Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

ボーダレスワールド

久しぶりに今月に行った外部オープンセミナー。テーマは、70歳雇用時代における人材マネジメント。高年齢化が進行する企業において70歳雇用をどう実現していくのか、最新調査と事例をもとにお話ししました。


2回開催で100社を超えるリスナーが集まり、この問題に対する各企業の関心の高さを示す結果となりました。この傾向自体は過去も同様なのでさほど驚くほどではないのですが、今の時代を反映しているなと思うのが、東京から九州までの広い地域の受講者がオンライン越しにいるということ。そして、終了後には受講した方の中からLinkedin経由でダイレクトメッセージを受けたこと。


ウェビナーですから名刺交換をすることは叶いませんが、こういう形で講師にコンタクトをとってくる人がいるものなのですね。


書籍を出版したり、専門誌に論文を書いたり、対外的な情報発信をしていくことのメリットは、営業的側面のみならず新たな人的ネットワークを形成するきっかけになるということ。それにより仕事を依頼されるかもしれないし、個別にオファーが来ることもあるかもしれない。


人は会社に所属し、そのアセットを使うことで様々なメリットを受けているわけです。安定的な仕事を得ること、ブランドやチャネルによって案件獲得も個人で行うよりはるかに効率的にできる。一方で、リモートワークやSNSの発達は従来より、組織より個人にフォーカスが当たるようになっているということ。


上司の顔色を気にするだけじゃなく、自分しか成しえない仕事を行い発信することは、これからの時代はなおさら重要なのでしょうね。

組織にいるという意味

会社に行かない状況が続くと、職場の「同僚」というのは家族だったりするわけです。


仕事の合間にちょっとした出来事を話したり、ご飯を一緒に食べたり。散歩に出たり。僕の家は、カミさんもリモートワークですし、子供たちも大学生で家で授業を受けていますから、家族みんなが僕の同僚です。


仕事は楽しくやるのが信条の僕においても、想像以上にタフな局面が今年は多くありましたので、家族が同僚だったことで救われたことが多々ありました。会社に毎日出ざるを得ない状況だったら、比較的タフな僕においても潰れていただろうと思います。


一方で、独身一人暮らしの人においては、リモートワークというのは心に溜まったストレスを解毒する対話ができないですから、かなりしんどいと思うのです。猫とか犬とか飼う人が増えたというのも分かります。


やっぱりね、楽しい仕事というのは一緒にする仲間と真剣に考えを出し合ったり、でも時には全然仕事と関係のない話をして盛り上がったり、笑ったり、そういうことができる状態にないとね。画面の向こう側の人間と要件だけを話して、一人で黙々とするような仕事なのであれば、それはもはや組織に身を置いて仕事をする価値はなかったりします。


今年ほど、組織というものの存在や自分にとっての意味を問い直した年はなかったな。

浮気を許さない時計

AUTOMATIC(自動巻き)の時計というのは、浮気を許さない時計だったりする。


毎日腕にはめて活動していないと時計が止まってしまうから。もちろん、電動式で外しているときに揺り動かしてくれる保管ケースというのも存在はするけど、エコな時計なのに電動式保管ケースというのもなんかおかしい気がする。


生き物のように世話をかけ動き続けるAutomatic機構。一時期はとても憧れたのだけど、秒単位できちんと時刻が合っていないと気分が悪い人においては、日差10秒もあるような時計はやっぱりだめ。時計をアテにして新幹線とか乗り遅れたら致命傷だし。(最近乗らないけど)しかも、機械式の自動巻き時計は重さと厚さもあるし、軽くて薄くないと嫌。そして、毎日腕につけていないといけないので、自分の一部になるくらい気に入ったものじゃないとね・・


果たして、自動巻きのメカニズムを採用しつつ、クオーツムーブメントを搭載しているSEIKOのKINETICSテクノロジーの時計を愛用しているわけなのですが、黒革ベルトのアナログ時計はスーツを着ないと身に着ける機会もなく、何か月も動かさないとバッテリーをすべて使い切って止まってしまうわけです。蓄電池があるとはいえ、ある程度マメにつけてないとダメなんだよね。


浮気を許さない時計となると、別の意味で最近のスマートウォッチも同じだったりします。Apple Watchも興味がありますが、こいつも毎日充電して毎日つけていないといけない時計だったりします。今持っているGarminは完全にランニングの時だけつけているわけで、週末だけ引っ張り出すのでバッテリーはいつも落っこちているわけです。

 

結局はずぼらで浮気性の人間には世話がかかるメカニズムのものは相応しくないということなんだろうな...

