Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

台湾製万年筆の魅力

日本橋室町コレドにある誠品書店。台湾の書店らしく所々に目新しいものが置いてあります。台湾に行ったときにもわざわざここに行ったほど。日本の蔦谷書店がベンチマークしたというだけあって、単に商品を陳列するという発想ではなくてサードプレイスとしての居心地のよい空間を演出するための工夫が随所に凝らされているからだと思います。


これからの書店は、セレクトショップの要素に加えてサードプレイスの空間を提示できないと、ネットに全て代替されるのではないでしょうか。


ここで必ず僕がいくのが「王德傳(ワンダーチュアン」という台湾茶専門店。本格的台湾茶を飲むならここが一番。横浜中華街の「悟空茶荘」も美味しい中国茶が楽しめるのですが、ここも抜群によい。ここは娘としか来ていなかったのですが、昔から茶にはうるさいカミさんを連れて行ったら大変満足をしていました。4人で行ったので4種類を頼んだのですが、緑茶とジャスミンティーが絶品でした。

 

今回、誠品書店の文具コーナーを見ていて目に留まったのが、スケルトンボディの美しい万年筆。TWSBI(ツイスビー)という台湾ブランドの万年筆。台湾は日本と同じように文具のバリエーションが様々あってとても楽しいのですが、台湾ブランドの万年筆があったなんて全然知りませんでした。


試し書きもさせてもらったのですが、B(太字)のインクフローの滑らかさにすっかり虜になってしまいました。やっぱり、日本と同じく漢字文化ですから日本語を書くのには利点があるのかと思います。


帰ってから色々と調べてみると、TWSBIって最近マニアの中では人気のある万年筆なんですね。セーラーやパイロットに比べると歴史は浅いですが、OEMで技術力を磨いてきただけあってよく出来ていますし、デザイン性が抜群によい。ペン先がスチールということに対する拘りがなければ日常使いにおいては書くことが喜びに変わる素敵なギアであること間違いなし。


店員さんに聞いたらプランジャー式の新作が3月末に入荷されるとのことで、それが入ったら購入を考えてみようかな・・

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リモート授業の福音

1,2年はフィジカル面で大きな障害に直面した我が家の長男は大学への登校も滞りがちになり、ほとんど単位を取れなかった。


本来であれば大学は自分の学びたい専門に絞り込むため学問も楽しいし、多様な仲間との関わりにより大きく世界が拡がる。学生生活において、大学生活というのは最も充実し楽しいものであったし、彼においてもそうだろうと思っていた。でも、彼にとっては違っていたようだ。


どう計算をしてもこのペースでは4年で卒業をすることはできない。それよりも、この状態がフィジカル面から来ているため、何か言語的な説得を試みるのも意味のあることとは思えなかった。ここは時間をかけて信じて見守るしかない。


3年生の時からフィジカル面がだいぶ戻ってきた。目の光も少しずつ戻ってきた。4年生は相当に単位を残しているが生真面目な息子のことだ。彼なりに考えてなんとかするだろう。


就活も相変わらずマイペースでスロー。これが早稲田の余裕ってやつなんだろうか・・

 

本命は逃したけれども、彼なりに納得のいくところに決まったのは何よりのこと。まあ、合っていなければ後で変えれば良いだけのことだからね。後は卒業を無事するだけ。


先日、卒業が決まったとの報告があった。息子は不安をおくびにも出さずクールに構えていたので、まあ順当に決まってよかったなあ・・と受け止めたのだが、彼が年次別の単位取得率をエクセルでグラフにして見せてくれた。1年で10%、2年で20%、3年で33%、4年で37%。124単位が卒業基準のところを128単位という結果だった。


4年で37%も残している状態というのは、かなり薄氷の状態である。1限から最終時限まで月曜日から土曜日までほぼびっちり入れて取りこぼしは許されない。アルバイトや部活なんて入れることはできないし、就活にも影響が出るレベルだ。


ただ幸いにもコロナだったこともあり、授業はリモート。オンデマンドで見れば良いのでライブ参加の必要もない。だから就活も普通に行っていたし、アルバイトも色々やっていた。コロナ渦で大学生の受難が叫ばれているが、彼においてはコロナは恵みの災厄だった。リアルの授業だったら体力的にもかなり厳しかっただろう。


そして、リモートになったことで授業の質もある意味で進歩したのではないか?と彼はいう。

 

「確かに退官間際の教授などは書籍を買わせ、かつて対面授業の時のレジュメを送るだけ。時々、質問を投げかけるだけ。手抜きも良いところだけど、もう退官だから改善する気もない」


