期待に胸を膨らませて入学した中学1年生の時のクラスメートは、すべてが真新しく新鮮だった周りの風景、匂いとともに当時の皆の面影を鮮明に覚えている。他の学年では、記憶が断片的で不鮮明なのに。
だから、その時のクラスメートの訃報に接したときは、少しショックだった。普段から会うわけでもなく、同窓会で会うだけの間柄だけど、記憶の中にいつも留まっている人であったから。
考えてもみれば、高校を卒業してからかつての学校の集まりというものには僕はまるで顔を出そうとしなかった。勝てないチームでもありながら、日々時間をともにした野球同好会の仲間とごく一部の友人くらい。
鬱屈とした高校時代の自分を全て捨て去るつもりで浪人時代を過ごしたから、その時のスイッチがいつまでも切れなかったのだろう。
30代前半の頃だった思う。同窓会があるから是非来てよ…という電話がかかってきた。声の持ち主は、O君だった。無邪気さと年齢を超えた落ち着いた大らかさを持つ彼の声は、中学時代とちっとも変わっていなかった。
誰かが行くから行ってみようか…ではなく彼の声に入り続けていた自分の中のスイッチがようやくOffになった。僕は久しぶりに母校の集まりに顔を出すことにした。そこにはO君の姿もあった。
コロナで無期延期となった同窓会。次の機会で彼がいないというのが僕にはどうにもしっくりこない。たまたま今回は出られなかっただけなんだよ…そう思ってしまうことだろう。