Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

ニアミスな間柄

今年は喪中葉書が来ていたので、彼女のコメントを見ることができないのは残念だけど。長らく年賀状だけのお付き合いをしている人がいる。もうかれこれ30年以上になる。

 


小学生の時の塾から大学まで一緒の環境。子供の年も一緒で、もう少しで子供まで同じ学校で同級生になりそうだった。とはいえ結局子供は違う学校に進学し、僕も彼女とはクラスが一緒になったことは一度も無いので、どこまで行っても”ニアミス”な間柄という事になる。

 


可愛い小学生の女の子が少女へ、そして魅力的な大人の女性になり、母親になるまでを一定の距離感をもって見てきた。相対的に見ても綺麗な人、でも特別な感情を持ったことはないし、そう見なされたこともないだろうけど。

 

 

 

一度だけ大学生の時に二人で映画を見に行ったことがある。20歳の夏の暑い日のことだった。有楽町の映画館で『インディジョーンズ 最後の聖戦』だった。1,2を見ていなくても十分に楽しめたよね…なんて話しながら、銀座の煉瓦亭でランチをしたのを覚えている。

 


彼女とはそれくらいだった。それ以上距離が詰まるわけでも、遠くなるわけでもなく。距離を詰められない理由はうちに分かった。彼女の家は、女の子一人で家を継ぐために養子になる人を迎えなければならず、そうなるべき人がすでに決まっているからだった。

 


学校から家への帰りすがら、彼女の友人がこう語りかけていた。

 


『XXちゃんは、いい人がいてね。結婚が決まっているのよ。羨ましいなぁ…』

 


でもそう語りかけられている彼女の顔は、なぜかあまり嬉しそうじゃなかった。その表情で僕は彼女の結婚の意味を一瞬にして悟ってしまったのだった。

 

 

 

僕が結婚をしてからも、彼女とは偶然に会う機会が何度かあった。妻は彼女のことをみたあとにこう言っていた。

 

 

 

「あの人、綺麗だけど寂しそうね…」

 

 

 

ここ数年、彼女が寄越してくる年賀状の文面には、「白髪やシミがすっかり増えたのよ」なんてコメントが書かれるようになってきた。

 

 

 

綺麗な人は、自分が綺麗であることを良く知っている。だから昔の姿をよく知っている人には、昔の綺麗だった時の自分とは違うのよ・・・と伝えたいのだろうと思うのだけど。

 

 

 

僕だって同じだけ年を取って変わっているわけだし。今の姿を見たところで、綺麗な盛りの時の記憶がいささかでも色褪せる訳でもない。だから、そんな心配しないでよ・・と思うわけです。