Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

カルチャーフィットの重要性

人を採用する上で大事なのは、既存メンバーとの相性や理念の観点でみたカルチャーフィット。学歴、職歴がいくら立派だったとしても、カルチャーフィットしていない人材が組織に入り、全く異なるベクトルで主義主張を唱え始めたら、組織の生産性は著しく低下する。

 

 

 

特に上位ポジションにおいてフィットしていない人材が及ぼす弊害は計り知れない。

 

 

 

そういう人物は、ネットワークのハブにはならず関係性をズタズタに破壊してしまう。果てには、カルチャーに共鳴していた力のある社員のモチベーションを下げ、離職を招く。

 

 

創りあげた組織や文化を本当に大事に思うなら、上位ポジションの採用ほど慎重であるべきだ。一部の人間が密室で決めるのではなく、多くの人間と対話をさせ既存メンバーが入社を待ち焦がれる位にしないとね。

 

 

 

まあ、採用は上位者の権限だと考えているくらいのところだと所詮は厳しいかもね。

Looks so…

娘と妻とランチをしていたのです。すると、娘がじっと僕を見つめて言うのです。

 


『お父さん、外で働いていると「若い」ってどれだけ言われる?』

 


薮から棒になんでだい?と聞くと、先日の箱根旅行の家族写真をアップしたのだそうです。そうしたら軒並み彼女の友人たちから、貴女の父親は若い、という反応が来たそうなんです。

 


働いていて実年齢をいうケースはほとんどありませんので若いとか言われることはないわけです。見掛けの印象そのままに扱われるだけ。歳下の人からほぼ同等に話をされる…貫禄のある一回り歳下の部下が上司に間違われたことあったっけ…

 

 

 

人前で話すときには、年端のないあんちゃんだと思われるから、社会人のデビューイヤーは必ずいうようにしてるけど。

 

 

 

『ふーん、そっかあ。私の友達、お父さんかっこいいっていってたよ』

 


恥ずかしいので、にまにましながら聞いていたのですが、横から視線を感じる。

 


「ねぇ、私のことはなんか言ってた…」

 


そのあとは…大変ご機嫌が斜めでありました。

 


だめじゃない言う場所考えなきゃあ…と娘にいったのですが、時すでに遅しでありました。こういうツケは高いんだよね。

ニアミスな間柄

今年は喪中葉書が来ていたので、彼女のコメントを見ることができないのは残念だけど。長らく年賀状だけのお付き合いをしている人がいる。もうかれこれ30年以上になる。

 


小学生の時の塾から大学まで一緒の環境。子供の年も一緒で、もう少しで子供まで同じ学校で同級生になりそうだった。とはいえ結局子供は違う学校に進学し、僕も彼女とはクラスが一緒になったことは一度も無いので、どこまで行っても”ニアミス”な間柄という事になる。

 


可愛い小学生の女の子が少女へ、そして魅力的な大人の女性になり、母親になるまでを一定の距離感をもって見てきた。相対的に見ても綺麗な人、でも特別な感情を持ったことはないし、そう見なされたこともないだろうけど。

 

 

 

一度だけ大学生の時に二人で映画を見に行ったことがある。20歳の夏の暑い日のことだった。有楽町の映画館で『インディジョーンズ 最後の聖戦』だった。1,2を見ていなくても十分に楽しめたよね…なんて話しながら、銀座の煉瓦亭でランチをしたのを覚えている。

 


彼女とはそれくらいだった。それ以上距離が詰まるわけでも、遠くなるわけでもなく。距離を詰められない理由はうちに分かった。彼女の家は、女の子一人で家を継ぐために養子になる人を迎えなければならず、そうなるべき人がすでに決まっているからだった。

 


学校から家への帰りすがら、彼女の友人がこう語りかけていた。

 


『XXちゃんは、いい人がいてね。結婚が決まっているのよ。羨ましいなぁ…』

 


でもそう語りかけられている彼女の顔は、なぜかあまり嬉しそうじゃなかった。その表情で僕は彼女の結婚の意味を一瞬にして悟ってしまったのだった。

 

 

 

僕が結婚をしてからも、彼女とは偶然に会う機会が何度かあった。妻は彼女のことをみたあとにこう言っていた。

 

 

 

「あの人、綺麗だけど寂しそうね…」

 

 

 

