『キャリア』をテーマとする仕事に出会ったのは33歳の時。学生時代の大病を機に、生きていること、はたらくことを考え、時の出逢いと気持ちを大切に仕事を選んできた人間においては、格好のテーマと思えるものだった。ターゲットは、若年。
これを機会に組織・人事へと専門領域を切り替え、再びキャリアに取り組む機会を得たのは40歳。ターゲットは45歳オーバーの中高年。
年齢を経たからといっても、働き方、生き方を深めて考えて来なかったという点だけを見れば、仕事選びができない若年と何ら変わりがない。もっといえば自分を脇に置いて組織に埋没していた期間が長く、アップキャリアの可能性が望み薄の中高年に健全な危機感を持って将来のキャリアを考えてもらうのは、非常に難易度が高い。
何で若い僕が、オッサンの支援をする必要があるのか…という疑問も当初は抱いた。甘えてるんじゃないよ…と。
だが、賃金が高く変われない中高年の正社員の問題を日本企業は避けてきたから、若年に正規雇用の機会が回ってこなかった。小手先の制度改革を何度も繰り返さざるを得なかった。問題の本質は、日本的雇用という幻想にロックインされて、自分を忘れ居場所を見失った中高年社員達の意識、行動変容にある。
電力会社を定年まで勤め上げ、定年後は糸の切れた凧のように規律を失ってしまった父親の姿がオーバーラップした。奇しくも親父は、人事部安全衛生。健康管理の必要性を説く側にいたくせに、自分の健康管理はまるでできなかった。生きること、働くことの自分にとっての意味を見いだしていなかったからだと思う。
様々な企業の中高年向け研修の企画を行い、研修の立ち会った。様々な会社の社員も見てきたが、8割方はまともに考えていないという点は共通だった。何事にも終わりがある、大事なことは先延ばししちゃいけない、という大原則をこの人たちは分かっていないんだ…そう思った。
そして、いつももどかしく思っていたのが研修講師だった。組織論理と個人感情の交差点に立って、適切な運営を行える講師がなんと少ないことか。自分は若いし前には到底立てない。
気がつくと10年がたち、受講対象者と同じ年代。前に立つ機会も多くなってきた。でも、僕がやってしまってはこの事業は拡がりがない。
キャリア研修は、その人の生き方、考え方が隠せない。小手先技が効かない。だから自ずからできる人は限定される。『もっといい講師はいないのですか?』『次回以降も僕でお願いしたい…』いつも悩ましい…
いつかは研修講師とカウンセリングを専門にしても良いけど、今はその時期じゃない。講師として支えてくれる仲間はいないかな…