「コロナでリモートになったことで、記憶を確認する試験は全く無意味なものになった。カンニングなんて簡単にできるからね。だから、考えや意見を問う試験が多くなった。ネットを調べれば出ていることを確かめるなんて意味がない。採点する方は大変だけど、その方が本質的な学びだと思う」


確かにその通りだと思う。そして彼の様子を見ていると、リモート授業になったことで社会人や子育てをしている主婦のような制約を抱えている人においては、学びのハードルが圧倒的に下がったと思う。後は、授業料の妥当性だね。生徒だって教室の制約がないからもっと多くとれるし、使っていないファシリティの費用を負担するなんてどう考えても割に合わないものね。

人は変わっていけるもの

人には様々な能力の可能性が埋もれていると思うわけです。自然に発露をしている人を人は「天才」と呼ぶわけですが、多くの人における能力は自然に発露するのではなく何かのきっかけで覚醒、発露することが多い。タイミングだって若い時に限らない。自分という存在を肯定し、機会を貪欲に求めていけば様々な自分を見出すことができるはずです。


よく、もう若くないから・・と自分の可能性に蓋をしてしまう人がいます。また、培った経験やスキルに限定した貢献をすることが「自分の人生」と決めてしまう人も多い。本当にそれが「自分の人生」なら、後悔は残らないと思いますが、やらないことの言い訳に過ぎないのならそんな事思わない方がいい。そもそも与えられたギフトを土に埋もれたまま放っておいてしまうことを神様は望んでいない。それが、タレントの語源になっている新約聖書 マタイ25章「タラントの教え」です。


一方で大概において人は愚鈍な存在であり、与えられたタラントを土に埋めたままにしておいてしまうもの。人の冒す4つの罪、①思い ②言葉 ③行い ④怠り の4つ目にわざわざ別格にして定義されているほどですから。


では、「怠り」を犯してしまうのが人というものであるならば、それをブレークするためには何をすべきなのか。そこにおいては、誓いを立てることでも、赦しを請う事でもない。ましてや目の前のことに懸命に取り組むことだけでもない。やっぱり、自分の可能性に期待をして新たな機会を託してくれる人に出会っていくことが一番のこと。人は出会う人によって変わっていくものだから。


でも、どのような人に出会い、その人と絡んでいくことになるのかというのは、どこまでいっても操作できるものではなく、その人の持つ「業」のようなものに左右されることも多い。それを宮本輝さんは「命の器」だと言っている。

 

~運の悪い人は運の悪い人と出会ってつながり合っていく。偏屈な人は、偏屈な人と親しみ心根の清らかな人は心根の清らかな人と出会いそしてつながり合っていく。


「類は友を呼ぶ」という ことわざが含んでいるものよりもっと興味深い法則が人と人との出会いを作り出しているとしか思えない。仏教的な言葉を使えば宿命とか宿業であったりする。それは、事業家にも言える。

伸びていく人は、たとえどんなに仲が良くても知らず知らずのうちに落ちていく人とは疎遠になり、いつのまにか自分と同じ伸びていく人と交わっていく。たくらんで、そうなるのではなく知らぬ間に そのようになってしまうのである。

抵抗しても、抵抗しても自分という人間の核をなすものを共有している人間としか結びついてゆかない。私は最近やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中の一つに気が付いた。「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。

でなければ、どうして「出会い」が一人の人間の転機となり得よう。どんな人と出会うかは、その人の「命の器」次第なのだ。(抜粋了)


この論に従うと、持って生まれた才能があったとしても、その人の「命の器」によってそれが花開くも、開かないも決定づけられてしまう・・ということになる。これは、全く面白くない。


であれば加えていきたいのは、小林秀雄さんの「人には偶然を必然に変えていく力がある」という考え。


精神の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である、しかし(社会改良家が、人間の幸不幸のありかを外的偶然のなかに探そうとするように、)空想的ではない。


だから、自らの可能性を信じて行動し続けていく、し続けていくことが人生だと思ってもっていれば、そう思う人に出会い双発しあうことによって、人は変わっていける。何歳になってもね。その上でやっちゃいけないことは、慣れた人間関係の中で安住することを「選択」することなのだと思う。

私の色は何?

