Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

義に生きるか義憤にかられるか

山崎豊子さんは作品で一貫して「義」をもった生き方とは何かということを描いている。そうした作品の中で、「沈まぬ太陽」はかつて大きく影響されとても好きな作品だった。過去形というのは、見方が少し変わったからということになる。

 


国民航空(JAL)で将来を嘱望された幹部候補だった主人公。ちょっとした成り行きから労組委員長となって経営側と対決。処遇改善には大きな貢献をしたものの問題社員としてマークされ、海外の僻地を長期間不当配置され続ける。

 


小説では、親方日の丸で潰れることはないという構図に甘え、利権をもって私腹を肥やす官僚、上層部の腐敗ぶりがこれでもかと描かれている。不当配置が解かれ本社に戻ってきた主人公は、そうした問題に敢然と立ち向かうものの、最後は自分をブレーンとして呼び戻した会長の更迭に伴って再び僻地左遷となってしまう。

 


内容はJALと特定されうるもので、僕は物語を読むと同時にJALという官僚体質の会社に憤りを感じ、JALには数えるほどしか搭乗していない。まあ、スターアライアンスマイレージをためているというのも大きいのだけど。

 


ただ、その後のJALの経営や社員の行き過ぎともいえる処遇の実態を見ていると、「空の安全を守る」という大義名分のもとに行き過ぎた組合運動を展開し、処遇改善を行ってきた 「なれの果て」が経営破綻に繋がったと言えなくもなく。果たして、あの物語の主人公が義に駆られて取ってきた行動とはなんだったのだろうという思いも強くなってきた。

 


中曽根政権時にJALに送り込まれた鐘紡会長の伊藤淳二氏は、結局JALを立て直すことが出来なかった。一番は、利権集団ともえる複雑な労働組合にメスを入れられなかったことにある。あの小説を見ていると、JALの経営を立て直すのは並大抵の事ではないと思えたのだが、稲盛さんは本当に見事だったとしか言いようがない。

 


最近、ブラック企業という事が殊更に言われるようになってきた。社員の人格を否定し、使い捨てにする企業は許せない。でも、かつて、「空の安全を守る」という大義名分の中で、権利志向で経営感覚のない組合の増長を許し、企業の競争力を貶めてしまったJALのムーブメントに何かちょっと似てなくもない。

 


義に生きることは大事だけれども、義憤に駆られている人というのは一番たちが悪い。周りを冷静に見ることが出来ず、自己正当化に走りがちだから。変に感情論で事を煽るのではなく、日本企業が置かれている状況や事実をみて考えた方がいいと思う。その一番の張本人はマスコミだと思うのだけど。