Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

孤高のメス

ピッツバーグで外科医として腕を磨いた当麻医師は、片田舎の港町にある萎びた市民病院に赴任してくる。彼は、その実力に見合った富も名声も視野にはない。彼が求めたのは、目の前で救える命を自分の手で丹念に救ってあげること。

市民病院は、系列の大学病院の顔色をいつも伺っている。送り込まれた腕の悪い外科医による医療ミスも隠蔽するし、彼らを受け入れるポストを確保し、機嫌を損ねないようにすることに余念がない。患者に向き合うという姿勢が全くないのだ。

ひたむきな仕事ぶりと権力におもねない清々しい生き方の当麻医師は、慣習に雁字搦めになり、仕事に誇りを持てなかった他の医師や看護婦たちをみるみるうちに変えていく。

そんな中で、重篤の肝臓癌を患ったクランケが入院してくる。肝移植が必要だが、合致する生体肝移植のドナーが見つからない。そこに、脳挫傷脳死となってしまった少年が運び込まれてくる。少年は、ボランティアにいそしむ心優しい少年だった。

少年の母は、彼の臓器を病気の人のために役立てることが最後の意志だと当麻先生に願い出る。ただし、80年代においては脳死判定が確立されていない。脳死肝移植は、殺人罪で告訴される恐れもある。だが、当麻先生は日本で初めてとなる脳死肝移植のオペに踏み切る決断をとる。終わったら病院を辞すことを決めて…


堤真一主演『孤高のメス』

もう10年も前の映画。堤真一の演技は、主人公の魅力を際立たせていた。恐らく病院の背後におけるどろどろとした部分は、実際に真実だろう。だが、人としてどこに価値を置き生きるのか。その崇高さは触れた人たちの人生も変えていく力を持っている。

最近、邪な思いを持って自分に接してくる人に心煩わされる事が続いていたので、心が洗われた気分だ。

キャリア研修を牽引する人

『キャリア』をテーマとする仕事に出会ったのは33歳の時。学生時代の大病を機に、生きていること、はたらくことを考え、時の出逢いと気持ちを大切に仕事を選んできた人間においては、格好のテーマと思えるものだった。ターゲットは、若年。

これを機会に組織・人事へと専門領域を切り替え、再びキャリアに取り組む機会を得たのは40歳。ターゲットは45歳オーバーの中高年。

年齢を経たからといっても、働き方、生き方を深めて考えて来なかったという点だけを見れば、仕事選びができない若年と何ら変わりがない。もっといえば自分を脇に置いて組織に埋没していた期間が長く、アップキャリアの可能性が望み薄の中高年に健全な危機感を持って将来のキャリアを考えてもらうのは、非常に難易度が高い。

何で若い僕が、オッサンの支援をする必要があるのか…という疑問も当初は抱いた。甘えてるんじゃないよ…と。

だが、賃金が高く変われない中高年の正社員の問題を日本企業は避けてきたから、若年に正規雇用の機会が回ってこなかった。小手先の制度改革を何度も繰り返さざるを得なかった。問題の本質は、日本的雇用という幻想にロックインされて、自分を忘れ居場所を見失った中高年社員達の意識、行動変容にある。

電力会社を定年まで勤め上げ、定年後は糸の切れた凧のように規律を失ってしまった父親の姿がオーバーラップした。奇しくも親父は、人事部安全衛生。健康管理の必要性を説く側にいたくせに、自分の健康管理はまるでできなかった。生きること、働くことの自分にとっての意味を見いだしていなかったからだと思う。

様々な企業の中高年向け研修の企画を行い、研修の立ち会った。様々な会社の社員も見てきたが、8割方はまともに考えていないという点は共通だった。何事にも終わりがある、大事なことは先延ばししちゃいけない、という大原則をこの人たちは分かっていないんだ…そう思った。

そして、いつももどかしく思っていたのが研修講師だった。組織論理と個人感情の交差点に立って、適切な運営を行える講師がなんと少ないことか。自分は若いし前には到底立てない。

気がつくと10年がたち、受講対象者と同じ年代。前に立つ機会も多くなってきた。でも、僕がやってしまってはこの事業は拡がりがない。

キャリア研修は、その人の生き方、考え方が隠せない。小手先技が効かない。だから自ずからできる人は限定される。『もっといい講師はいないのですか?』『次回以降も僕でお願いしたい…』いつも悩ましい…

いつかは研修講師とカウンセリングを専門にしても良いけど、今はその時期じゃない。講師として支えてくれる仲間はいないかな…

石を投げるものは

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

ヨハネ福音書8節の一文。連日、鬼の首を獲ったように不倫、政治スキャンダルの報道にエスカレートするマスコミ、評論に明け暮れる人々。

クオリティ、タイムマネジメントコンプライアンス…一見正論を掲げつつ、普段の自身を省みることなく、人を追い詰めることに余念のない人はどこにでもいます。彼らにおいては、義は自分にあると思っていると思うのですが、ただのロジカルハラスメントです。

法律、倫理、規範とは、一体何のためにあるのか。それは、人を幸せにするためにある。そこに照らせば、解釈や運用も変わってくるはずです。決して人をつるし上げる根拠にするものではない。

そう。愛のない裁判官ほど質の悪いものはない。律法主義に凝り固まったファリサイ派のように。

人の罪を裁くのに余念を持つのはいい加減にして、その厳しい目は自分に向ければいい。

思い、言葉、行い、怠りの罪…

そうすれば、誰もがもっと笑って生きられると思うのです。

彼女の面影

金曜日に久しぶりに集まった高校時代の野球仲間。後輩で9回生の市田君、そして同期の大野君、兼松君。話題は、今月末に行われるホームカミングデー。

大野君は、同窓会には全然参加していません。Facebookも使っていません。ですから最近の同期ってどんな感じなのか…って全く知りません。ですので、FBベースですが、彼は、彼女はこんな感じ…と見せると食い入るように見つめているわけです。

