Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

ピボットの法則

クローズアップ現代人生100年時代の生き方」新たな生き方を選んだ電通の社員が何人か取り上げられていました。

 


農業、映像制作フリーランス

 


ピボットの仕方は様々にあるのだと思います。人には様々な潜在能力があるし、人とは異なるパーソナリティがある。だから、幸せの形も多様。

 


思うのは、30代半ばを過ぎたら自己のことはそこそこわかるもので、そこからのピボットは自分の意思、責任でやらせていった方がいいと思うのです。リンダ・グラットンさんも3年ごとに全く関係のない職務や組織に会社主導で変えるような習慣を持っているのは日本だけだ…と言っていました。結局、会社主導の異動配置はピボットにおける「軸足」を不明確にしてしまう。

 


ピボットは、バスケットから来ている用語ですが軸足を固定してパスを出す道を見つけていくこと。軸足を外して3歩以上動けば「トラベリング」の反則です。

 


会社主導の異動配置は、一定を越えていくと軸を見失い彷徨(トラベリング)に繋がっていってしまう。この状態で早期退職というインセンティブを提示されても、踏み出せる場所を見いだせるはずなどないのです。

 


そしてピボットをしながら新たな活路を見いだしていく上では、多様な人とのネットワークが大きなポイントになります。同質性の高い集団に長く属していることは、化学反応も起きずパスを出せるスペースも狭くなってしまう。一方で自分たちの組織を卒業したアラムナイは多様性を持っていることも多く、これを資産として機能させていくことはとても大事でしょうね。

 


リクルートアクセンチュアはこの辺すごく上手くやっていると思います。

子供の就活コーチをする

大学生、ましてや就職活動ともなると親の出番というものはさほどないもの。でも、男女の親との距離感の違いとでもいえるのだろうか。娘については、二人三脚で就職活動に取り組んできた。


志望業界の選定、エントリーシート作成、面談演習


息子たちはそこそこのブランド大学に行ったアドバンテージがある反面、娘はそのアドバンテージはなかったりする。戦略を立てずに素で当たったら勝ち目が薄い。彼女もそのことを分かっていて引け目に感じているところもある。


最初は彼女も自分でやろうとしてみたはものの、書類選考でことごとく落とされ意気消沈。厳しさを目の当たりにしてコンプレックスが一層募るばかり。でも、大学ブランドで就職は決まるわけじゃない。誇りに語れる自分を明確な言葉として持ち得ていないから自信が持てないわけで、特徴、経験をとにかく洗い出し、言葉に紡いで磨き直すことを何度も繰り返した。今更、時間は戻せないのだから。


うちにエントリーシートが通過をするようになり、面談に進むところも出てきた。とはいえ、大手企業というのは各社頭をひねって様々な工夫をして学生を絞り込もうとするわけで、企業研究とともに面談で刺さる話を如何にするか・・ということに知恵を絞る日々。


「お父さんはいいよね、原稿なんか用意しなくてもアドリブでいくらでも口が立つからさ・・私はそうはいかないよ・・」


僕は就職の対策というものは大してしたことはなく、筆記試験は場数で、面接はその場の弁舌だけで突破した人間なので、異なるタイプの彼女に再現性のあるアドバイスをというものを出来る立場にはなかったりする。とはいえ、採用面接というものは何度もしているし、そこで何を見抜こうとしているのかも分かる。だから、相手の視点を踏まえて想定問答の繰り返し・・


3月4月にエントリーした第一群の企業は、最終面接までいったところも幾つかあったものの朗報は来ず。とはいえ、これだけの企業にそこまで面接に進めたことをプラスに捉えて頑張ろうぜ・・まだまだ就職戦線はこれからなんだから・・と慰めつつ。


気持ちが落ち込み行動が止まる彼女にハッパをかけ、エントリーをまとめて行いリスタートの矢先。待ちに待っていた内定の吉報が彼女に来たのでした。


就活中は、彼女は友達にも会わず、週末は僕と自転車で色々なところに行きました。そして、就職活動を一緒に出来たというのもある意味貴重な体験。


考えてみれば僕が組織・人事の仕事を始めたのは、若年就業支援事業(ジョブカフェ)の立ち上げに30代で関わったことがきっかけ。大阪の拠点では就活に失敗したフリーターの方のカウンセリングも行ったりしました。それを思うと原点回帰の経験だったといえるのでしょうね。

近くて遠い早稲田

中学から子供が早稲田に世話になったこともあり、卒業をした今でも家には毎月「早稲田学報」が届く。分厚く読み応えのある中身の詰まった雑誌であり、さすが多彩で文芸に秀でた人が集うさすがの早稲田だけのことはある。(わざわざバラで買う人がいるかは定かではないが、定価1000円もする)


今月の特集は「早稲田と本屋」。早稲田界隈の書店、古書店と卒業生たちの書店にまつわる思い出の特集。


眺めつつ思うのは、書店好きだった人間において早稲田の古書店群には大学時代全く縁遠かったということ。早稲田とさほど離れていない学習院にいたにも関わらず・・である。

学習院というのはすべてがそこに完結された場所だった。


学ぶ校舎、野球部の活動を行うグランド、教科書を買う書店、食事、緑に癒やされる森、心惹かれる女生徒・・全てが同じ場所にあった。だから、毎日大学には行っていたものの、夜に高田馬場や池袋に飲みに繰り出すのがせいぜいだった。