これといって興味のある会社や職種といっても全くイメージできないのだけど、大手町で働いてみたいかなあ・・と言って憚らない娘。


「大手町の最新のビルで働いていたとしてもね、飽きるよすぐに。実際に働いていたけど昼食は高いし。カジュアルに自転車で通勤できるような環境じゃないし。たまに行くくらいでいいのよ」


『そもそも、お父さんってかなり変わってるし。すぐに飽きるからね。だって、大手町の普通なら絶対文句なしに行くような会社のオファー断っちゃうしね。だいたい、自転車で通勤できるようなところがいいから大手町の会社に行かないとか、理解不能だし・・』


まあ、そうかもしれない。


とはいえ。働くうえで「オフィス」なんてものは衛生要因ですから、よほど酷くなければいいのです。まあ、ハーズバーグモデルの説明を彼女にしても仕方がないので、will-can-mustで仕事は考えよう。そもそもキャリア教育学校で受けているだろ?自己分析してないの?と聞くとそんなのやっていないという。


今どきの女子大なら必ずやっていると思っていたが、あてが外れた・・うむむ灯台下暗し。娘は授業をきちんと受けているのか・・??(人のこと言えないが)


早速、RIASEC、MBTIを彼女に受けさせたわけです。今度はアンカーも受けてもらおうかな。


RIASECだとA(芸術的)、E(起業的)が高い。MBTIは、僕と同じでENFPだった。どおりでいつも気が合うはずだと思った・・


ENFPはかなりユニークなタイプなので、事務系一般職などは間違えても受けない方がいい。会社に行くのが嫌になるから。企画型の法人営業とかが一番いいんだよね。で、大手町には拘っちゃだめよ・・日本の中心で仕事している気分になるって、ドラマの主人公に憧れる地方の人みたいですもの・・君、東京の人でしょ。もっと、セルフセンターで考えなきゃね・・お父さんがどういう仕事を選んでしているか、同じタイプなんだから分るでしょう・・


『確かに、お父さんは自分に合ったいい仕事をしているよね・・運がいいよね・・』


それは、興味のあったことをキーワードにして仕事を選んだし、何度もアジャストしているからだよ。興味のあることとないことがハッキリしているし、自分に合っていない仕事をお金を稼ぐためだけに選ぶというのは、自分から牢屋に入るものだからね・・努力とか我慢とか嫌いでしょENFPはね。毎日楽しく過ごしたいでしょ?違う?

 

少し、反省したのですが。彼女はそもそも自分と僕とは全く違う世界に生きている人だと思っていたみたいです。コンサルティングという仕事をしているというだけで、自分はそんなことできないしなれっこない・・と。友人においてもそういう人というのは、相当学歴も高くて頭もよくて自信があって。自分は全然違うんだ・・と。


とはいえ、パーソナリティが似ているのであれば、仕事選びの基準においては、同じ目線で考えていくことができるはず。価値観の押し付けにもならない。もちろん、MBTIは一つの断面にしかすぎませんけど。

でも、こんな些細なことにおいても大人になっても分かっていない人が多いのですよね。だから今の時点から自分の色に関心をもって仕事を考えるというのはいいことなのだろうと思ってます。

ネット就活の弊害

就活シーズンになった子供たちとどこにアタックしていくか。ということを会話しているのです。


双子の次男は、小さい時からかなりユニークで、画才があって文章が上手い。一方で人と合わせて物事をするのが不得手。口から生まれたような僕と違って弁論もあまり得意ではありません。少なくともダークスーツを着て就活をするような普通の会社は絶対に馴染まない。本人もよくわかっています。かといってどこに行っていいかというとてんで分からない。


バイト選びも選定基準が「時給」しか思い浮かばないので、パワハラの居酒屋を選んだり失敗ばかり。(まあ、それもいい経験だよね)


ネット就職は自分の軸を踏まえた「絞り込み」が肝心なわけです。少ない人生の経験値でもって目についた有名企業や業界軸で会社選びをすると、彼のようなユニークで志向性がはっきり決まっている人間には連戦連敗、ミスマッチは目に見えています。


とりあえず、リクナビマイナビをざっとウォークスルー。引き出した仕事選びのキーワード「クリエイティブ職」で就けそうなところは、ここには殆どないということを分かってもらう。電通博報堂といった広告業界はあるにしても昔から熾烈な門であるし、ソツノのなさが要求される。不器用な彼においてはまったく不利な戦い。


勝負というのは、負ける戦いはしない、自分の有利な土俵に持ち込めるところに限る。入ってからも同じ。


彼に言ったのは、メジャーの就職メディアは基本的に当てにしない。クリエイティブ職においては、ネット広告系ベンチャーであれば数多あるし、それはメジャープラットフォームには載っていないので、ダイレクトかベンチャーに特化したマッチングサイトを使うべきで。そこを教えてあげる。すると、彼の興味を引く企業がいくつか見つかるわけです。

 