ここ数年、彼女が寄越してくる年賀状の文面には、「白髪やシミがすっかり増えたのよ」なんてコメントが書かれるようになってきた。

 

 

 

綺麗な人は、自分が綺麗であることを良く知っている。だから昔の姿をよく知っている人には、昔の綺麗だった時の自分とは違うのよ・・・と伝えたいのだろうと思うのだけど。

 

 

 

僕だって同じだけ年を取って変わっているわけだし。今の姿を見たところで、綺麗な盛りの時の記憶がいささかでも色褪せる訳でもない。だから、そんな心配しないでよ・・と思うわけです。

トラブルシューティング

問題を特定しながら解決をしていくというのが好き。仕事もそうだし、プライベートでも。問題事象を診る、原因の仮説を立てる、解決策を探す、解決策を適用する・・問題が解消した時は達成感。


古い車に乗り続けているというのは、単純に愛着が湧いているということもあるけど、問題解決のプロセスを楽しめるというのも多いにあったりするのかもしれない。


愛車も継続走行キロが15万キロを超えたので、今年はいくつかメンテを行った。


①エアコンクリーナー
②エアクリーナー
イグニッションコイル
④スパークプラグ
タイミングベルト
⑥ファンベルト
ウォーターポンプ


①-④は自分でできるけど、⑤⑥⑦は素人では無理で部品だけ取り寄せて修理工場で行ってもらった。今は楽天Amazonで型式さえわかれば、適切かつリーズナブルな部品を取り寄せることが出来るので、それが一番安上がりだったりするから。上記を全てディーラーに任せたら、20万-30万はかかるしね。


残るはオートマチックトランスミッションの不調をどう改善するかということ。


2000年代前半に発売されたボルボV70Ⅱは、搭載されたアイシン製のトランスミッションの不調が数多く報告されている。品質には定評のあるアイシンゆえに、なかなかあるまじき事ではあるが、リコールレベルで同じような不具合が出ている。


加速時に3速に入らず、ニュートラルでエンジンが空ぶかしになるという現象とリバースに入れたときに、すぐに繋がらず軽い衝撃と共にバックするという現象である。


ディーラーに見せたところ、ミッションの交換以外には対処法がないとのことで、交換工賃も含めると30万コース・・ありえない。トランスミッションの解体部品をヤフオクで探すと5-10万円であったりするのだが、これもかなり賭けだったりする。なにせ同じトラブルを抱えている車の部品なのだから。同じ不調がすぐに出たら全く意味がない。


解決方法について長らく探し求めていた中で見つけたのが、単純にオートマオイルをオートバックスなどで入れ替えるのではなく、人工透析の要領で汚濁除去の機械に何度か循環させ、ミッション内にたまったスラッジ(鉄粉くず)を完全に綺麗にするという方法。


結局、不具合は新車の時には出ず、多走行で出ることからするとミッション内に残ったスラッジが原因に違いないからだ。とはいえ、普通はそんなのでは不具合は出ないように作られているのだけどね。


トルコン太郎なるこのサービス。人工透析にそっくりの機械を使ってスラッジを除去するのですが、そもそも置いてある整備工場は多くありません。さらに問題となるのは、外車は特殊なアタッチメントを付けないと実施が出来ないために、それが行える整備工場となると非常に少ないわけです。


色々さがして北八王子の整備工場で2か月先の予約を行い、無事に洗浄は完了したわけです。料金は3万。写真を見ると徐々に清浄されているのが良く分かります。


果たして結果は、滑りやショックは無くなり非常に状態が良くなりました。ミッション載せ替えよりいい選択だったということです。これで、しばらく安心して乗れるかな・・しかし、ディーラーの問題解決力は低いね。

 

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思いやりと率直さの並存

率直なコミュニケーションをとらずに、謎かけのような婉曲的フィードバックをして悟らせるようなことをしたり、当人不在の中で事の是非を議論するような組織はまともに機能しているチームとは言えないわけです。

 


こういう組織は、誰も本音の胸の内を明かすことがなく、それぞれの弱さを認めることもなく、権限を持つ人間の腹の内を探り、そこにすべての解決の糸口を見いだそうとします。

 

 

 

果たして、その組織はトップの腹次第で物事が決定されていくようになります。トップが自分の感覚だけを判断の拠り所としたい人であれば、極めて窮屈な組織のできあがりです。

 

 