スマートクリエイティブを惹きつける組織

限定された領域のスキルに習熟することで制約された企業組織で成功する人材が「ナレッジワーカー」である。

一方で、特定の任務に縛られることを好まず、専門性も限定的ではなく、ビジネススキルも併せ持っている..少なくとも従来の意味での「ナレッジワーカー」とは異なる人種がいる。彼らは「スマート・クリエイティブ」と呼ばれる人種であり、デジタル革命期において成功のカギを握る存在ともいえる。


彼らは

・高度な専門知識を持っており、ビジネス感覚も優れている
・競争心が旺盛で、猛烈な努力も厭わない
・他の人と異なる視点を持ち、必要に応じて様々な視点を使い分けることが出来る
・好奇心も旺盛で、決して現状に満足せず。常に問題を見つけて解決しようとする
・自発的であり、コミュニケーションも得意である


全ての条件を備えた人はいなくても、こうした特徴を持っている人物はどこにでもいる。だが、彼らにおいては従来型のマネジメントは通用しない。いわゆる工業化社会のマネジメント手法としてガントチャートなどのスタイルは、彼らの真価を引き出すことが出来ない。


彼らを惹きつけるためには、報酬もさることながら自由闊達にアイデアを出し、形に繋げていくことを奨励するような「企業文化」が大事。Googleはスマートクリエイティブを惹きつけることを至上命題としたマネジメントを実践している。


一方で身の回りをみるとどうだろう。


「スマートクリエイティブ」という人材を認識することはおろか、依然として古いスタイルのマネジメントを行っているところが大半だったりする。報酬が魅力的でなかった日には、イノベーティブな人材は決して集まりはしないだろうし、間違えて入ってきたとしても早晩組織から去っていくことは間違いがない。


問題は、管理統制型のマネジメントで成功を収めた人物が要職に君臨し、新たなパラダイムを理解しないままに「スマートクリエイティブ」が好まない窮屈なマネジメントをいかにも「正論」と据えて実施をすることにある。


ここを打ち破るためには、「カバ」と呼ばれる旧式パラダイムにあるトップが、独裁にならないことにある。「カバ」が君臨する会社においては「スマートクリエイティブ」はこぞって逃げ出していくだろうね。

大量採用企業の罪

今から28年も前のこと。大学3年の秋から冬を迎えた時期には人材会社から分厚い会社紹介と資料請求の大量の冊子が家庭に送られてきていました。

 


入院生活も1ヶ月を超え、重篤な状況から脱してくるとベッドから身動きの取れない身においては、TVを見る以外にすることもなく。大量の企業紹介ブックを母親に頼んで病室に持ってきてもらい、片端から読む日々でした。

 


最初は初任給を見ていたわけですが、うちに見る項目は社長や役員の出身大学、採用大学、採用人数を見るようになっていました。社長を目指していたわけではないのですが、傍流大学出においては、学閥のあるような会社に入れば、プロモーションにおいては明らかに不利です。そしてサラリーマンであれば、ある一定のところにいけなければ、仕事は面白くないでしょうし、何より給与だって上がるわけはありません。

 


それを図る一つの情報が歴代社長の出身大学、採用人数、採用大学と思ったのです。

 


この観点で見ると、ほとんどの会社は対象から外れていきました。そもそも、大量採用する会社においては、一人一人の人間を大事にせず、熾烈な競争の中でふるいにかけられてしまう。不器用な僕の性格にはとても合っているとは思えなかった。会社の規模は小さくても、少数の新卒者を一人一人丁寧にお金と時間をかけて見てくれるところ。

 


銀行も商社も、リクルートのような会社ももちろんスコープ外。コンサルティングを中心に、マイナーな会社ばかり見ていました。

 


