Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

質問の力

質問の体を取りながら、自分の意見を滔々と述べる人がいる。最後まで聞き終わって、何を質問したいのかと思いきや、自分の意見に対する感想を発表者に聞いている始末。


これは、質問の名を借りた自己主張である。大勢の前でこれをやる人は、僕から言わせたら犯罪である。インタビュアーがインタビュイーを差し置いてプレゼンするようなものだからね。質問することは尊いけど、自己主張も大概にした方が良い。


大学のゼミの会合では、必ずこれをする人がいるので僕はすっかり嫌気がさして足が遠のいてしまった。しかも、学校の先生。この人の教え子は、いつもこんな調子で上から話を押しつけられているのだろうか…可哀想に。質問力のない先生って考えることを促す上では、存在意義無しだと思うのですよ。


仮に人の話を聞いて、意見を思いついたとしてもそれをそのまま述べるのはあまりに芸が無い。端的に表現し質問としてぶつけていけば、他の人もプレゼンテーターもどれだけ発想が膨らみ有意義な事でしょう。いい質問は、化学反応を生み出しますからね。


その方は茨城の高校教員なのだけど。あるとき、茨城にある茗溪学園の教育方法の素晴らしさについて述べていた。個人課題研究など自分でテーマを考え、調べまとめ上げていくことをさせている。自分で考えることを重視した先進的教育方針なのだ…と。


『XXさん。僕はそこで6年間学んでいました。確かにそうだと思います』

 

「君が、ああ…そうなんだ…」

 

意外なオチに当人が驚く中、横で教授が微笑んでいる。「石橋。君が兼ねてからそんな感じなのは、そういう教育を受けたからか…」


対局にいる人は、時に自分のポジションを教えてくれる貴重な役割を果たすときがある。でも、考える授業の価値を分かっているなら、質問力こそが要ということは教育現場にいる人でも本当には分かっていなかったりする。

 

もしかしたら、そうしたことが暗黙的に分かっているから、ゼミの授業は楽しかったし、今の仕事でも役に立っているのかもしれないね。