谷村有美さんの曲は独身時代によく聴いていました。軽快な語り口のラジオパーソナリティも好きでよく聞いていましたし、コンサートにも何度か足を運んだことがあります。
彼女の歌は、青春期のステディがいない不安定さと孤独を内包した人に、明るく前向きな勇気を届ける曲が多く、自分を肯定しブルーな時に気持ちを高揚させてくれるものでした。
90年半ばにかけては彼女はアーティストとして、メッセージを届けるべき相手とテーマの限界に突き当たっている感じがしていました。表情からも鬱っぽいものが見え隠れし、アルバムの曲もどんよりと憂鬱な曲が多くなります。絶大だった人気にも陰りが出てきて彼女は休業を宣言します。
今の旦那さんとの結婚が報道されたのは、彼女が表舞台から姿を消してしばらくたったころ。
彼女の歌でイメージしていた理想像からすると、えらく年上で社会的にも成功した「出来上がった人」を選んだものだな・・と思ったものですが、まあそれはそれでよかったことだと思ったものでした。なぜなら、アーティストとしての彼女の路線は、もはや完全に限界にきているように思えたからです。傷ついた自分をテーマにしていけばいくほど、不幸な自分の暗示にかかるだけですし、共感もできないですしね。
戻ってきたジョブズの復活劇の余勢を駆りて、Appleジャパンの業績も好調。H氏は一躍時の人、企業立て直しのプロとしての名声があがりました。一方で昔からのAppleの事情をよく知る人からすると、優れた人材はみな外に出てしまい、ある意味で残留者利益を手にしただけ。なのに自分の実力と勘違いしているところがあるよね・・と。
H氏がどうであろうと僕にとってはどうでもいいことではあります。ですが、青春期において贔屓にしていた、ある意味で憧れていた人において、こういう事件が訪れると、なんかちょっと複雑な気持ちになりますね。