Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

6%の熱意

ワークエンゲージメントにおいては、「専門性コミットメント」「職業的自己イメージ」「主体的キャリア形成」が正の影響を与えている。

 


働く上で、自らの専門性について意識し、職業的自己イメージを有すること、主体的にキャリア形成することがワークエンゲージメントを高める要因である。

 

 

 

ギャラップでは、上司の問題を指摘しているが、前提にある人事制度、異動配置といった日本の人材マネジメントそのものがワークエンゲージメントの阻害要因になっていると思える。

 

 

 

まず、専門性コミットメントを促すならば、『総合職』という英訳不能の得体の知れない職種は無くし、ジョブ型に移行させていくべきだろう。また、その上では詳細なジョブディスクリプションは必要がない。自己決定感が減少するし、JDのメンテも難しいから。

 


大まかな職務を提示し、セルフコントロールによる目標設定とパフォーマンス管理というMBOの原点に立ち返る。マネジャーは、前者を前提としてタイムリーに摺り合わせとフィードバックをする。基本的に人に興味のない人間には、マネジメントをさせない。なぜなら、マネジャーも専門職だから。

 


ジョブを中心にした組織と個人の対等な関係を結んでいけば、自ずから緊張感が生まれ主体的キャリア形成が促されるだろう。

 


フリーランスの方がワークエンゲージメントが高いのは、ジョブをベースとして組織と契約を結ぶジョブ型になっているからに他ならない。結局、無期契約社員として安定を担保していても、不明確な専門性と低意欲の社員を生み出しているだけなんだよね。

Quick & Dirty

新たなサービスやプロダクトを開発していく上では、ニーズ仮説のもとにプロトタイプを早くリリースし、市場の反応を確かめながら完成度を上げていくアプローチを採っていくことが効率的。


マーケットのフィードバックを得ずに内に籠って製品の完成度を上げたとしても、余計な時間を要して機会損失が生じるとともに、価格転嫁できない不必要なことに労力を割くだけになってしまう。


日本と米国のモノづくりの対比としてよく言われるのが、日本がとにかく「完成」の基準にこだわるがあまり、市場へのリリースをせずに完成度を上げるべく時間と労力をとにかくかけるのに対し、米国はベータ版として不完全な製品やサービスを市場にどんどんリリースして、その後に完成度を上げていく。スピードという観点でも、適正な顧客ニーズの反映という観点でも米国型の方が理にかなっているわけで、「完成」の基準が内向き観点で異様に高い日本においては、競合の動きに乗り遅れてしまうことも少なくない。


「Quick&Dirty」


たたき台をスピード重視でリリースする。そして、色々な人に叩いてもらって完成度を上げていくというアプローチは、仕事においても同じ。ネガティブな意見を聞きたくない人においては、とにかく人に成果物を見せようとしない。締め切り間際になって、まったくオーダーしたものと違うものが出来上がってくる。当人のエゴや小さなプライドに縛られて、結局は全体に大きな迷惑をかけることになる。自己肯定感が低い人はこういう仕事の仕方を何度注意をしても直せないわけで、結論としてそういう人は「正解」のないコンサルティングのような仕事は全く向いていない。


この原理原則は、エンプロイアビリティを上げていくときにおいても同じ。


日本のメーカー的な「完成」のパラダイムに縛られている人に多いのが、とにかく箔をつけようと資格取得や学校にいくことがエンプロイアビリティを上げることに繋がると思っている人が未だに多いということ。結局、資格やMBAなど投資する時間と労力に見合ったリターンが来るわけではない。見返りを期待するのではなく、それが自分自身にとって「楽しい」のならいいけど。


それよりも、自分自身のスペックを職務経歴書という形で明らかにし、マーケットにリリースしていく方が遥かに効率的。もちろん、そこには見る相手の視点が反映されていることが必要になる。ただし、相手が抱えている「問題」という「不」は相手によって全くことなるものであり、多くの人の目に触れていけば、「価値がある」と判断してくれる相手とのマッチングも生まれてくる。そこには高い価値が付く。それが市場原理だ。


