ダイレクトリクルーティング。欲しい人材をサーチして、直接メールを打って採用に繋げる手法。ビズリーチが代表的だ。
欲しい人材には直接アプローチできる反面、そういう人材には多くのアプローチが来る。平板なメールではハナから無視されるのがオチ。メールを打つ担当者を悩ませるのが、返信率が上がらないこと。
当たり前だがアクセンチュアくらいの横綱企業からのオファーメールだったら返信でもしてみようかとも思う。だが、知らない企業からのメールだったらどうだろう。まず相手にされない。
これはラブレターと同じ。憧れの人からのレターには心を動かされるけど、顔も見たことがない、見てもぱっとしない人においては、振り向かせるに技術がいる。
自分がどれだけ相手のことを観察、理解、想像し、自分との出会いの必然性を語ることができるのか。唯一無二の理解者として認識をしてもらえれば、イケメンじゃなくても付き合ってもらえるかもしれない。
平安時代であれば、和歌に託す思いの深さ、美しさの技量が大きな魅力の要素だった。人を動かすにおいて、言葉の持つ力は変わりがないはず。
一方でこの事を理解せず、自分のことだけを一方的、画一的な文章で送る浅はかさ。これは、ラブレターじゃなくて三文チラシ。ラブレターを書いたことも貰ったこともないのだろうなあ…
学生時代、独身時代は手紙をよく書いた。好きな人には毎日のように手紙を書いた。電話で相手に全ての心情を伝えるには僕には言葉も勇気も足りなかった。
白紙の便箋に筆を走らせると、話す言葉も然る事ながら、相手に的確に伝える言葉の乏しさにいつももどかさしさを感じた。そして最初は自分のことばかり書いていた。うちに読む相手のことを想像しながら書くようになった。気持ちが通じて相手からも気持ちを伝えてもらえるようになった…きっとこの時と同じ。
チラシは止めてラブレターを書こうよ。ラブレターの要件ってなんだろうね…
そんな話をオンラインで話していたら、息子からはラブレターのことを仕事で話すんだね…と半ば感心したように言われ。妻からは、昔は山ほど長文の手紙をくれたのに、最近はスタンプばっかり…と。仕事だけでラブレター書いてちゃダメね。