Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

肉体を放り出さない

山際淳司さんが描き出すアスリートの心象世界が好きだった。

 
彼はスポーツグラフィックNUMBERで連載をしており、一番有名なのは「江夏の21球」。80年代は、プロ、アマを問わずエンターテイメントとしてのスポーツは隆盛の時代。そのブームを支える硬派なメディアであったNUMBERで、山際さんの貢献はとても大きかったように思う。

彼の作品の中で、もっとも有名なのは『江夏の21球』。その江夏の21球を収めた『スローカーブをもう一球』という文春文庫に収められている印象深い短編が「ジムナジウムのスーパーマン」。これはトヨタのセールスマンをする傍ら、全日本スカッシュのチャンピオンに君臨し続けた、坂本選手を取り上げた短編。
 

この中で坂本氏はこう語っている。
 

たいていの人間は、どこかで何かを投げ出してしまうんだ。仕事を始めたことを理由に人生観を変えてしまう。女ができたことを理由に生活態度を変えてしまう。仕事が忙しくなったといって現実に足を突っ込みすぎる。結婚したからといって腹が出たのを恥じながらもどこかで自慢している。役職についたとき、あわてて自分の肉体を取り戻そうとする。その時にはもう遅いんだ。肉体を放り出した奴は肉体に復讐される。そういうものなんだ。

この短編が書かれたのは、1981年。彼は、この時を境にチャンピオンから遠ざかり。そして、管理職に上がることもなくトヨタカローラ神奈川で定年を迎えることになる。


彼みたいな生き方って格好がいい。読んだ時から思っていた。僕は彼のようにアスリートとして突き詰めることを目的に生きてはいない。でも、彼の言葉に倣って肉体だけは放り出さないようにしている。それは高校生の時に、図書館で出会ったこの言葉が頭の片隅にいつも残っているからかもしれない。

合理的意思決定の愚かさ

若手メンバーと飲みに行ったときのこと。結婚してよかったこと、メリットってありますか?と数人から聞かれたわけです。

 


僕は、結婚であったり、子供を作るということは合理で決める話ではなく、好きで毎日顔を見たいから結婚するまで。その延長で子供も産まれるもので、いつするのがいいか…とかメリットのあるなしで決めたことはなく。メリットがないと結婚できないなら、そんなのする価値なんてない。結婚は非打算で自己犠牲の愛(アガペーの愛)がなければ成立せんからなあ…

 


なんていう話をしてた訳です。

 


とはいえ、アガペーの愛で結婚ができるかというとそんなことはなく。エロスの愛がなければ無理だと思うのです。

 


でもこうした質問をする人の多くは、男性においては付き合いを長く続け、エロスの愛が充足された状態から、結婚に踏み込もうと頭で考える訳です。そりゃあ何時まで経ったところで決め手はないし、出来るわけない。

 


女性においては、出産年齢の上限もあるし30代半ばともなるといい人に出会える確率も減少する。焦る気持ちは高まるわけですが、長い付き合いで、エロスの愛を都合良く提供していた相手から、状況をブレイクする場面は訪れるべくもないのです。

 


そうなると、税金とか老後とかのメリットや親からのプレッシャーで結婚を決断することになるのですが、そのパラダイムだと子供は一人で40代の財政的余裕ができるタイミング…とかなるわけです。

 


こういう頭でっかちの生き方って、おおよそ不自然です。不自然な生き方をしたことによるデメリットは、生物学的に老化をしたときに気がつくと思います。それは有限性の認識がなく、20代のお勉強ができる頭でっかちさんには分からないかもね。

 

そう。1年後に死ぬと分かっていれば。目の前にいる好きな人と結婚して一緒にいたいと思うものだからです。

身近な女性を意識すること

昔から不思議に思うことの一つ。なぜ男性の多くは結婚をすると、身近な女性の目を気にしなくなるのだろうか?ということ。もっと言えば、結婚をした途端に奥さんの目を気にせず、だらしない体になる人が多いということです。これって奥さんに失礼なんじゃあないでしょうかね。


奥様の方は、たいてい美しさをキープしていたりするのです。それもそのはず。女性というのは特段の努力をしなかったとしても魅力を維持できるのです。体の仕組みからしてそういうモノなのです。(ホルモンのせいなのでしょうね)一方の男性は努力をし続けていないとちゃんとした男性であることはできない。


20代のノリで飲食をして運動もしないと、出張ったお腹と細い腕足を抱えた冴えない男のできあがりです。そんな男と並んで出歩くことなど、望んでいる女性なんていないでしょう。最初からそういう人と結婚した女性ならいいですけどね。


週末は妻と2人で出かける機会が多いのですが、たいてい腕を組んで歩きます。トレーニングを怠っていたりすると、腕が細くなった・・と文句を言われます。お腹が少しでも出ていた日には、風呂上がりに妻と娘にブーイングを浴びること必至です。一番身近な人において魅力的であり続けることって、結構基本なんじゃないか。それを怠って、奥さんや娘さんから無視されたとしても、それは自業自得というもんでしょう。