結局、「価値」というものは絶対的なものではなく相対的なものであるのだから、資格や学歴といった「絶対的なもの」に依ることには何の意味もない。とはいえ、マーケットに早くリリースしていくことが、良いサービスやプロダクトを作ることに繋がるという原則を分かっていないと、この間違えた努力をすることになってしまうんだよね。

JAL123便の謎

520名の死者を出した日航123便の墜落事故は、尻もち事故を起こした際のボーイング社の圧力隔壁修復ミスが原因で起きたと言われている。


圧力隔壁が壊れたことにより、与圧を与えられていた機体内の空気が後部から噴出し、垂直尾翼を破壊したことにより、操縦不能に陥ったというもの。だが、この事故調査委員会の出した結論は様々の観点から疑問が呈されている。


・急減圧が起こったのなら、酸素マスクを着けなければ3分も意識を保てない状況なのに、クルーも乗客もつけていないこと。助かった非番のCAも息苦しさは無かったと言っている
垂直尾翼が破損した際の爆発音の7秒後に、機長が「スコーク77」を出しているが、これは最高レベルのSOSであり、短い時間の間に出すものとしては極めて異例であること
伊豆半島沖に落下したと思われる垂直尾翼の部品は、場所が特定されつつも引き上げが行われようとしていないこと


よって垂直尾翼の破損は、内部からの破壊ではなく外部からの破壊である可能性が浮上してくる。


偶然にも機内から撮影されているのは、オレンジ色の物体が機体のそばを飛んでいるという事。これは、自衛隊の飛ばした訓練用の試射ミサイルがオレンジ色であることから、航空機にロックオンして発射させた上で、垂直尾翼を打ち抜いてしまった可能性。


ミサイルであれば、ぶつかる前からコックピットから補足されていたはずであり、ぶつかった直後に機長がSOSを出すのも合点がいくのである。この時の機長は、元航空自衛隊パイロットであり、外敵による攻撃を受けた際にも発信する「スコーク77」を即座に出したのも、手前から異常事態を把握していたからだと考えられる。


また、機長が出した「スコーク77」は外敵による攻撃を受けたことによるSOSでもあるので、その後日航123便は、自衛隊によるコントロール下に置かれることになる。具体的には、2基のファントム機が123便を誘導する形で並走した。これも目撃がなされている。よって、自衛隊は落下地点を完全に補足できていたということになる。また、ボイスレコーダーにも自衛隊との交信があるはずだが、すべて削除されてしまっている。


墜落後の問題は、墜落地点が特定されなかったために救助が遅れたことにあるが、事故による墜落を隠蔽するために敢えて情報を錯綜させた。群馬の民間人による警察への通報も無視され、米軍ヘリによる救助の申し出も早々に断り、結果として12時間後の救出になる。


この空白の時間においては、自衛隊による証拠部品の回収が行わていたとの話がある。まだ息の合った遭難者の救助を試みた自衛隊員が射殺されたという情報もある。(NHKの臨時ニューステロップで流れ、その後訂正されている)


真偽の定かではない情報だが、ファントムに誘導された123便横田基地に着陸を試みるものの、事件が明るみになることを恐れたファントムが横田への着陸を阻止し、これにより西への旋回。最後はエンジンをミサイルで打ち抜かれているとの話もある。(残骸からミサイルの部品らしきものが発見されているようである)


時は、国会で自衛隊予算1%越えの攻防をしていた矢先。自衛隊による不祥事はなんとしてでも避けたかった中曽根政権によって、事実は完全に隠蔽された。ボーイング社は濡れ衣を被った代わりに、優先的に機体を購入する、米政府の要求に基づきプラザ合意を取り交わす・・この事実を永久に隠蔽するため特定秘密保護法案が上程され、その後幾星霜を経て可決。


