Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

マスター・オブ・ライフの瞳

「メガネを掛けるくらい勉強したら大学行けるわよ」

 


高校卒業まで視力は両目1.5、健診の度に保健室の先生には笑いながらそんなことを言われたものだった。一方で高校時の学業はまるで振るわず、ビリギャルみたいなもんだった。

 


これでは好きな人とも付き合えないし、ダメ人間のままで過ごすことになる。過去の自分を消し去るべく、浪人時代は誰とも口も利かず勉強に勤しんだ。次第に成績も持ち直し、志していた大学にも入れた。ただ1年で高校の勉強をやり直した代償は大きく、視力は右0.4 左0.2にまで落ちた。

 


遠くまでクリアに見る力があった自分の目。それが喪われたことを知った時には、さすがに愕然とした。浪人時代は、いつも教室の前の席を陣取っていたし、いつもノートと参考書しか見ていなかったから、目が悪くなっていたことにまるで気が付かなかったのだ。

 


それにしても、保健室の先生は慧眼だった・・

 


果たして落ちてしまった視力は少しだけ戻ったものの0.7くらい。裸眼で運転がなんとかできるレベル。仮性近視だからいつか戻るかも・・・淡い期待も社会人になると目に悪いことばかり。

 


そんな状態が四半世紀続いたけど、先日健診をしたら視力は右1.2 左1.0だった。確かに遠くを凝らしてみると、以前は合わなかったピントが合う。思い当たることと言えば、iPhoneの視力回復アプリをたまに眺めた位。そんなもんで、視力が回復するなんてね...

 

 

 

バスに乗ってイギリスの海沿いを行く少年時代のキートン。瑠璃色に煌めく海を見て嘆声をあげ、前方の道に飛び出すウサギに気づいてバスを停めさせ、運転手にこう声を掛けられます。

 


「坊や目がいいんだな。」「目がいいと人生は楽しい。」

「坊やはきっと人生の達人(マスターオブライフ)になれるぞ。」

 


浦沢直樹 マスターキートン「瑠璃色の時間」

 

 

 

目がいいという表現には、肉体的なことだけではなく感性的な部分も含まれると思います。美しい景色を見るのが何にもまして好きな人間にとっては、「目が良くなる」というのは何にもまして有り難いことだったりします。