Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

相互理解の架け橋

推敲は最大の趣味であり、それを行うために小説を書いているようなもの。文章を推敲するのは、読者に対する親切心であり、それを失ったら小説を書く意味なんてないのではないか…

 


「さらりと読みやすい文章は、いきなり書けるものなのか、それとも素朴な元となる文章があってそれを精錬させていくのですか?」という読者からの質問に対する村上春樹さんの回答です。

 

 

 

感じたこと、思ったことを徒然綴っているブログではありますが、できれば読みやすい、伝わる文章を書こうと少しは心掛けています。勢いだけで熟れていない文章を他人に読ませるのは、申し訳ないと思うからです。

 


官僚のような文語体、句読点や改行が入っていない、一センテンスが異常に長い礫のような文章…

 


僕は基本的に頭が良くないせいだと思うのですが、ことこういう文章が全然頭に入ってこないのです。むしろ、すごくストレスを覚える。

 

 

こうした文章の書き手は、相手に対する親切心というものがないのだと思います。書いた以上は伝わるはず、もっといえば考えや思いを掲示することで悦にいっているところすらある。でも時に当の本人は自分のことを他人は分かってくれないと嘆いていたりもします。

 

 

 

SNSや電子メール…どんなメディアであれ、推敲をしない文を送ってくる人は、相手の立場に立った優しさが足りない。コミュニケーションは受け手が成立させるもの。文章は相互理解の架け橋となるものですから。