「ああ、こういうところ理想的なんだよね・・」
だんだん目つきが変わってきます


今度はその会社を今度はキーワードにして会社選びをしていく。


就活において、多くの学生は自分の潜在ニーズを言語化できないままに、リクナビマイナビといったメディアに飛びつき、目視できるキーワードに流されていくのです。人気ランキングの顔ぶれが未だに大して変わっていないのは、ネットという情報の大海にアクセス出来るようになりながらも、そこから自分に合った会社を絞り込んでいく「リテラシー」が大して学生側にもてていないことがその証左。


ネットだと「偶然の出会い」も断然減るしね。紙だったら、たまたま括っていたページの写真に目に留まってということがあるけどね。そういう点ではネット就職というのは便利だけど弊害も多いなと改めて思うわけです。

苦悩への意味がアイデンティティ

フランクルの公式。絶望=苦悩-意味。

人生における苦悩(トランジション)の到来はコントロールできない。諸行無常であり仕事、自分、家族の変化に伴って生じる苦悩は、生きている限りは尽きることは無いだろう。

そうなると、その苦悩を前提にどう「意味」を置いていくのかがカギになる。そして、その「意味」こそがその人らしさ、アイデンティティとも言える。


ある苦悩において見出した「意味」は、異なる苦悩には同じく適用できない。だから、訪れる転機(苦悩)の度に新たに意味を模索していくこと、それこそが個性化に至る道であり、キャリアそのものなのだと思う。


広島大学の岡本先生は「アイデンティティの螺旋形発達モデル」というものを提唱している。このモデルをフランクルの公式と合わせて見ていくと非常に味わい深いものになる。


2つのモデルからは、苦悩は見出せなかった自分を見出すための好機であるという捉え方もできる。もちろん、苦悩は無いに越したことはないけど。


一番リスクが高いのは、自分のアイデンティティを根底から覆してしまうような苦悩を味わうことなく、成功体験だけを重ね中高年を迎え、そこでアイデンティティを奪われるような出来事に直面すること。特に中高年男性においてはライフイベントでの転機が少なかった分、転機に対する免疫が低い。それによって起こるのが中年の危機(ミッドライフクライシス)だともいえる。


座禅においては打たれまいとすると、却って体に力が入り、打たれてしまう。であれば、考え方を変えて自ら打たれに行こうとする姿勢をもつことが肝要。


さすれば、転機は自らのアイデンティティを拠り所に創りに行くのがベスト。ただし、転機というのは「何かを終えること」をしない限りは訪れないということをどれだけの人が分かっているのかしら。

人は環境に隷属する生物

『人は環境に依存する生き物。いくら頭でこうしようとか考えていても、環境次第で変わってしまうものなんです』(養老孟司)

 


仕事においては、『何を』『誰と』『幾らで』という3つの判断要素がある。専門性コミットメントの観点では、『何を』『幾らで』という要素が重要。また、『どこで』という要素は、プロフェッショナルキャリアにおいてはウォントであってマストではない。正直、知名度やブランドなんてどうでもいい。

 


見過ごせないのは、『誰と』という要素。誰と一緒に働くのかというのは、能力の覚醒という観点でも精神衛生の維持という観点でも一番大きな影響性を持っている。リンダ・グラットンが人的ネットワークを変身資産だと名付けたのは言い得て妙だ。

 

 

 

一緒に働いている仲間が心おけない信頼できるいい人であれば、『何を』『幾らで』は多少妥協ができる。持ち味に配慮し、成長できる仕事を与えてくれる、存在・行動・成果を認めてくれる上司や同僚。これはプライスレスな価値だ。バズワード的にいえば『心理的安全性』。

 

 

 

これが崩れてしまったとき、『何を』『幾らで』が論点になる。

 

 

 

そうならないようにするためには、採用において、学歴、職歴という情報や面接という合目的的な会話ではなく、ざっくばらんな対話での印象を大事にすること。様々な人に会ってカジュアルな会話をして、一緒に働きたいか…を判断してもらう。それで良いとなったら、そこで初めて職務経歴書をチェックして面談をする。

 

 

 

組織の人間関係というのは、エコシステム。たった一人の異分子が入るだけで、ネットワークが壊れてしまうことがある。特にマネジメント職であればなおさら。

 

 

 

違う側面においては、キャリアというものは誰をパートナーに選び生活をともにするかで左右されてしまうもの。全国配置転換を前提とする金融機関のような職場においては、配偶者のキャリアというものは完全になきものとして扱われる。家庭人としての役割も軽視される。

 

 

 

スーパーのライフロールレインボーで言えば、職業人としての役割だけで、他の役割は果たせない。マルチステージキャリアの実現においては、夫婦の役割分担こそが鍵だが、これも期待できない。

 


自分らしいキャリアを描きたいなら、相手の性格や勤め先が極めて重要といえる。『誰と』一緒に生活するかは、環境そのものでありそこには人は抗えないのだから。