Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

記号のもとのレゾンデートル

生身の人間を人として扱わず、本人を意味する『記号』を本人だと見なしている組織が銀行だったりする。本人が窓口に出向いても、カードや印鑑がないとお金は引き出せない。

この人に対する扱いは、顧客だけではなく社員に対しても同じであり、入社年次が社員を示す重要な記号として扱われる。果たして個性や能力の違いを加味せず、年齢で全員を一律に扱う人事制度が綿々と運用されていたりする。出向、役職定年、再雇用がその典型だったりする。


頭数としてしか人員を扱っていないから、業態縮小やIT化によって労働力は容易に置き換えられることになる。


バブル期において頭数だけを揃えることに腐心したメガバンク。土地と株価の上昇局面の追い風においては、目先も考えずに労働力の確保だけに走った。バブルは崩壊し、金融ビックバンにより競争環境は厳しいものになった。すると、途端に採用抑制。

 

食べたいときに食べ、体重が増えたら絶食するという、人に例えたら凡そ賢い人間のする行為ではない。そして、いよいよ年齢も増して筋肉質ではない体となり、外科手術で贅肉を取り去ろうにも、金融機関という最もモラルハザードによる不祥事を起こしてはならない業態ゆえにそれすらもできない。


高い報酬と安定を約束されて人気だった銀行業界も採用志望度ランクの凋落は著しい。魅力的な職場ではないからだ。そして今や自らの意識と行動では変えられない中で、政府主導による体質改善が行われようとしている。


働いている一人一人は、情熱も能力もある。それなのに組織、システムに組み込まれてしまうと抗うことは全くできず、頭数としてしか扱われない。半沢直樹に留飲を下げていたのは、他ならぬ銀行員なのかもしれない。