Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

時計メンテにトライする

正月休みのメンテ第二弾は腕時計。ローター式自動充電機構のセイコーキネティクスの充電バッテリー交換。

 


ローターによる振り子機構で電気を発生させ、蓄電池にためるので基本は電池交換は不要なのですが、蓄電池の性能が落ちると稼働が持たない。使い始めて8年なので寿命なのです。

 


普通のショップでは交換不能で、メーカーに送るしかない。料金は1.5万と劇高。ネットでいろいろとメンテ方法を調べ、アマゾンで新品の蓄電池とメンテ用のツールを買い揃え。

 


早速届いたのでスクリューバック式の裏蓋を開けたところまでは良かったのですが、マイナスドライバーの精度が悪く、ローターを固定しているネジが全然開かない。別途、ドライバーだけを取り寄せるもこれもだめ。

 


仕方がないので、研ぎ石でドライバーの先端を研磨すること15分。何度かトライをし、ようやくネジが回るレベルに研磨が完了。その後は比較的スムーズに交換ができました。

 


工具と電池を合わせた費用は4000円。工具は今後も使えるので、電池交換は防水などシビアなレベルでなければ、これからは自分でしようと。

 


ちなみに、通常の電池交換はかなり簡単です。ネジ外しは工具の性能も然る事ながら、かなり小さな部品なので老眼の人は絶対にやらない方がいいです。

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働きがいはリーダーの責任

働きがい=仕事のやりがい+働きやすさ

 

仕事のやりがいとは、手ごたえのある困難さをもった仕事を与えられ、そこから成長やフィードバックなどを通じて内的報酬が与えられることで生じるもの。一人一人の能力が最大限に生かされ動機づけされている状態。


働きやすさとは、信頼感、心理的安全性に根差した円滑なコミュニケーション、関係性の良い協力的な組織、ワークスペースなどの就労環境や労働時間などの労働条件、賃金水準などハーズバーグの衛生要因とでもいえるもの。


GPTW(Great Place to work)における定義は、マネジメントと従業員の間に信頼があり一人一人の能力が最大限に活かされている、優れた価値観やリーダーシップがあり、イノベーションを通じて財務的な成長を果たすことができる会社だとしています。


ネットやSNSが発達した現在においては、”働きがいのある会社”という対外認知がないことには、優れた人材は集まりようがありません。集められたとしてもすぐに見限られるのがオチ。集められるのはどこにも引っかからない、市場価値の低いモチベーションの低い人材だけということになってしまいます。それで組織が成長なんてできるわけがありません。


働きがいは”従業員の評価や口コミ”を指標化することで可視化できます。OpenworkやGPTWスコアが低い会社は従業員が”働きがいが低い”と言っているわけで、報酬水準も低かった日には、優れた人材は敬遠する組織と言えるわけです。


社員意識調査も働きがいを向上させるための手段ですが、毎年調査を行っていたとしても、結果を従業員に開示しないというのは、マネジメントと従業員との間における「信頼」形成において完全にマイナスであり、不都合な情報を隠蔽しようとしている独善的なトップでありマネジメント陣であると見なされるのがオチです。


そもそも、GPTWや社員意識調査のスコアは、経営・マネジメント陣の通信簿といってもいいもの。悪かったら改善か交代をしてもらわないと困るわけです。Googleは実際にそうしています。正しいですよね。改善か交代という手段を取るつもりがトップにない会社において、社員意識調査は行うだけ無駄だったりするのです。


「働きがい」のある会社はそうでない会社より、投資累積リターンが3倍の結果だったという結果がフォーチュン調査でも出ています。財務業績における「先行指標」でありHRのKPIといってもいい。


Openworkなど働きがいの対外スコアも低い、報酬水準もさして高くない、ESも開示しない。真実に目を向けず、いい人材が集まり、持続的な成長や圧倒的な業界認知をされる会社を目指す..なんて言っている人を見ると、あなたの存在自体が問題なんだよと思ってしまいます。

「何を」「誰と」「幾らで」

「何を」「誰と」「幾らで」


仕事を選択するときの3要素。今年大きく変わったのは「何を」「誰と」。そしてこの2つの重要性を強く認識した一年だった。

 

「何を」という観点では今年はテーマを限定された動き方だった。ミッションの遂行において進捗はレポートしたとしても、進め方においては事細かに相談する必要はなかったりする。オンラインでクライアントと打ち合わせをし、粛々と自分で作業をしていく。


権限移譲をしてもらう働き方は心地がいい。自由度も高い。だが物足りなさも残る。「誰と」という観点において、異なる知見や観点に触れることでインスパイアされることがないから。そして、「何を」について思ったのは、僕は決められた領域だけをやっていなさいというのは、志向していないのだということ。


自分にしかできない得意なことをやっているのに、自分の中に残る「物足りなさ」の原因はいったい何だろうか..


