大人になるということは、愛すべきもの、守るべきものが増えていくという側面があると思うのです。
そして、そうした存在が増えてくれば来るほど、自分の力の全てはひとりひとりに投入できないですし、その存在が柔らかく壊れやすいものであり、仮にすべての力を投入したとしても守り切れない以上は、愛するもの、大切なものが苦しむ姿を見ることから逃げられないわけです。
これは、とても辛いことです。それが自分への期待とのギャップから生じているならなおさらです。
愛すべきものがいないときの寂しさもさることながら、愛すべきものが苦しんだり、哀しんだりする姿を見るのは耐え難いものがあります。
年老いた親、連れ添ってきた妻、心許せる友人、冒険をともにする同僚、迷宮の入口に立つ子供たち…
ー自分ひとりのことだけを考えていたから、この思いを抱えていく自信は今はないけど。いつもと同じ帰り道、君と同じ名前の痛みと散歩するような毎日も悪くはないだろう。
形のないこの痛みと僕は暮らしてみる。形のないこの痛みを少しは可愛がれるように。君の名前を内緒でつけた僕のName of Love-
(槇原敬之Name of Love)
形のない痛みと暮らしていく、その痛みこそが自分が目指してきた大人への代償…
でも痛みは抱きつつも愛する人と笑いあえるように。なぜなら、きっと彼らだって痛みよりも笑い合いたいから。愛という名の下に。