 

これは組織や人の問題解決に携わっている人においては、理想とはおおよそかけ離れた状態であり、可能な限り避けていくべきでしょう。

 

 

 

コミュニケーションには、思いやりと率直さのバランスが必要ですが、やりがちなのは前者だけを重視すること。別の言い方をすれば上を忖度するというやり方。これは、先生やリーダーにすべての決定を預けようとする学校秀才タイプがやりがちなこと。

 

 

 

思いやりいう名のもとに忖度や根回しを重視し、率直なコミュニケーションができない組織は、政治的な問題解決とならざるを得ず、結局は風通しの良さも心理的な安全性も下がります。

 

 

 

ビル・キャンベルはこの点をよく分かってチームにおけるコミュニケーションを設計していたのだと思いますね。

恋愛と結婚の違い

結婚相手に経済力がなく、借金まで背負っているというのであれば、私が支えて借金も返すし、立派に二人で生活ができるように働くから私たちには一切かまわないで下さい…と啖呵を切るのなら分かるわけです。ナイジェル・マンセル橋下徹さんもそうでした。

 


『私のこの気持ちを尊重してください』

 


これでは自分では責任をとれないお子様の戯れ言としか聞こえないわけです。実際に世間知らずのお人でありますから、それも仕方がない。

 


相手の男が男なんですよね。定職について稼ぎもない身分なのに意気揚々と結婚しようとする。返済義務はないかもしれないが、借りた金を返そうという人としての誠意もない。

 


思い返せば、お金について子供の頃から一切不自由をしたことがなく、普通できない暮らしや経験を積んだ人と結婚をするのは、やっぱりどこかで不安でした。

 


僕の家庭とは全く違う。だから、いろいろ考えて安月給の会社は結婚と同時に退職をした。結婚したばかりで、相手もいる会社をなぜ辞めるんだとかあったけどね…

 


妻もなぜ辞めるんだ…と言ったけど。彼女は僕がいくら稼いでいるかなんて、一切知らずに結婚をしてしまったから。今でこそ、その程度の稼ぎだった人とよく結婚したわ…私って世間知らずだったなんて言っていますが。

 

 

 

だから、あのような無責任な人は嫌悪感が走るのですよね。裕福な環境に育った女性は打算がなく、好きになった相手を無垢に信じてくれるもの。そこに誠意を尽くそうという意思を感じないから。そして、結婚は二人の問題ではなくそれぞれを育み育ててきた親や周囲に対する責任も生じるもの。そこも感じないからなんだよね。

 

 

 

まあ、僕が親なら誰の世話にもならない覚悟があるなら許しますけど…

記号のもとのレゾンデートル

生身の人間を人として扱わず、本人を意味する『記号』を本人だと見なしている組織が銀行だったりする。本人が窓口に出向いても、カードや印鑑がないとお金は引き出せない。

この人に対する扱いは、顧客だけではなく社員に対しても同じであり、入社年次が社員を示す重要な記号として扱われる。果たして個性や能力の違いを加味せず、年齢で全員を一律に扱う人事制度が綿々と運用されていたりする。出向、役職定年、再雇用がその典型だったりする。


頭数としてしか人員を扱っていないから、業態縮小やIT化によって労働力は容易に置き換えられることになる。


バブル期において頭数だけを揃えることに腐心したメガバンク。土地と株価の上昇局面の追い風においては、目先も考えずに労働力の確保だけに走った。バブルは崩壊し、金融ビックバンにより競争環境は厳しいものになった。すると、途端に採用抑制。

 

食べたいときに食べ、体重が増えたら絶食するという、人に例えたら凡そ賢い人間のする行為ではない。そして、いよいよ年齢も増して筋肉質ではない体となり、外科手術で贅肉を取り去ろうにも、金融機関という最もモラルハザードによる不祥事を起こしてはならない業態ゆえにそれすらもできない。


高い報酬と安定を約束されて人気だった銀行業界も採用志望度ランクの凋落は著しい。魅力的な職場ではないからだ。そして今や自らの意識と行動では変えられない中で、政府主導による体質改善が行われようとしている。


働いている一人一人は、情熱も能力もある。それなのに組織、システムに組み込まれてしまうと抗うことは全くできず、頭数としてしか扱われない。半沢直樹に留飲を下げていたのは、他ならぬ銀行員なのかもしれない。