Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

言葉の波紋

昨晩、大学時代に1年だけ属したソフトボール部の友人二人と会う機会があった。K君は上場会社の社長、O君は社会人1年目に友人の3回忌で会って以来。迫力ある風貌も雰囲気も当時と変わっておらず、静岡で社労士を独立でやっているのだという。


なんでも、新卒入社の金融商品取引会社から税理士事務所に転職し、税理士を目指したのだという。だが途中で断念し社労士を目指すことにした。税理士を目指したきっかけは僕にあるという。それは社会人1年目の時に僕が簿記二級を取ったと話したことにある・・うむむ、自分が簿記二級を持っていることも忘却していた・・


新卒で入ったPwCは会計事務所系コンサルティングファームで会計システム刷新が多かった。そんなことから、簿記2級を取ることは新卒全員の必須課題だった。とはいえ、工業簿記をとったことが役に立った機会は、最初にアサインされた生産管理システム刷新プロジェクトくらい。その後において簿記の知識やスキルなんて僕はなにも活かしていない。独立したときに、BS,PLは作ったけどそれは会計システムが勝手に仕分けも帳票作成もやってくれたしね。


O君と出会った大学1年は体育会ソフトボール部に在籍していた。当初は野球をやろうと考えていたのだが、最初に熱心な勧誘をされたこと、同期が多かったこと、浪人時代で視力1.5が0.4にすっかり悪くなってしまったことなどから、ボールが大きくてルールのさほど変わらないと思われたソフトボールに入ったのだった。


部は東都大学2部リーグから1部に昇格したばかり。未経験者が混じりながらもひたすら練習に打ち込む毎日。授業に出る以外は、部活と隙間時間のアルバイトでほぼ時は流れ去っていった。一方で同期の仲はよかったから、独り暮らしの仲間の家によく泊まりに行き夜な夜なテレビゲームに興じたもの。


だが、せっかく入った大学において次第に部活中心の単調な毎日が続くことに疑問が生じ始めていた。そもそも、入部者が非常に多かったからレギュラーになるには、部員も多く相当時間がかかる。代打でたまに出る機会のために、貴重な時間を費やすことは、まるでメリットのあることとは思えなかった。


同じように考えた連中は複数いた。


10名強いた同期において、5名ほどのメンバーが時期をさほど変えずし、退部届を提出した。何名かはその後は何の部活にも入らず。僕は準硬式野球茶道部という二足のわらじを履く生活となった。この決断は賢明なものであり、野球の試合に出られるようになったし、全く無縁だった世界を覗いてみることで始めた茶道は、仲間においても僕の性に合ったものだった。我慢なんてほどほどにするのがいいのである。


その後、辞めた同期とは時々会っていたのだが、世界が大きく変わっていったこともあり、交流する機会は減っていた。今回の再会のきっかけは、会社経営をするOBの一員として大学会報誌に登場したK君のことを知り、O君が連絡をしたことにあるらしい。僕においてはK君の会社の人事制度のコンサルティングをしたこともあり、その後は少なからずの繋がりがあった。


家に戻り、O君が連絡を取るきっかけとなった、会報誌に目を通してみた。そこには、K君が会社経営をするきっかけは、大学時代に学んだ経営学原論にあることが書かれていた。僕が経営コンサルティングを目指すきっかけとなったのも、経営学原論で学んだ事業戦略の面白さ。こうした繋がりも何かしらの共通点ゆえ。

 

それにしても、何気なく人に話したことが、他人の生き方に少なからず影響を与えているものなのですね・・