事件後において、日本航空は非難の矢面に立たされ、経営悪化の一因にもなる。事故原因はボーイング社の責任とされながらも、ボーイング社も賠償、刑事責任を負っていない。日本政府が自衛隊をかばうために政治主導で「なしをつけた」のであれば、この有耶無耶な決着にも、その後の日本航空への公的資金注入による支援についても合点がいくのである。


1985年から遡る1971年においては、自衛隊機と全日空機の空中衝突事故が起きている。この時は150名近くの人が亡くなっている。何としてでも、同じ事件が明るみになるのを避けるために、嘘を嘘で塗り固めた人災・・。なのだとすると乗客は日本政府に殺されてしまったという事になる。被害者は日本航空としても同じ。


だとすると、どんな事が起こったとしても日本航空は守られていくであろうし、ボーイングアメリカ政府にも頭が上がらない。アメリカにおいては、JFケネディの暗殺の真相を知るというは、国民としての永年の願望。日本においては123便の真相を明るみにすることが大義と思えてならない昨今なのである。

TYさんのこと

谷村有美さんの曲は独身時代によく聴いていました。軽快な語り口のラジオパーソナリティも好きでよく聞いていましたし、コンサートにも何度か足を運んだことがあります。


彼女の歌は、青春期のステディがいない不安定さと孤独を内包した人に、明るく前向きな勇気を届ける曲が多く、自分を肯定しブルーな時に気持ちを高揚させてくれるものでした。


90年半ばにかけては彼女はアーティストとして、メッセージを届けるべき相手とテーマの限界に突き当たっている感じがしていました。表情からも鬱っぽいものが見え隠れし、アルバムの曲もどんよりと憂鬱な曲が多くなります。絶大だった人気にも陰りが出てきて彼女は休業を宣言します。


今の旦那さんとの結婚が報道されたのは、彼女が表舞台から姿を消してしばらくたったころ。

 

彼女の歌でイメージしていた理想像からすると、えらく年上で社会的にも成功した「出来上がった人」を選んだものだな・・と思ったものですが、まあそれはそれでよかったことだと思ったものでした。なぜなら、アーティストとしての彼女の路線は、もはや完全に限界にきているように思えたからです。傷ついた自分をテーマにしていけばいくほど、不幸な自分の暗示にかかるだけですし、共感もできないですしね。


戻ってきたジョブズの復活劇の余勢を駆りて、Appleジャパンの業績も好調。H氏は一躍時の人、企業立て直しのプロとしての名声があがりました。一方で昔からのAppleの事情をよく知る人からすると、優れた人材はみな外に出てしまい、ある意味で残留者利益を手にしただけ。なのに自分の実力と勘違いしているところがあるよね・・と。


H氏がどうであろうと僕にとってはどうでもいいことではあります。ですが、青春期において贔屓にしていた、ある意味で憧れていた人において、こういう事件が訪れると、なんかちょっと複雑な気持ちになりますね。

こんまりメソッド

『こんまり®メソッドとは?近藤麻理恵が提唱する「片づけをすることで、人生を変える」メソッド。特徴は、残すものを「ときめくかどうか」の基準で選ぶこと。』

 


『片づけを通して自分の内面をみつめ、自分が大切にしている価値観を知ることで、二度と散らからない家をキープできるだけではなく、キャリアや人間関係など、人生における全ての選択において大きな変革をもたらします。』

 


大切にしている価値観を基準に物事の優先順位を決め、低いものは選択しない…これは片付けだけじゃないよね。仕事、人間関係、時間の使い方…

 


特に自分が手掛ける仕事、所属する組織こそ、『ときめくかどうか』で選んでいきたいもの。

 


結局、「ときめかないもの」はモノであったら大切にしないし、乱雑に扱う。仕事だったら出来栄えに執着せず、対価以上の労力をそこにかけようとしない。成長もしないし、心も財布も満たされない。月曜日が憂鬱になる。

 


