Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

谷戸を巡る人々

浄明寺の土地を手に入れたものの、工務店とのトラブルが起こり工務店を変更したのが昨年の暮れ。新たな工務店でようやく着工かと思いきや、地盤調査で強度の問題が発覚。地盤の弱さを考慮して基礎杭を打つには埋蔵文化財調査が必要とのことで試掘調査をするも、案の定歴史的埋蔵物が出土してしまい、家の建設は暗礁に乗り上げることになってしまった。(宅間上杉家の邸宅跡地らしい…やれやれ)

 


基礎杭を打たなくてもいい平家にするか、鎌倉市の公費調査を3年待つか。待たずに私費で調査を行うには1000万円も要してしまう。このまま、じりじりと都内に仮住まいをつづけるのか…

 


そんな折だった。同じ谷戸に古屋をリノベーションした賃貸が出るとの情報を妻が地元不動産で聞きつけてきた。そこは、谷戸を大分上がったところにあり、古い擁壁には岩煙草が生い茂る築60年の平屋の邸宅。

 


元オーナーは帝国海軍で伊号潜水艦の艦長。かの有名な人間魚雷回天を搭載した伊号潜水艦であったが、不要な戦いを避けた艦長の人徳により多くの人が救われたのだという。その方は戦後は自衛隊に入り、横須賀勤務で潜水艦乗りを続けた。そして艦長の人柄を慕って多くの人が家を訪れたのだという。そのオーナーが亡くなった後、家の権利を買ったのがAさん。Aさんは元オーナーとの知り合いであり、かつてこの谷戸の住人。本当は自分が住みたいと思ったのだがそれは難しく。一方でこの土地のロケーションと擁壁の岩煙草の植生を護りたいがゆえに、古屋をリノベーションし、自身の考えに共感してくれる借り主を募りたいのだという。

 


鎌倉の歴史、谷戸の歴史について様々な情報を取り寄せ愛着を深めていた妻から見ると、願ってもない話。家を見学し、応募をすることにしたのだった。

 


家賃もさほど高くない絶好の条件であったことから、10組もの応募。想いを綴った手紙をAさんに書いたのが通じたのか、僕の家ともう一組と面接をして決めたいのだという。そして仲介業者がいる下北沢でオーナーと借家の隣人とAさんお抱えのデザイナーを交えた面談。

 


76歳のAさんは長い歴史を持つ都内工務店の社長を務めた方。今は引退して大磯に住んでいるのだという。その家は、かつて村上春樹さんが住んでいたそうで、建築家中村好文さんが新潟から古民家の材料を持ってきて建てた家なのだという。数寄屋造りで有形文化財になるような素敵な家。

 


Aさんは大学時代は写真活動に明け暮れ、卒業後は卒業写真を制作する会社を仲間と興したのだという。その仲間達はみな有名な写真家となり、保有している当時のおびただしい作品はどれもがかなり価値のあるものになっているのだとか。

 


その後、東洋医学に関心が深かったため漢方の世界に飛び込み、問屋や営業の仕事で経験を積むも父親が倒れたことで家業の工務店を継ぎ、事業を大きくしたのだという。

 


その工務店の株は3年前にゼネコンに売却し、今や大磯の自宅と八ケ岳の別荘で悠々自適の生活。とはいえ大磯で有機栽培の栃錦の稲作を行い、地元酒造メーカーに米を納めている。亡くなったCWニコルさんとも繋がりがあり、八ヶ岳でパタゴニアと連携した活動、大磯では地元農家、加工業者を連携させマーケットを企画している。工務店が本社を置く東京阿佐ヶ谷では、ジャズフェスティバルをスポンサーし、山下洋輔さんとも懇意なのだとか。

 


実業家の一方で芸術、芸能に深い造詣がある。福々しく穏やかな人で身体から暖かなオーラが迸り出ている。とにかく生き方がユニークで、美意識がとても高いのだ。

 


Aさんは話をして、僕たちのことをすっかり気に入ってくれたみたいだった。隣家の方もデザイナーの方も同意見だったらしい。自分の想いを託せる人はこの人たちしかいない。自分が将来亡き後もここを守ってくれるなら、権利を譲ってもいいのだ…と。いきなり面談の場で話をしてきた。(無論ただではないけど)

 


さて、元々家を建てる予定だったところをどうするのかという問題はありつつ、Aさんという人物とリノベーションした岩煙草が生い茂る古屋の魅力は捨てがたく、話は全く予期しない方向に。

 

人が誰とで会うかは、偶然ではなく必然。きっとこれも何かのお導き。そう思わせる出来事だったのでした。