Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

宅間の会

鎌倉は大小の谷が入り組んだ「谷戸」と呼ばれる地形が多い場所。僕が住んでいる場所は「宅間ヶ谷」と呼ばれています。宅間というのは鎌倉時代にここに住んでいた仏師の名前から来ているらしい。

 

今日は、宅間ヶ谷の有志ボランティアの人たちが集まり、華頂宮邸の整備や周辺の清掃を行う日。ここに移り住む前からこのボランティアには是非とも参加を・・と隣家の方からも言われていたのですが、前回は雨で流れてしまい初めての参加。

 

ここの人たちは博識の人が多く、地域の歴史や動植物の造詣に深い。皆さんお歳を召していらして、僕の年齢でも最若手。昔、小学生の時にたった一人で地元の野鳥の会に参加したときの記憶が蘇ります。

 

興味深かったのは、この谷戸のボランティアのルーツがプロレタリア文学家として活躍した林房雄さんが作った宅間会にあるのだということ。彼は終生この地で作家活動を行い、大東亜肯定論、息子の青春などを執筆したのだとか。そして、彼に師事する川端康成さんがこの地に住み、代表作品の「雪国」はここで執筆されたのだそうです。

 

川端さんは後に長谷に移り住みますが、この宅間ヶ谷での生活を思い起こしながら書いた作品が「山の音」だそうです。確かにここはとても静かな場所で、木々のざわめきの音がよく聞こえてきます。

 

 

そして、リーダーの方は旧華頂宮邸の存続運動をしたときの事を話してくれました。なんでも、バブル期にかなり裕福なお家の方が住んでいたものの、その方が家を手放すことになり、結婚式場か福祉施設になる話が沸き上がったのだとか。一方でこの地域は商業活動を展開することができないエリアで、その指定を解除して商業施設にするという話があったため、弁護士などと協力して改正が出来ないようにしたのだそうです。その後、華頂宮邸は鎌倉市の所有となって今に至るわけですが、庭園のバラの手入れや年に二回解放する際のボランティアは以来はずっと行ってきたのだそうです。

 

 

この谷戸は報国寺と旧華頂宮邸が名所ですが、谷戸に沿って流れる小川の水がとても綺麗なのです。下流は平家蛍、上流では源氏蛍が見られるのだとか。それもボランティアの人たちの活動のお陰なのだとか。こうしたことも地域住人同士の繋がりが強い鎌倉ならでは。東京にいたら地元コミュニティなんてほとんど形成されていませんから。

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