スケジュール帳が一杯に埋まっていないと不安で仕方がないという人と異なり、僕はスケジュールが埋まっていない方が好きだったりします。その方が道草を食うことができるからです。
ここ最近は事情が大分変わってしまい、平日はほぼ余白がなくなり、それどころか二重三重で予定を入れられるようになりました。お昼ご飯の時間すらも持てなかったりします。もちろん、夕陽をみに眺めのよい場所に行く時間もありません。土日に根を詰めて仕事をしないで良いのだけは救いですが…
もともと家族のためなどという目的はあまり視界には入れていませんが。子供が全員社会人ともなると、高い学費を捻出するために、家族のため多少の無理なことがあっても働くという目的はもはや完全に消失するわけです。多少広い家に住むためにお金が要りようとしても、起きて半畳寝て一畳で、いざとなればそんなもの売り飛ばしてしまえばいいのですから。
2歳しか年齢の離れていない双子の息子と娘の3人を私学に通わせたことは、自分自身も親にさせてもらったから、当然にそうするものと考えていました。いざやってみると、小学校、中学から歳の離れていない3人の子供を私学に入れる経済的な負担は大きなもので。夫婦共々よくまあ無事に切り抜けられたものと思います。
今の忙しさとゆとりが当時にあれば、どれだけよかったのにと思いますが、こればかりは人生の前借りというわけにはいきません。
子供の育成がようやく終わって待っていたのは、自分の子供とさほど年端の変わらないメンバーを育成しながら組織を大きくしていくこと。これまた、なかなか難儀です。
自分が仕事をとって組織を回していかなければ、最悪メンバーは路頭に迷うことになります。さらには上場を目指して組織を大きくしていかなくてはいけない。自分ひとり何とかするのでしたら、全く困らないのですが…
今さら組織を大きくして、そこに対価があったとしても、上手くいかなかったとしてもどちらにしてもそこにさしたる意味はなく。これまで得てきた経験や知識を後進や世の中に還元する、そして自身が成長をし続けるための機会というのが意義。
50代という世代が背負う世代継承性=Pay it forwardの使命ということになるのでしょうか。かみさんからはようやく大人っぽい顔つきになったと言われるのは、それがあるのかもしれませんね。