Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

回避動機と接近動機

ジャージをまといスポーツ刈りで登校する中学生たちの姿を目にした小学生の僕は、前近代的な地元中学に進む自分の姿を想像するのがたまらなく嫌だった。

 

 

 

小学5年が終わった春休み。意を決して親に私学に行かせてもらうことを懇願し、進学塾に通わせてもらうことになった。目指している学校は特にない。たまたまクラス分けテストで高得点をとったことで、特進クラスに振り分けられた。

 

 

 

そこには、開成やら桜蔭やらを目指す生徒がハチマキなどをしていたりするのだが、地元以外ならどこでもいい僕から見ると、理解しがたい異世界のひとたちだった。そもそも、僕は囚人のごとく丸刈りにされる前近代的なところではなく、自由で楽しそうな学校であればどこでも良かったのだから。

 

 

 

特進クラスにはスケジュール的にも内容的にも付いていきがたく、クラスを下げて勉強を続けた。(春休みの一科目2時間×4の8時間特訓コースというのはさすがに閉口した)

 

 

 

中学受験は実力から見た3つ。難しめと順当は自分で選んだ記憶があるものの、もう一つを選んだ記憶がない。果たして2つに合格し自分が選ばなかった学校に行くことにしたのだが、これならハチマキの連中などに混じって塾に行くほどでもなかった…と思った。とはいえ、親が見立てて行くことになった中学は通学は遠かったもののとてもいい学校だった。

 

 

 

子供たちが中学受験をしたのは、もう10年以上も昔のことになる。志望校への合格の喜びも束の間。授業料のあまりの高さに閉口したものだが、自分の行っていた学校も、授業料の高い学校だったことにその時ようやく気がついた。

 

 

 

うっすらとは分かってはいたのだが、なぜ親は特段余裕もないのに、授業料の一番高い学校を薦めたのか。そのことをもっと理解して学校に行っていれば、もう少しマシになっていたのかもしれない。

 

 

 

その6年後、理系選択で急降下した成績で大学受験にすべて失敗した春を僕は迎えた。わざわざお金のかかる私学に行った上に浪人生活。改悛と焦燥感により敷いた背水の陣。それが今の僕を作っていたりもする。果たして回り道はしたものの、中学受験の時の坊主刈りに代わる動機を得たことに解決の糸口はあったわけなのである。

 

 

 

結局学びというものは動機次第。その源は、自分自身の内側から湧き出るものかもしれないし、コンプレックス、親への思い、心を寄せるクラスメートかもしれない。

 


ちなみに僕の高校時代まで学びの動機は『恐怖からの回避動機』。大学生以降は、『興味を持つ対象に対する接近動機』。社会人において学んでいる人が少ない理由は、学生時代の回避動機のパラダイムが社会人になっても塗り変わっていないからじゃあないかと思っている。