Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

合理的意思決定の愚かさ

若手メンバーと飲みに行ったときのこと。結婚してよかったこと、メリットってありますか?と数人から聞かれたわけです。

 


僕は、結婚であったり、子供を作るということは合理で決める話ではなく、好きで毎日顔を見たいから結婚するまで。その延長で子供も産まれるもので、いつするのがいいか…とかメリットのあるなしで決めたことはなく。メリットがないと結婚できないなら、そんなのする価値なんてない。結婚は非打算で自己犠牲の愛(アガペーの愛)がなければ成立せんからなあ…

 


なんていう話をしてた訳です。

 


とはいえ、アガペーの愛で結婚ができるかというとそんなことはなく。エロスの愛がなければ無理だと思うのです。

 


でもこうした質問をする人の多くは、男性においては付き合いを長く続け、エロスの愛が充足された状態から、結婚に踏み込もうと頭で考える訳です。そりゃあ何時まで経ったところで決め手はないし、出来るわけない。

 


女性においては、出産年齢の上限もあるし30代半ばともなるといい人に出会える確率も減少する。焦る気持ちは高まるわけですが、長い付き合いで、エロスの愛を都合良く提供していた相手から、状況をブレイクする場面は訪れるべくもないのです。

 


そうなると、税金とか老後とかのメリットや親からのプレッシャーで結婚を決断することになるのですが、そのパラダイムだと子供は一人で40代の財政的余裕ができるタイミング…とかなるわけです。

 


こういう頭でっかちの生き方って、おおよそ不自然です。不自然な生き方をしたことによるデメリットは、生物学的に老化をしたときに気がつくと思います。それは有限性の認識がなく、20代のお勉強ができる頭でっかちさんには分からないかもね。

 

そう。1年後に死ぬと分かっていれば。目の前にいる好きな人と結婚して一緒にいたいと思うものだからです。