Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

習慣を変えるには

56歳には見られません…64歳だと言うと40代だと嘘でしょうと言われます…やれやれ。

 


だいたいさ、セサミン飲んだってそんな風には絶対になりませんって。彼ら彼女はそんなもの発売される前から歳を重ねているんですからね。

 


もっといえば、彼らの共通することは食事、運動、気持ちの切り替えといった『習慣』を持っているだけ。『習慣』が地球の重力だとしたら、サプリなんて月の引力程度。ムダムダ。

 


精神を凌駕できるのは、習慣という怪物だけであるといったのは三島由紀夫だけど、それだけ習慣の重力というのは絶大なのだ。いくら精神力がある人であったとしても、習慣の威力には抗えない。仕事の鬼でも喫煙、飲酒の習慣には屈して命を縮めるのである。

 


では、習慣を変えるにはどうするのか?

 


時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変える…大前さんの人が変わる条件でしかないのだと思う。意味のないのは誓いを立てること。

 


僕がランニングという習慣を獲得したのは、結婚をしてマラソンを嗜好する小企業の経営者をしている義父との出会いがきっかけだった。義父はことあるごとにレースに僕を誘ってくれた。もともと持久走選手だったこともあって、うちにレースがなくても走ることは習慣として残った。

 


今となっては、好きとか嫌いとかいう意思とは脇に置いて走ることにしている。もう、20年以上になる。結婚というのは、付き合う人が変わることで自分が変わる習慣を僕にもたらしたのだった。

 


結婚よりもっと手早い方法は、会社を変えてしまうこと。時間配分も付き合う人も、時に住む場所まで変えられるのが転職なのだ。ポーカーのカード全取っ替えみたいに。

 


そうした意味では、今の自分が嫌なのに同じ会社に居続けている人は、変わるためのカードを切らずに、同じ手札で勝負しているようなものなのかもしれないね。