Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

消去法のなかにある光明

単なる憧れに過ぎず、己の適性のなさを思い知った高校3年生の3月。進むべき道は、適性のない選択の中であがくことではなく、自らを客観的に見つめた中で得意なものを中心に専門を定めることにあった。

 


僕は遅々として理解のすすまなかった数学と理科の参考書を全て廃棄した。正確に言えば、統計解析と地学は得意であったし好きだったのだけど…

 


残ったのは国語、社会、英語。特に現代文は成績がよかったから、文学部に専攻を定めようと思いつつ、その考えはすぐに変更を余儀なくされた。国立理系を専攻した際に、日本史、世界史を取っていなかったから。

 


私立上位校においては、地理で受験できる文学部は皆無。法学部も同じ。残るは、経済、商学。詳しく見ると商学経営学)は極めて面白い学問であることが分かった事で、専攻は経営学に定めた。

 


浪人生の春先に定めた軸の通り、果たして僕は志望していた大学の経営学部の末席に加えてもらい、今の職業選択にも繋がることになった。

 


もし周り道を歩まなかったならば、僕は同じ道を選べていたのだろうか。そう思うと、道を塞がれ隘路に活路を求めた事が結果としては良かったのだということになる。

 


以来思っていること。それは、偶然を必然に変えていくことが生きていく上で求められる基本的な姿勢ということ。夏目漱石は『こころ』の中で、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といっている。今流にいえば、ジョブクラフティングし続けていくことなのでしょうね。