Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

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中央区はあまりご縁がある場所ではなく、住んだこともないですし、僕がPwCの時に汐留でちょっとだけ働いた事があるくらい。基本的に買い物に行く場所という位置づけであったりしました。

 


全く縁がない場所か…というと父方の祖父が銀座で戦争中まで文房具店を経営しており、遠いところで縁があったりします。その店は戦争が激しくなるにつれ栃木への疎開を余儀なくされたことで店じまいをすることになります。そして、栃木の小金井が父方の実家という訳ですが、父は幼少期は銀座界隈で過ごしており、日比谷公園で遊び、築地に近い土地柄ゆえマグロの刺身が小さいときから好物だったといいます。

 


当時の家宅は港区高輪。出生病院は済生会中央病院。僕の子供たちが出生したのも当時住んでいた港区三田にほど近い済生会ですので、奇しくも世代を超えて同じエリアに住み、同じ病院が出生地だったりするわけです。

 


寡黙で自分のことを一切話そうとしなかった父。その事を聞いたのは、死の床に伏せっている時のことでした。早くに聞いていれば、もっと色々と聞きたかったことがあります。

 


豊かだった東京での生活から疎開先で一挙に貧しくなり、苦労を重ねた父においては戦争体験を含めた過去のことは思い出したくもないことなのでしょう。とはいえ、銀座や築地ほど近く何かにつけて歩くことが多くなった今では街を歩くときにとても気になるのです。

 


銀座のお店はどの辺にあったのだろうか…と。

 


住むところ然りで、何気なく選んだものに何か必然性があったりする。文房具が好きなのも祖父の影響なのかもしれません。

 


この辺に住み始めて思うのは、昭和風情の文具店だったり飲食店がまだまだ元気に頑張っていること。時代の繋がりを感じる街であること。先代の人々の息遣いや繋がりを感じさせてくれる土地というのは、何か安心感がありますよね。