の液漏れや浸水がなければ、基本は何年も使い続けられますからね。


同じくスマートウォッチも全くエコじゃない。数日おきに充電が必要で、バッテリーの問題から恐らく5年も持ちやしない。(Garminのランニングウォッチ持っているけど)


同じ観点から電気自動車やハイブリッドも結局合理的でないと思うのです。一時、ガソリン代が安いと思っていても、10年もしたら高額なバッテリーの載せ替えが必要なんでしょう。電気自動車も耐用年数がかなり短そう・・


二酸化炭素の排出抑制は大賛成なのだけど、メンテ可能で長く使い続けられるモノを愛着をもって大事に使うことが一番エコなんじゃないかと思うわけです。