楠みちはる原作の「湾岸ミッドナイト」は、首都高を最速で走ることに憑りつかれた若者たちの群像劇ですが、今においても清々しいまでの魅力を放つストーリーと思うわけです。
ここにはカーレース的な要素はほとんどありません。悪魔のZと称されたフェアレディZの改造車をスクラップ寸前の局面から手に入れた主人公と、彼を取り巻くスピードの魔力に憑りつかれた男女たち。それぞれが生きている世界も背負っているものも全く違いますが、傍から見ると意味のない、無価値なことに全力を傾けているという点では一致しています。そして、生き方に対する明確な哲学をもっているということも。
合理、効率的でスマートな生き方をしている人間が意外と哲学に欠けており、そうでない人間の方が哲学を持っていて魅力的・・これは現代人に対する一つのアンチテーゼなのかもしれません。
少なくとも彼らがなぜ魅力的なのか、特に主人公の「アキオ」になぜ様々な大人たちが手を貸していくのか。
その理由の一つは、合理、打算など全くなく目の前のフェアレディZを早く走らせることだけに「一心不乱」に打ち込んでいる姿ということになるのだと思います。これは無常に美しかったりするのです。若さの象徴といってもいいのかもしれません。
若さにおいて計算はなく、一見して価値のないことに時間と労力を注げるということ。そう、彼に手を貸す大人たちは、彼の姿に無くしてしまった若い自分を見ていたりもする。そして、彼に手を貸すことでそれを少しでも取り戻そうとしている。
一方で、効率的に価値があることだけをやろうとしている人が意外と価値を生み出せてなく、趣味など価値のないことに力を注いでいる人が価値を生み出しているという真実もあったりします。
少なくとも価値のある事、人に評価されることだけを学生時代から100%やってきている人というのは、自分の価値観や心の動きが理解できていない人が多い気がします。クリエイティビティも低い。
実は、人が創造性やエネルギーを出せるのは自分の価値観や心の動きに沿ったところであり、それは無価値なことに全力を注ぐ中で見えるものだったりするからだろうと思うのです。