Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

組織主導の異動配置

様々な土地に訪問する機会がある。僕はどこじゃなきゃだめだ…というのはなく、自分が求めている仕事があり、好きな人が一緒であれば基本的にどこでも生きていけると思っている。

 


一方で愛着を仕事に持てる訳ではなく、ましてや単身赴任ともなると、見知らぬ場所に住む魅力は大きく減少してしまうだろう。

 

 

 

妻が先日話していたのは、日本の会社における異動配置とそれに伴う単身赴任の理不尽さ。ママ友において家を買った矢先に単身赴任を余儀なくされたり、東京にようやく戻ってこれらがそれも束の間…そう訴える人いたのだとか。

 

 

学生時代の友人において退職のきっかけは、旦那さんの転勤への帯同が圧倒的に多い。これっておかしくない…ということなのだった。

 

 

彼女の父親は会社を経営しているので、転勤などというものは基本的になく自宅から車通勤。休みも自由に取ることができる。そのため長期の海外旅行など小さい頃からごく当たり前だった。もちろん、家で家族が夕餉を囲むのも当たり前。

 

 

僕においても転勤がなく、自転車通勤などをしているので、割合それが普通だと思っていたという。周囲の様子を聞いていると全然違うと思ったのだとか…(今頃気がつくのもどうかと思うんだが…)

 

 

僕の学生時代の同級生においても、パートナーの仕事の問題でキャリアを断念した女性は多くいる。というか、そんなのばかりだ。才能豊かだった彼女たちがライフワークから引き剥がされるのは、その過程を知っている人間からするとあまりにも勿体ないし、切ないものがある。

 

 

時代は変わってもまだまだパラダイムは変わらない。ゼネコンに入った息子が福岡赴任となり、娘においても大宮支店配属。東京本社だが東京で働かないという状況。世の中はそれが普通だったりする…

 

 

今どき本人が勤務地を選べないなどおかしい…と彼女は憤慨する。それによって多くの犠牲が払われてきたのは確か。父親の家庭における存在の希薄化、女性のキャリア機会喪失、専門性の蓄積低下、エンゲージメントの低下…

 

 

組織的にメリットがあるのは分かるが、僕は社名で異動配置をする会社は新卒のときにも選ばなかったし、今後も絶対に選ばない。これからの世の中、組織都合の勤務地異動は無くなっていって欲しいよね…