組織の立ち上げリードというのは、家計を支える家族の父親のようなものだ。僕の子供と同じ年齢のスタッフもいる。それぞれが家族や自分の夢を抱えてここに集っている。
自分の言葉、表情、行動は皆に見られている。影響性は想像以上に大きい。自分がコトを産み出していかないと組織は大きくはならない。少しでも手を抜いたら、あっという間に登ってきた坂道を転げ落ちていく。
そういう役回りを好んでもいないし、積極的に望んでいた訳でもない。自由を愛する人間においては、むしろ遠目で見ていたといってもいい。これも何かの巡り合わせであるが背負う荷は重い。体制が整った状況で担うリードと立ち上げのリードでは、使うエネルギーも能力も全く違う。
かつてリクルートで3人で事業を立ち上げたときは、僕はメンバーの役回りだった。今にして思えば、リード役立ったKさんは相当に難儀な役回りを担っていたのだと思う。だから、うまくいかなかった時に僕のせいにして保身を図ろうとしたことも一概に責めることはできない…そう思う。やられた方としては、裏切りの絶望と怒りしか覚えなかったけど。
プライベートでは子供たちが社会人になったのも、ある意味でよいタイミングだったのかもしれない。僕みたいに不器用で非力な人間はどちらかで手一杯になってしまうから。
『普通だったら、家族の責任も果たして仕事も前線じゃなくて楽をしている歳なんじゃない…でも、そういう自分が忙しくしている環境が好きなのよね…』
細君にはそう言われる。確かに楽な環境じゃなくてハードな環境を選んだのは自分の価値観。自分の力をフルに発揮してストレッチさせてくれる状態に身を置きたい。だから、昔取った杵柄で楽にできる前職から離れたし、待遇がよくても役定があるような新天地は選ばなかった。
ライフラインチャートで過去を振り返ってみても、自分で谷底の環境に身を置き、そこから登っていく過程が一番成長できたしハイライトだったりする。
厳しく長い坂を上がるには気力、体力がモノをいう。ランニングのルーティンも坂を上る気力と体力の維持のためといってもいい。使う機会がないと培う意味がない。
最近、手相のことを教えてくれる情報プログラムを見ていたら、僕の生命線は多重生命線だった。見るだけで四重生命線…通りでインフルエンザにはかからないし、家族で唯一コロナにも感染していないわけだ。しぶといんだろうね…
だからこそ歯応えのある挑戦をやるしかない。本来無一物。死ぬこと以外はかすり傷。駄目で元々なのだから。