Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

隣の芝は自分の芝

女の子は、自分の父親をその時その時でどのような存在として見るのだろう。少なからず、幼少期においては無条件に自分の元に走り寄ってきても、成長とともに距離をおくようになる。

 


そのタイミングは、小学校高学年、中学のあたり。距離を置くだけならいいが、洗濯物を一緒にするな…というレベルになるとさすがに心がめげる。

 


僕の娘の場合は、中学生だった。お洒落に目覚めた女友達の世界、憧れる男性はジャニーズや羽生結弦となると、父親はがさつさ、醜さしか目につかない。

 


彼女の見方が変わったのは、クラスメートたちがきっかけだった。僕は、小学生の頃から授業参観や運動会などの学校行事には必ず参加をするようにしていた。彼女の通うS女子学院にも足繁く通った。当然、クラスメートたちは僕のことをよく知っている。『ななみちゃんのお父さん』だと。

 


S女子学院の父親たちは、社会的地位も経済力もあり年齢と恰幅を増した人たちが多かった。そんな中で年齢的にも一回り近く下の僕。

 


クラスメート達は、事あるたびに彼女に言ってきたのだそうだ。『ななみちゃんは、羨ましい。お父さん格好良くて若くて。私もあんなお父さんがよかった…』(成人式で久しぶりに同じことを言われたらしい)

 


それ以来は彼女から誘われて二人で映画を見に行ったり、カフェに行ったり、食事や買い物にふつうにいくようになった。映画、音楽、文学などは志向が似ているので、友達より気が楽らしい。これも彼女のクラスメートたちのお陰なんだろうな…

 


隣の芝は青く見える。青く見える隣を羨んでも自分が不幸になるだけ。でも、青く見る他人の評は時に自分が見落としていたことに気がつかせてくれることがあるのかもしれないね。