それは、新たな地平や頂を見ることができないから。新たな地平や頂を見れるのは、未知のテーマであったり、新たなクライアントや新たな土地を訪れること、そして異なる才能を持つ仲間とコラボレーションすることでしかできない。

 

僕は、同じことを繰り返すのが好みではない。昔、デロイトでスキップ昇格した直後に辞めてしまったのも、同じ性質のプロジェクトを今後も何度も回すキャリアに魅力を感じなかったから。


「自分の経験、スキル(Can)」を活かせる「何か(Must)」。ある意味で恵まれたことではある。でもそこに抜けているのは”新しいこと、まだ見ぬ景色をみたい”という、自分の価値観(Will)。そして、それを引き出してくれる仲間。


リンダ・グラットンは、マルチステージを実現していく上においては、自分に対する知識をもった”アイデンティティ”に根差した働き方をするとともに、"多様なネットワーク"と"変化に対する前向きな姿勢"が大事だと言っている。多様なネットワークを彼女は「変身資産」と定義しているのだが、自分においてはインスパイアをもたらしてくれる「変身資産」が足りてないのだろうと思う。


新たな年においては、「変化に対する前向きさ」を大事にしつつ「アイデンティティ」に根差した新しい働き方を志向していきたいと思う。今年お亡くなりになった山本寛斎さんは「迷ったら新しいこと、困難なことをしていきなさい」と言っていましたからね。

無価値の価値

楠みちはる原作の「湾岸ミッドナイト」は、首都高を最速で走ることに憑りつかれた若者たちの群像劇ですが、今においても清々しいまでの魅力を放つストーリーと思うわけです。


ここにはカーレース的な要素はほとんどありません。悪魔のZと称されたフェアレディZの改造車をスクラップ寸前の局面から手に入れた主人公と、彼を取り巻くスピードの魔力に憑りつかれた男女たち。それぞれが生きている世界も背負っているものも全く違いますが、傍から見ると意味のない、無価値なことに全力を傾けているという点では一致しています。そして、生き方に対する明確な哲学をもっているということも。


合理、効率的でスマートな生き方をしている人間が意外と哲学に欠けており、そうでない人間の方が哲学を持っていて魅力的・・これは現代人に対する一つのアンチテーゼなのかもしれません。


少なくとも彼らがなぜ魅力的なのか、特に主人公の「アキオ」になぜ様々な大人たちが手を貸していくのか。


その理由の一つは、合理、打算など全くなく目の前のフェアレディZを早く走らせることだけに「一心不乱」に打ち込んでいる姿ということになるのだと思います。これは無常に美しかったりするのです。若さの象徴といってもいいのかもしれません。


若さにおいて計算はなく、一見して価値のないことに時間と労力を注げるということ。そう、彼に手を貸す大人たちは、彼の姿に無くしてしまった若い自分を見ていたりもする。そして、彼に手を貸すことでそれを少しでも取り戻そうとしている。


一方で、効率的に価値があることだけをやろうとしている人が意外と価値を生み出せてなく、趣味など価値のないことに力を注いでいる人が価値を生み出しているという真実もあったりします。

 

少なくとも価値のある事、人に評価されることだけを学生時代から100%やってきている人というのは、自分の価値観や心の動きが理解できていない人が多い気がします。クリエイティビティも低い。


実は、人が創造性やエネルギーを出せるのは自分の価値観や心の動きに沿ったところであり、それは無価値なことに全力を注ぐ中で見えるものだったりするからだろうと思うのです。

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40歳は定年のタイミング

やっぱり大野君の歌唱力はダントツだから、彼のいない嵐というのは歌唱ユニットとしては少なくともないんだろうな。

 


想うのはあれだけ才能が豊かで芸術家肌の人は、本来は自分の心に従って生きていたいわけで、人の目を気にするアイドルやっていろというのは酷なのでしょう。

 


折しも大野君の年齢は40歳ちょうどだったりするわけで、与えられた仕事をこなす筏下りのステージは終わり、自らが決めた目指す高みの山登りステージに自分の意思で切り替えたとみてもいいでしょう。

 


あれだけの人気グループで、継続の圧力が強い中で流れに任せず己の筋を通した姿勢はさすがだなと思います。

 


40歳くらいになったら何が自分にとって目指していきたい山なのか、積んできた経験と心のコンパスに従って分からなければいけないよね。ここを惰性で越えてしまうと、山を見失ってしまうから。

Thinkpadのキーボード交換

冬休みはいつもは時間がとれずできなかったパソコンの改造。今回はヤフオクで手に入れたThinkpad X270のSSD増量とキーボード交換。


ストレージ容量は購入時に500G。まずまずではあるけど、そのうち不足することは間違いない。そこで空いているWWANのセカンドスロットに1TBのM.2 2242 SSDを増設。(普通の人は意味わかりませんね)まあ、この作業はEasy Operation。かつてのハードディスクの換装と違ってSSDの増設ってメモリと同じでとっても簡単。


