Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

残された松明が照らす未来

仕事柄色々な場所を訪れる。

 

僕は、私立文系で臨んだ大学受験をマイナー科目「地理」で行ったこともあり。国内、海外の地図は”舐めるように”見ていた。おかげで地勢、気候、産業、歴史についても主要なことは、頭の中にかなり残っている。

 

学生時代に地図上の想像世界だった場所を、自分の目と足で辿るというのは、大きな感動がある。

 

私立文系の社会選択科目は、通常であれば日本史か世界史。地理で受験しようなどという奇特な人は、今でもあまり多くない。一番のデメリットは、受験できる学校、学科が限定されるからだ。

 

当時も、上智、立教、ICUまた上位校の法学部は日本史か世界史でないと受験することができなかった。普通、地理を選ぶ学生はいない。地理を選択したのは、自分にはそれしかなかったから。

 

僕は、高校時代は国立理系→私立理系、浪人で私立文系という典型ともいえる転落コースを歩んだこともあり、日本史や世界史を高校で選択していなかった。(理系の国立志望は地理を選択するケースが多い)社会に代わりに数学で経済学部を受験するという道も無くはなかったものの、不向きさを痛感した理系は、記憶共々、オールクリアしたかった。文系にコンバートすると決めた時に、理数の教科書も参考書も全て捨ててしまっていた。

 

友達に会わずに勉強しようと思って選んだ予備校は、理系メインだったこともあり、文系学生が少なく、さらに私立文系で「地理」の授業を選択する者も、あまりいなかった。

 

最初は5名程度だった学生も暮れが近づくにつれ次第に減っていき、最後はマンツーマンに近いような状態になった。

 

地理の先生は、帝国書院(地図帳で有名なところだ)を引退したおじいちゃん。自分の足で各地を巡っている人だったので、時折交えるエピソードが面白く。瀬戸際に追い込まれた浪人生活の中でも、地理の授業だけは好奇に満ちた心持ちで受けることができた。まあ、小学校時代から、好きな科目だったこともあるけど。

 

先の長い人生においては、何が幸いをするか分からない。消去法で選ばざる得なかった地理。でも、地理という科目ゆえに、法学部は受験から自動的に外れることになった。残りを吟味して選んだのが、商学(経営)。この選択は、経営コンサルティングとして、今に繋がる選択になった。もし、地理でなかったら、父親の影響で法学も併願していたかもしれない。

 

予備校の地理の先生は、主要大学の「地理」の問題を横並びで見て研究していたのだが、その先生曰く、『こと地理でいったら、一番難しいのは早稲田でも慶應でもないのだよ。一番の難関は、「学習院」。ここの地理をクリアできたら大したものだよ』とよく言っていた。だから、受験結果の報を知らせると、先生が喜んでくれたのはいうまでもない。僕も胸を張って大学に入った。

 

幾星霜が経ち、自分が色々な場所を訪れるようになり、地理を勉強したことの有り難さを、改めて噛みしめている。でも、その出発点も「地理」にあったことに気が付く。紆余曲折はしたけど、自分の手に残った好きなもの、得意なものが、時に見えない進路を照らし出し、人生を豊かにしてくれることがあるのだと。