小さい頃に父親と出かけることが、僕は好きじゃなかった。同じ世代の親よりも歳を取っていた事もあるのですが、頭髪が薄く、小腹の出た親父が子供心にも格好がいいと思えなかったからです。娘にはそういう思いはさせたくない。妻においても同じです。


学校行事などで親が他の子供の目に触れる場所に出れば、その事は周りにキチンと分かるし、本人にもフィードバックがあるものです。いいフィードバックがもらえれば、彼女たちはきっと嬉しいはずです。実際に、運動会や授業参観の後の娘はいつも嬉しそうでした。(友達から羨ましいと言われご機嫌でした)


このことをキチンと意識している人って、どれだけいるのだろうか・・そう思うのです。家族のために働いていたとしても、本当に大事な人の目に映る自分を意識していれば、家庭の中で寂しいことにはならないはずと思うのです。年頃の娘と街を並んで歩けたらそれは絶対に素敵なこと。もちろん妻ともね。


いくら出世をしてお金を稼ごうが、そうしたことが出来なかったら人生の価値なんて半減だと思います。

河床の夜

夜の世界は、贔屓にする馴染みの客を多く捕まえてなんぼ。LINEを交わせば、誘いが来るのも至極当然。

 


どれだけ個人的な誘いであることを文面で漂わせてもそこにはビジネスがある。キャストの役割は、お店に客を呼び込むことにある。


京都ビジネストリップ。禅寺、カフェを巡っていれば僕の心は満たされる。美しい景色や街並みを観ていればいい。移ろいやすい人の心を、旅先に来てまで求めるには僕は甲斐性がなさすぎる。誘いに応じてみようかと思ったのは、育ちのいい伸びた背筋や言葉遣いがあったから。

 


食事の場には、独りではいけない行きたかった場所を選んだ。鴨川沿いにある河床のお店。四条大橋から目に映る河床の店並み。一度、あそこで一杯やってみたい…でも独りでは行けない。

 


台風来訪前日の京都は秋めく風も混じる爽やかな一日。オープエアの河床で食事をするには絶好の陽気。眺河という名前が表すように鴨川に面した眺望抜群のお店。川面を抜ける風を受けながら、京ことばを話す人と一時を過ごすのも時に悪くない。

 


生きる世界がだいぶ違うと思い話していたのだが。彼女は立命館大学経営学部の卒業で、リクルートにも内定を得ていたのだという。僕はリクルートで働いていたし、立命館大学経営学部は入学金も払い込んでいたので、ともすると先輩だったということになる。MBTIタイプは、ISPF(冒険家)でENFP(広報宣伝家)の僕との相似点も多い。

 


印象深いお客さんってどんな人?と尋ねると、前の店の常連のことを話してくれた。投資会社の役員だったが奥さんや子供と仲が悪く、いつもハーレーでお店で乗りつけて誘いに来たり、AUDIを君のために買ってやるとか言っていたのだとか。精神的に危うさのある人で、今は事故を起こして刑務所にいる…

 


お金で繋がる疑似恋愛の関係性。人の心はお金では買えないけど、一時は満たすこともできる。それを永続的に満たすのはなかなか手間がかかる。身を持ち崩すのが関の山…

 


食事だけでは悪いので、1時間だけ同伴でお店に立ち寄り京都を後にした。ここでの発見は、こういうお店の時間単金は企業に提供するカウンセリングとほぼ同じということ。

 


いい子だけれど、夢中にはなれない。妻は別格として、じっくり話をしたい素敵な人は身近なところにいる。袖を振れるよりも触れ合った中に。

 


同じ高い金を払うなら、娘と銀座のバーでカクテルで飲んで語り明かす方がいい。もっとあって話をしたい人と僕は話をしなきゃいけない…そう思った。

組織主導の異動配置

様々な土地に訪問する機会がある。僕はどこじゃなきゃだめだ…というのはなく、自分が求めている仕事があり、好きな人が一緒であれば基本的にどこでも生きていけると思っている。

 


一方で愛着を仕事に持てる訳ではなく、ましてや単身赴任ともなると、見知らぬ場所に住む魅力は大きく減少してしまうだろう。

 

 

 

妻が先日話していたのは、日本の会社における異動配置とそれに伴う単身赴任の理不尽さ。ママ友において家を買った矢先に単身赴任を余儀なくされたり、東京にようやく戻ってこれらがそれも束の間…そう訴える人いたのだとか。

 

 

学生時代の友人において退職のきっかけは、旦那さんの転勤への帯同が圧倒的に多い。これっておかしくない…ということなのだった。

 

 

彼女の父親は会社を経営しているので、転勤などというものは基本的になく自宅から車通勤。休みも自由に取ることができる。そのため長期の海外旅行など小さい頃からごく当たり前だった。もちろん、家で家族が夕餉を囲むのも当たり前。

 

 

僕においても転勤がなく、自転車通勤などをしているので、割合それが普通だと思っていたという。周囲の様子を聞いていると全然違うと思ったのだとか…(今頃気がつくのもどうかと思うんだが…)

 

 