果たして社員数130名にも満たないプライスウォーターハウスという会社に入ったわけですが、同期も20名とちょっと。でも、もう一度新卒だったとしても同じ選択をすると思います。

 


優秀な同期に手厚い研修。個人の自由度が高く、スマートで大人のビジネスパーソンに囲まれた社会人スタートは、極めて恵まれていたと思います。

 


当時において大量採用を行った会社は、いずれもバブル組、団塊ジュニア層の処置に頭を悩ませています。一人一人のことは見ずして、ある一定年齢を超えた社員の頭数を減らしたくてたまらないのです。

 


やっぱり、大量採用する会社は人を粗末に扱うな…上級役職者以外は人を人だと思ってない。そう思わせられる事が多いのです。

 


そもそも僕は、人が選ぶものは選びたくない。みんなと違う道を歩きたがるというひねくれた性格をしていることも大いにあるのですが…

断絶とトランジション

新しいことをするときには、未練を残しているのが一番良くない。恋愛であろうと、はたまた就職ということにおいても。

 


未練を残しているというのは、ピリオドを打っていないということと同じで、トランジションにおいては『何かが終わるとき』を迎えていない状態ということになる。

 


基本的にトランジションは『何かの終わり』『ニュートラル』『何かの始まり』のステップを辿っていく訳なのだが、『何かの終わり』ができていない人において、新しいことは始まることはなく、常に過去の呪縛に繋がれた状態となってしまう。

 

 

 

同じ会社で役職定年を迎えた人においては、身の回りの環境が全く同じだから、『何かの終わり』を迎えることがとても難しい。だから、管理職の時の気分が抜けず部長気取りで人とコミュニケーションをとったり、自分をないがしろにするといって拗ねてやる気を下げてしまうのである。

 


未練を残さず、新しいことに気持ちを向かわせていくには、今までのものを一掃、断絶していくのが一つの方法だったりする。特に人間関係においてはしがらみを生みやすく、全く新しい関係性の中に身を投じることは極めて有効だと思う。

 


もっといえば、厳しい評価や面談フィードバックというのは、未練を完全に断絶させてくれる。たとえそれが愛情ではなく、邪な思いの元にあったものであったとしても。

 


だから、同僚や上司から不本意な扱いを受けたり、果ては退職勧奨を受けたとしても、それは新しい自分になるための洗礼だと捉えればいい。そんなことをする組織や仲間を二度と振り返らなくていいから。

 


そう、偶然は新たな自分に変わる必然と捉えて前に進むのが一番いい。人には様々な可能性があり、それを引き出してくれるのは新たに出会う人であるのですから。

ノンポリの罪

人間ほど恐ろしい存在はないなと思うわけです。人間の尊厳を傷つけるものは、心無い言葉であったり、存在や行動、創出価値の否定であったり、仲間から排除をすることです。これが出来るのは人間でしかないからです。


相手を慮り、良好な関係であったと思っていたのに、力ある人間がその人の事を疎ましく思っていたり、好意を抱いていなかったりすると、いとも簡単にそこに迎合する。ある人物はどう見ても白なのに、権力者がグレーだと言い出すと、そこに密告者として容易に乗っかって罪人に仕立て上げてしまう。


権力者が後ろ盾になっていると、錦の御旗の官軍気分。


良心を働かせず疑問を持たず、反政府軍を殲滅させる大義が立つと言わんがあまり、攻撃の手を緩めない。この集団心理たるや本当に恐ろしい。


果たして、権力者におもねたからといって、身分が良くなるわけでも、報償が与えられるわけでもない。それどころか、正しさという名のもとに人を統制し、余計な仕事だけが増えるばかりで、大した成果も出ない。そして潤いのある人の繋がりも消えうせ、荒漠たる景色が目の前に現れただけなのだとすると、もうそれは自業自得の世界なわけです。


こういう人としての良心が働かない。そして人の幸せに関心のない、それどころか幸せを壊すことに何ら疑念も持たないノンポリの人は、人を導いたりアドバイスなどをする資格はないのだと思うのです。