今にして思えば、勿体ないことをしたものである。古書店と言えば、浪人時代に毎日のように彷徨っていた神保町だという意識が強く、間近な早稲田の魅力を堪能する機会を当時は持ちえなかった。近くて遠い場所、それが早稲田だった。


村上春樹片岡義男が好きだった人間においては、その原風景を訪ねるという動機はあったはずなのである。なのになぜなのか。それは、羊水のように極めて居心地の良かったキャンパスに身を置いていたからかもしれない。

 

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オジサンの定義

就職の面接に臨んでいる子供たち。

 


どんなこと聞かれたの?面接官どんな人だった?と僕の興味は尽きないわけです。

 


娘『オジサンだったよ…』

 


僕「そっか、お父さんくらいの人かな」

 


娘『おとうさんは、例外だから。同じなのかな…』

息子『そうそう、確かに例外。その歳でそんな感じじゃないから普通は。』

妻『そうなのよ。いったい、この人はいつになったら貫禄がつくのかしら…』

 

 

 

採用の最終面接を昨日はしたんだよ…などというと、『お父さんは、そういうことをできる人なのか?』と真顔で反応するちょっと天然はいっている息子。

 


やれやれ…

 


家では下らないことばかりつぶやいているからなあ。ジェネレーションギャップをあまり感じさせてないという点で勝手にいいことだと捉えておこう。

『衣』のリストラクチャリング

在宅勤務が中心でスーツを着る機会が激減。新しい環境はさらにその状態に拍車をかけた。

 


この1年でも革靴4足、セットアップスーツ3着、フォーマルな腕時計3本をメルカリやヤフオクで売り払った。革靴はなかなか時間がかかったけど、すべて売れてくれた。

 


おかげで靴箱とクローゼットがかなりスッキリした。やっぱり、余計なものがあるというのはストレスになるというのは本当だと思う。

 


代わりに購入したのは、デニム、ジャケットにウォーキングシューズ。

 


とはいえ、スーツは見た目3割増しと言いますし、

『特に貴方はスーツを着るとまともに見えるから、スーツの方がいいわよ』という側近の意見もあるので、まともな格好というのは新たに模索ですね。

大切なものを捨てるのが挑戦

自分にとって最も大切なものを失う。だが、失うことなくして得られるものは何もない。得られるものが何も見えていなくても、まず犠牲を払わなくてはならない。

 


ユダヤに伝わるタルムードに書かれているNo pain , no gain の法則。ここでは、魔法のザクロという寓話で法則が語られています。

 


10年間世界を旅し修行した上で、一番不思議なものを見つけて持ち寄ろう、と約束した3人の兄弟。

 


一人目はすべてを見通すことのできる硝子のコップ

二人目は空を飛ぶ絨毯

三人目は沢山の花をつけているのに一つだけしかなっていないザクロの実。手に取ろうとすると独りでに手に落ち、残りの花も実に変わってしまう。でも、その実を得ようとしたら、全てが消えてしまった。これは不思議だ…と一つの実を持ってきました。

 

 

 

戻ってきた兄弟が、硝子のコップで世界をのぞくと、病に苦しんでいる姫を助けてほしいと懇願する王が目に入った。そこで、空飛ぶ絨毯で3人は現地に赴いた。そして、ザクロの実を半分姫に与えると病気はたちまち治ってしまった。

 


王はいいます。3人の中でどなたかを姫の婿として迎えよう。それぞれで相談して決めてくれ…と。

 


そこに姫は割って入り、一人一人に質問をします。

 


私の病気を見つけた硝子のコップは何か損なっていませんか? -いいえ、何も。

私のところに飛んできた絨毯は何か損なっていませんか? -いいえ、何も。

私を治してくれたザクロは何か損なっていませんか? -姫に半分を与えたので半分しか残っておりません。

 


姫は言います。私のために大切なものを失ってしまったザクロを与えてくれた方と私は結婚します…と。

 

 

 

これは成功哲学という側面で語られることが多いですが、成長哲学の側面もあると捉えています。大きな成長においてはリスクの高い挑戦が必要だからです。

 


大きな挑戦をすれば、大きな成功も時についてくるかもしれません。でも成功はあくまで可能性です。

 


でも、成功よりも自分に埋もれていた可能性を引き出すということが、生きていくことの使命だと思うのです。マザーテレサもいっています。

 


神様が望んでいるのは、成功することではなく挑戦することなのだ…と。

 


本田宗一郎さんはこうもいいます。

 


困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。人間はやろうと思えば、大抵のことは出来るんだから。

 

失敗もせず問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる。

 


だから、たとえ光が見えなくても住み慣れた楽園を捨てて挑戦することには価値があるのだと思っているのです。

対話の段階

対話には4つの種類がある

 


①雑談のような『儀礼的対話』

②意見をぶつけ合う『討論的対話』

③相手の背景、価値、想いを馳せる『探求的対話』

④探求を発展させた『創造的対話』

 


③④の対話が行えることが理想ではあるけれど、相手との心理的な距離感を縮め理解がなされない限りは、そこには到達できない。

 


それには①がまずは行われている必要がある。

 


最悪なのは、雑談や相手の理解もないままに、相互の意見が交錯するだけの『討論』。これは、相手を論破することに目的があるので対話ではない。すればするほど『わかりあえなさ』の溝が深くなるだけである。

 


イノベーションを起こす組織では、①②が空気のように行えている環境がある。心理的な安全性があり、かつ自己肯定感が担保されている人間は、相手を論破することをせず、異なる視点からの意味づけを試みる。

 


創造的な対話が成立するには、『場』とともに『成熟した個人』も必要なのだと思う。