ちなみに大野君は相当に老眼が進んでいるので画面を見つめる目が奇異で面白いこと。今回みんなに会ったら、みんな老眼が進んでいるので、正直びっくりしました。

僕はiPhoneのフォント設定は「極小」ですが、全くみんな見えないのだそうで。かなり大きな文字設定だったりします。むむそっかーって感じです。普段年齢を意識することってないけど、こういうときに感じるわね。

話を戻すと。大野君は同級生の記憶が現役の時から止まっていますから、彼女はこんなじゃない…とかまあ言いたい放題言っているわけです。やれやれ。

飲みすぎで痛風になって、ミニマシュマロマンみたいに膨張している君が人のこと言えた柄かい!と僕と兼松君で突っ込みまくりな訳ですが。大野君は、久しぶりにあったら識別はできても大分変わったって思われるでしょうねえ。ww

『あの可愛かったXXはどうなったんだ?』
『あー彼女は昔から色っぽかったねえ』

女子諸君すいません。でも、こういう会話ってよくあるでしょ。わいわい盛り上がってまたね!って。高校の時とは基本は変わってないのですよね。

ジブリヒロインの原点

江口寿史さんが描くポップでキュートでスタイリッシュな女性のイラスト。すごく惹きつけられます。好みのタイプだとかそんなんじゃないんです。昨年は江口寿史さんのイラストレーション展が全国で行われていました。今後どこかでやるのなら行ってみたいものだな…

そんな江口寿史さんのイラストレーションの一つに、リアルな女性を描いたものがあります。女優の芦川いずみさんです。芦川さんは、石原裕次郎さんや小林旭さんなどが活躍した時代の日活映画の看板女優。今見ても可憐で可愛らしく「和製オードリーヘップバーン」とも呼ばれていました。

古い映画が好きな僕も何本か見ていますが、本当にチャーミングです。吉永小百合さんと肩を並べる人ではないでしょうかね。

ちなみに芦川いずみさんのファンは多く。宮崎駿さんの作品に登場するヒロインも芦川いずみさんのイメージが相当に反映されているそうです。

こういう方がもし今も活躍されていたら、アジアを代表する女優になっただろうな…と思うのです。

男の嫉妬の恐ろしさ

銀座のママだった人曰く、「男の嫉妬は女性の100倍怖い」ということだそうです。なぜなら、嫉妬した相手のことを会社や業界にいられないように、社会的な抹殺を図ろうとするから…だそうです。


女性は自分のグループには入れてあげない、というだけで社会的に排除まではしようとしません。他人との関係性や連続性を大切にするように育てられているから。一方の男性は、常に一番になるように育てられているから、その地位を脅かす人間は排除するのです。



嫉妬のタイプはいくつかあります

①自分より仕事ができる
②自分より社会的に注目を受けている
③自分より人気がある
④自分より格好がいい
⑤自分の好きな人に好かれている

その対象は身近な人間であることが多い。特に上司と部下、同僚という関係性で起こるわけです。上司においては、部下の評価権、人事権を持っていますから、生殺与奪は簡単なわけです。

問題となる材料をチクチクと集め、自己の意思決定の正当性を図っていきます。時にそこに客観性を保つための第三者が駆り出されることもあります。その人と利害が一致していれば、強力な援軍となります。これが大きくなったものが俗に言う派閥です。

そして用意周到に嫉妬した相手に社会的なダメージを与える、目の前から葬り去れればそれで良いのです。

嫉妬心は誰でも抱くものですが、その人にとって最も大事にしているもの、例えば好きな異性の好意とか衆目から注目…が脅かされた場合には、その気持ちは執拗なものになります。さらに、その人が気持ちを満たされることがない不幸な状況に置かれていたのであれば、相手を恨む気持ちはすさまじいものになります。

大事なことは、そうした気持ちを抱かれないように、程度のいいバカを演じたり、取り入ったりしておけばよのです。

ですけど、程度の差こそあれそんなのって無駄な労力な訳です。自分は上司の小さなエゴを満たすために生きているわけじゃない。もっと大きなもののために生きているのだと思うのです。

とはいえ、正義を貫くと十字架に架けられるわけです。それによって大きく地位が脅かされたり、仕事を失うという経験をしたこともあります。人の醜さ、恐ろしさというのは過去に幾度となく経験してきました。

その度に思うわけです。人が人に対して決してやってはいけないこと。それは、人を貶めることで自分が高く上げられる、望むものを手に入れる行為だと。これが無くならない限りは争いなんてなくなりやしません。

いくら最新理論を知っていたところで、人としての規範や自己犠牲の愛が分からない人は、何の意味もないのだ…と思うのです。

Find my Tokyo

昨年末からオフィスが青山一丁目から半蔵門に変わった。組織の急拡大に伴い、あっという間にオフィスが手狭になったからです。

千代田区一番町。番町は江戸時代から武家屋敷が立ち並び、維新以降は役人や華族が居を構えた邸宅街だっただけあって静かで落ち着いた街。周囲を散歩するに気分のいいところです。

一方での難は、家からの距離が遠くなったこと。6キロくらいだった南青山。これは自転車ならほとんどご近所感覚。

一番町は、11キロあります。しかもアップダウンあり。渋谷、霞ヶ関、浜松町、虎ノ門、新宿、南青山…これまでのオフィスで一番遠いかも…

でも僕の好きな神保町が近いし、千鳥ヶ淵が近いから、今年の桜は毎日見に行けるかな…なんて楽しみもあります。

Find my Tokyo.

オフィスが変わると自転車での新しい道から発見があるから楽しいんですよね。