問題はキーボードの交換。別に気にしなければどうってことないのだけど、全体がとてもきれいな状態で購入したので、キーボードの若干のテカリだけが気になる。全体がへたっていれば、気にならないのだけど・・(そういうのあるでしょう)


僕は身の回りのことにはそれほどこだわらないのだけど、いつも手に触れる筆記具、ノート、パソコンはキチンとしていたい性分だったりします。


ThinkpadMacintoshと違い自分でメンテが出来る設計思想になっています。ディスク、モニター、キーボード交換、外装の交換もできてしまう。堅牢でソリッドなデザインに加えて、自分で修理交換ができるというのが僕がThinkpadを好きな理由なわけです。ヤフオクにはパーツが数多く出回っています。


とはいえ、X270のキーボード交換は超難関。裏ブタを開け、ディスクを外し、内臓バッテリー、ファンも外し、最後に基盤も外さないとキーボードが交換できないようになっているのです。要は、ほぼ全部分解しないとキーボードが交換できないのです。昔は、もっと簡単に交換できたのですが薄型化の功罪でメンテナビリティが低下したのです。


ネットやYoutubeで交換手順を何度も見るも、よう分からん。やった人も超難関で交換はお勧めしない・・と書いてある。止めておこうか・・せっかく買ったPCをお釈迦にするのも嫌だし・・。とはいえ、何度も映像と手順を読み込み挑戦をしてみることにしました。

 

果たして、2時間くらいかかったのですがうまくいきました。100円ショップの精密ねじの精度が悪くて、ネジを緩めるのに結構手間取り、手順が抜けてやり直しをする破目にはなったものの、ヤフオクで購入した新しいバックライト付きのキーボードに交換ができたわけです。途中で完全バラした状態で、夕食当番で中断を余儀なくされた時には半分後悔もしていたのですが・・この文章を新しいキーボードで書けて良かったわ。

「有限性」を意識する働き方

「始まりがあれば終わりがある」
引退を表明した元日本代表ラガーマンの五郎丸選手の印象に残る言葉。


辛い練習であろうが、いつかは終わりがくる。現役生活というものにもいつかは終わりが来る。彼の言葉からは、「有限性」を常に意識して行動していることがうかがえるのです。「有限性」を常に意識していれば、「いま・ここ」の捉え方は大きく変わってくるでしょう。きっと、五郎丸選手は選手生活が終わった時のことも、頭の片隅に描いていたはずです。


組織に所属していることも、体力も空気のように無限にあると思っていると、清原のように現役時代に暴飲暴食をして選手生命を縮めたり、中村紀洋のように球団に悪態をついて成績が下がってきた途端に契約外とされてしまう。有限性の観点で捉えれば、「あたりまえ」という視点はなくなり、「ありがたい」へと変わる。その時の態度は自ずから全く異なるものになるはず。

 

日本的雇用は、安心・安定を重視して「有限性」を極力意識させないようにしてきた仕組みだったりします。


昇進・昇格の終わりも、雇用の終わりもなるべく社員に意識させない。ほとんど希望がないのに希望があると思わせる。メンバーのモラル低下を招くからという理由で。でも、それに伴って失われてしまったのは、危機、自律意識であり、そこから発動する「生存本能」「潜在能力」だったりする。人が底力を見せるのは得てして修羅場に置かれた時だったりするから。


プロ契約社員として過ごした7年間は、常に死の緊張感と隣り合わせだった。自分のパフォーマンスが悪くても、組織の業績が低迷しても自分のポジションはなくなってしまうから。一方で正社員としての働き方を再開して気が付いたこと。


ダントツの成績を出そうが、史上最悪の評価をされようが、報酬は大して変わりがないという事実。期初の目標設定や中間評価、期末評価など手間暇をかける割に大したことがない。全くもって誤差の範囲。


プロ契約社員の時には、評価は一切なかった。時間管理も働く場所の制約も一切ない。代わりに、1年ごとの契約更改の場ですべてが決まってしまう。現状維持なら御の字、余人に代えがたいと判断された時は契約金をぐんと上げてもらえた。一方で契約打ち切りだってあり得る。実際にそういう憂き目にもあった。年の瀬の恒例番組「トライアウト」の選手たちの気持ちは痛いほどに分かる。でも、40代をそうした緊張感の中で過ごせたことは、大きかったと思う。


結局、安心安定ということと自律意識というものを併存させていくことはとても難しい。これを一過性の研修で変えるなんて、かなり難しい。だから、タニタの社長さんが言っている「社員の個人事業主化が本当の働き方改革だ」というのはその通りだと思うのです。一年毎の真剣勝負。一所懸命に「いま・ここ」に打ち込むことが働き方改革なのですからね。