実家に戻った折、母がアルバムを整理したいとのことで箪笥の奥からアルバムを取り出した。写真は母が独身時代だった頃のものだ。僕が知らない高校、社会人時代の母の姿がそこにはあった。
困窮の女手独りの家庭。三人兄弟の真ん中だった母は、成績が良かったことから担任の強い勧めもあって栃木県下の一女に通った。就職活動においても片親の家庭に世間は厳しかった。日立製作所は片親だという理由だけで採用してくれなかったのだという。雇ってくれたのは東京電力。女性は3人で母以外は縁故採用だった。
母は当時にしては独身時代が長かった。結婚したのは30代前半。病弱な姉を含めた一家を支えるために、母の収入が頼りだった。一方で行動的な母は独りであらゆるところを旅行した。旅先では女性一人は泊めてくれないので、現地で旅をする男性ペアの人に一緒に宿を取ってくれるように頼んだのだという。大山で撮った写真はそうした旅先の一枚だ。
今はすっかりと腰が曲がり、体調も優れない。かつてスキーなんて毎年行っていた。転んだこともないし体力はあったのに…そう嘆く。
僕が好奇心旺盛で一人で行動することを厭わないのは、きっと母の血を受け継いでいるから。全国を旅した母の写真にそう思ったのだった。