Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

モノカルチャ環境の存在意義

女子大の存在意義とは何だろうか・・ということを最近よく考えます。共学校よりも女子大の方が男子に遠慮するということがないためにリーダーシップが育つ・・という意見があります。確かに、女子だけの学校では必然的に女性の誰かがリーダーを買って出るわけですからリーダーシップ涵養という点ではいいかもしれません。


でも世の中は男性と女性で成り立っています。仮に女性だけの環境でリーダーシップの成功体験を積めたからといって、多様な環境でのリーダーシップ発揮に役に立つかというとそうではありません。特に、男性優位の環境においてはアウェイが際立ってしまい、特殊な環境での成功体験などまるで役に立たないのではないでしょうか。


そもそも、部活動では男女共学とはいえど男性のみ、女性のみとなる機会はいくらでもあるわけです。そうなると多様なコミュニティでの活動経験が多い方が良いに決まっています。


社会人というのは、人間関係の中で相手の期待を察知して上手く立ち回る力が要求されます。同性同世代の仲良しであれば、あ、うんの呼吸が成り立つのかもしれませんが、年齢、性別、価値観が異なる環境では、期待の仮説をしっかり検証し、先読みで動いていかないと価値のある仕事を行うことは出来ません。


誰もが同じだとは言いませんし、或る一人のサンプルだとは思うのですが。その人においての対人行動は『人と人とは分かり合えない』という前提が全く含まれていないのです。だから予め確かめようともしないし、先読みした行動も当然しない。最後に蓋を開けたらズレまくるし。それでいて本人は自分は優秀で成功体験を積んできたと総括しているし、その自分らしさを活かしたいと妙な頑固さも持っているのでなかなか難しいのです。


村上春樹さんは大人の定義を、自分の心の痛みと他人の心の痛みを等価とまでは言えなくても密接に連携させて考えていくことが出来る人だ・・としているのですが、それが出来ないのです。


それができないのは、『他人』のバリエーションが限定されていることと、自分の心の痛みを言語化してくれなくてもくみ取ってくれる『同質性の高い他人』が多かったことではないかと僕は考えているのですが、究極の客商売であるコンサルティングにおいては、そうしたベースはなかなか致命的なのです。

 

ちなみに僕の娘は中高大と女子校育ちです。二人の性格の異なる兄や僕などと密接に育ったために、女の園どっぷりではありません。僕とも会話をよくするので年上男性世代に対するアレルギーはないですし、同世代の男性に対してもそれは同じです。反面、妻は3人姉妹で育ち、女子校上がりなので女の園どっぷりで、完全に『内弁慶』な人です。


ダイバシティの世の中にあって、モノカルチャな集団に身を置くことは、本人の家庭環境や性格もあれど、プラスに働くことがどれだけあるのだろうか?少なくとも、仕事という名の下において、男女の差別、エコヒイキなしという僕らの仕事においては、モノカルチャーにおけるリーダーシップよりも、人間関係の多様さの中でフォロアーシップとリーダーシップを学んでいることの方が大きいな・・と思ってしまうのです。

 

まあ、若さから来るゆえの未熟さは誰にでもあることで、僕だってそうだったのですから、それをどの環境だったからどうのこうのという必要はないのでしょうけど・・