Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

「有限性」を意識する働き方

「始まりがあれば終わりがある」
引退を表明した元日本代表ラガーマンの五郎丸選手の印象に残る言葉。


辛い練習であろうが、いつかは終わりがくる。現役生活というものにもいつかは終わりが来る。彼の言葉からは、「有限性」を常に意識して行動していることがうかがえるのです。「有限性」を常に意識していれば、「いま・ここ」の捉え方は大きく変わってくるでしょう。きっと、五郎丸選手は選手生活が終わった時のことも、頭の片隅に描いていたはずです。


組織に所属していることも、体力も空気のように無限にあると思っていると、清原のように現役時代に暴飲暴食をして選手生命を縮めたり、中村紀洋のように球団に悪態をついて成績が下がってきた途端に契約外とされてしまう。有限性の観点で捉えれば、「あたりまえ」という視点はなくなり、「ありがたい」へと変わる。その時の態度は自ずから全く異なるものになるはず。

 

日本的雇用は、安心・安定を重視して「有限性」を極力意識させないようにしてきた仕組みだったりします。


昇進・昇格の終わりも、雇用の終わりもなるべく社員に意識させない。ほとんど希望がないのに希望があると思わせる。メンバーのモラル低下を招くからという理由で。でも、それに伴って失われてしまったのは、危機、自律意識であり、そこから発動する「生存本能」「潜在能力」だったりする。人が底力を見せるのは得てして修羅場に置かれた時だったりするから。


プロ契約社員として過ごした7年間は、常に死の緊張感と隣り合わせだった。自分のパフォーマンスが悪くても、組織の業績が低迷しても自分のポジションはなくなってしまうから。一方で正社員としての働き方を再開して気が付いたこと。


ダントツの成績を出そうが、史上最悪の評価をされようが、報酬は大して変わりがないという事実。期初の目標設定や中間評価、期末評価など手間暇をかける割に大したことがない。全くもって誤差の範囲。


プロ契約社員の時には、評価は一切なかった。時間管理も働く場所の制約も一切ない。代わりに、1年ごとの契約更改の場ですべてが決まってしまう。現状維持なら御の字、余人に代えがたいと判断された時は契約金をぐんと上げてもらえた。一方で契約打ち切りだってあり得る。実際にそういう憂き目にもあった。年の瀬の恒例番組「トライアウト」の選手たちの気持ちは痛いほどに分かる。でも、40代をそうした緊張感の中で過ごせたことは、大きかったと思う。


結局、安心安定ということと自律意識というものを併存させていくことはとても難しい。これを一過性の研修で変えるなんて、かなり難しい。だから、タニタの社長さんが言っている「社員の個人事業主化が本当の働き方改革だ」というのはその通りだと思うのです。一年毎の真剣勝負。一所懸命に「いま・ここ」に打ち込むことが働き方改革なのですからね。