僕の学生時代の同級生においても、パートナーの仕事の問題でキャリアを断念した女性は多くいる。というか、そんなのばかりだ。才能豊かだった彼女たちがライフワークから引き剥がされるのは、その過程を知っている人間からするとあまりにも勿体ないし、切ないものがある。

 

 

時代は変わってもまだまだパラダイムは変わらない。ゼネコンに入った息子が福岡赴任となり、娘においても大宮支店配属。東京本社だが東京で働かないという状況。世の中はそれが普通だったりする…

 

 

今どき本人が勤務地を選べないなどおかしい…と彼女は憤慨する。それによって多くの犠牲が払われてきたのは確か。父親の家庭における存在の希薄化、女性のキャリア機会喪失、専門性の蓄積低下、エンゲージメントの低下…

 

 

組織的にメリットがあるのは分かるが、僕は社名で異動配置をする会社は新卒のときにも選ばなかったし、今後も絶対に選ばない。これからの世の中、組織都合の勤務地異動は無くなっていって欲しいよね…

推し活の心理

手が伸ばせば近くに、でもちょっと手が届かない憧れ。人気のある異性のクラスメートのような存在。『推し』の対象ってそんな人。今や芥川賞小説のテーマにもなる推し活だけど、クラブのホステスやキャバクラが成立している世界も昔ながらの推し活なんでしょう。

 


好きな人や打ち込める対象があると、人は活力が俄然出てくる。僕みたいに原始的な人間ではなおさらで、好きな人や打ち込める対象のいない毎日をいかにつくらないか…というのが物心ついた頃からの指針。

 


ワンウェイでも、身近に好きになれる子でいて、無心に打ち込める部活でもあれば。好きでもない、成果が芳しくない勉学がメインの生活だったとしても、乗り切っていける。推し活の大人と心理は変わらないね…

 


大学は好きな専門を学んで、好きな部活をやり、好きな子がいて。毎日が楽しかった。社会人も同じくすること。本当に好きな分野を都度選び、好きな人と一緒になり、幾つかのライフワーク。

 


好きな対象が現れたときに、表出するエネルギーこそがその人だけが持っている無形の財産。そのエネルギーを誰かのために役立てたり、何かをなし得る原動力になるのだとしたら、それは最上の生き方。

 

 

 

推しで関係が成立する世界では、自分を贔屓にお店に来てくれる人を大事にする、一方である一定の距離感に踏み込ませない関係性が大事。普通に話してご飯を食べたい…どういう心理なのだろ。普段は酒は飲まず黒酢飲んでる。酌をされる高い店は敷居が高いし、行くことはまずないと言ったんだが…

 

 

 

夜の世界を描いた倉科遼嬢王』では、親の莫大な借金を返済すると決めた主人公が、蠱惑的でプロフェッショナル意識の高い同僚を横目に、銀座のキャバクラのトップに登り詰めていく姿が描かれています。夜の街に興味はないけど、主人公の姿に惹かれるところありました。

 

 

 

相手の立場に真摯に誠意を尽くす。一生懸命で健気な姿が主人公の魅力。あざとい人って疲れる。誰もが普通で自然で、本当の姿をいつも探しているのだから。

 

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多様性享受の原点

午前滋賀、午後大阪のダブルヘッダー。前泊入り必須ということもあり、月曜日は朝イチの新幹線で京都入りでリモート会議ルームに籠もってお仕事。

 


最近は容赦なく予定を入れられるので、せっかく京都に来たのに、リモート会議漬けでろくにお昼を食べることもできず夕刻…むむ。

 


夜は中々一堂に会すことのない組織横断メンバーでの懇親会。京都で夜お酒を飲むなんていつ以来でしょう。

 


懇親会は21時に終わり、三条に取ったホテルで一風呂浴びて仕事でもすっかあ…と思っていたのですが、せっかくだから祇園で女性がいるおみせにいくのだと…うーん。僕は一人でお庭を見たり、ケーキを食べてる方が好きなのです。奢りだったとしても…

 


一人になるのが嫌い、誰かと飲みたい。何なら綺麗な女性がいるところがいい…僕にはいまだに分からん世界です。綺麗とかグラマーという人に高いお金を払って酌をしてもらって、予定調和の話をするの面倒くさいんです。

 


さりとて場の雰囲気も壊したくないのでお相伴。僕についた方は、小中高と社交ダンスを習っていた背筋が良く、手足がすらりと伸びた育ちのいい別嬪さん。父親と仲が良いと言っており、自然に会話を楽しめる人。祇園のいいお店だからですかね…

 

 

 

こういうところは圧倒的に年が上の人が多いと思うので、父親と仲がいい人というのはジェンダー、ジェネレーションギャップを苦にしないコミュニケーションができる点でアドバンテージなんでしょう。僕の娘も証券会社の支店長は、仕事に厳しくて結構怒る人みたいですが、僕と接しているせいか何とも思わないみたいです。むしろ、怒れない管理職は仕事に真剣じゃない…と言うくらい。

 

 

 

コンサルタントも夜の世界と同じく、相手を喜ばせてなんぼ。誰とでも屈託なく話せる素養を得るには家庭環境は大事ですね…

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