すべてにおいて自分の価値の軸を踏まえた選択をする。それが心を煩わされず心豊かな生き方をしていく上での法則なんだということなのでしょうね。

安物買いの銭失い

安物買いの銭失いとは、何もモノやサービスを対象にした格言ではない。長いキャリアの中で痛感するのは、報酬を出し渋る会社においては長い目でみてケチった報酬より多くの銭を失うということ。

 


まず、業界や競合に比べて報酬水準が低いと、そもそも採用候補者が挙がってこない。ようやく挙がった候補者に手間暇かけて面接しオファーをしても、まず逃げられる。要は採用コストがかかるのだ。

 


仕方がないので、ハードルを下げて採用をすると、生産性も低く伸び代もなかったりする。意欲も低く、すぐに他責にする。残念な人材というのは、本人の報酬よりはるかにマネジメントコストがかかってしまうのだ。かといって一度採用した人材をリリースすることは実に困難。

 


そのしわ寄せは仕事のできる社員に集中しつつも、その努力は報われない。結果として優秀な社員から組織を去って行ってしまう。残っているのは、制約つきの社員だけということになる。

 


この状況は、紙と鉛筆だけで付加価値を創ろうとする仕事であれば致命的。

 


報酬を安くしてもそこで働いた事がプレミアムになるようなブランディングができればいいかもしれない。アルバイト先におけるオリエンタルランドスターバックスのように。こういうところであれば、いい人材が辞めてもそれを補う人材を採れるだろう。

 


でも、そういう状態を創り上げるにはそこにも投資が必要。結局、人がすべての組織において競合より早く成長していきたいのであれば、報酬をケチるというのは全く合理的ではないのだ。

 


もしそれが分かっていても出来ないのだとすれば、内向きの論理がそこには作用しているとみていいだろう。

 


既存社員や異なるビジネスモデルの組織に属する社員との比較という観点だ。

 


いわば、外部労働市場観点に立った報酬設定ではなく、内部労働市場の平等性に配慮した意思決定ロジックということ。この時点で成長することを放棄したといって過言ではない。ただし、大企業においては戦略子会社を作ろうとする際に必ず陥る罠でもある。

 


これをブレークするには、大局観をもち内部論理に流されない経営者が必要。だが、親会社からの傀儡政権においてはここも全く期待できない。

 


結局、戦略子会社が伸び悩むのは、意思決定が内向きになるという一点になる。まさにイノベーションのジレンマそのもの。急速に伸びている会社は、意思決定の基準が外向き。その際たるものが報酬なのだと思う。

越境体験がもたらす専門性

働く上で専門性を身につけていくことの必要性や重要さを否定する人はいないと思います。一方で、専門性とは目的ではなくあくまで手段ですから、目的を間違えていると価値を持ってこない。


目的とは、「与件に基づき正解を導き出すための専門性なのか?」それとも「正しいことは何かを考え、解を創出し出口に導いていける専門性」のどちらなのかということ。


社内で漫然と経験を積むことで身につけられる専門性とは、しょせん前者でしかありえません。与えられた条件において正しく、効率的にタスクをこなす上で必要な専門性。でもその専門性は社外で通用しないことがほとんど。ですので、同じ与件が保証されている同じ組織に留まることに拍車がかかります。慣れてくることによって手抜きも起こる。ひいては、雇われる力(エンプロイアビリティ)も低下します。


間違えた認識のもとに、専門性を身につけたのにどこにも通用しない、市場価値も下がるという現象に多くの人が突き当たっているように思います。


正しいことは何かを考え新たな解を導き出す力は、異なる与件に数多く向き合っていくこと。別の言い方でいえば、「越境体験」を数多くこなすことだと思います。

 

それは、本人の本質的な専門性を向上させるだけではなく、相手や取り囲む社会にも利をもたらしていく。法政石山先生が言うように越境体験は、相手も自分もWin-WIn、さらには「三方良し」になる可能性を秘めていると言えそうです。