Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

ルーキーイヤーのアパートメント

結婚したのは社会人4年目の事。若かりし日は誰でもそうだとおもうのだけど、当時は給料が低かった。PwCは初任給こそ高かったものの、その後給与はほとんど上がらなかった。外資系でランクアップしていないからそれも当然であるのだが、オフィスが恵比寿ガーデンプレイスになり、中途入社で自分より未経験の人間が明らかに高い給料で入ってくるのを恨めしい気持ちで眺めていた。


当時は相方も働いていたのだが、二人の収入をアテにした生活をしてはダメだと考え、広くて駐車場が安く借りられて家賃の安いところを色々と物色した。足立区綾瀬などはとても安かったのだが、雰囲気がまったくそそるものではなく。かといって目黒区や品川区の物件は予算的にとても手に届きそうにもなかった。


そんな中で目にとまったのが、新浦安から徒歩15分の物件。新浦安は駅前に綺麗なショッピングセンターを構え、猥雑さがない綺麗な街。3DKの53平米で家賃が10万8千円というのも魅力だった。駅からちょっと遠いけど、自転車を使えばさほど遠くないから・・と自転車などあまり乗ったことのない妻を口説き落として、新浦安に住むことになったのだった。


駅までの遠さ、間延びした京葉線の運転感覚や八丁堀での乗り換えの不便さなど。生活が始まってみると、僕にとってはさほど気にはならなかったことが、都心の便利な生活に慣れきった妻においては大きな問題としてクローズアップされた。近所には誰も知り合いがいないということも、妊娠以降に家にいることが多くなった彼女の苛立ちを募らせることになった。一方で、ディズニーランドを近くに望む新浦安は、ちょっとしたリゾート気分に時に浸ることが出来たのも確かで、ただ住んでいるときにはほとんどディズニーランドに行くことがなかったのが悔やまれた。


子供が産まれたのを機に、3年住んだ新浦安を離れ港区に移り住むことになった。そして、目黒で家を建てその家を売却して今の新川。時々、自分たちが新婚生活を始めた家を見に行くたびに、あの頃はお金もあまりなく慎ましやかな生活を送っていたものだ・・と思ってしまう。


先日、娘の運転の練習がてら久しぶりに当時の家を見に行ったら、僕らが住んでいた古かった世帯向けのアパートは取り壊され単身者向けのアパートに生まれ変わっていた。1年前に見たときには二世帯くらいしか住んでいなかったので、建て壊しそうな雰囲気は漂わせていただのだが・・


槇原敬之の「Self Portrait」という歌がある。そこには、

 

少しずついい部屋に住んでる僕が時々寂しい
ほこり被ってる洗面器たまに銭湯でも行こう
大変なのは僕だけじゃないと少しは分かるかも


という歌詞が登場する。人って不思議で意外と不便で不自由だった頃が、豊かで便利な今より懐かしかったりする。豊かになることを目指して頑張るものなのですけどね。