Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

嫌われる勇気

人は『他人からどう見られるか?』を気にする生き物。確かに人は一人では生きられない以上、傍若無人に生きては意味がありません。

でも、人からの承認を得ることばかりを考え生きていくと、自分を見失い他人の人生を歩むことになります。それは、人からの承認を得るということに最大の価値を置き、そこに心が束縛されている状態ともいえます。

そもそも『他人の期待』などというものは、どこまで行っても満たすことなどは不可能なのです。

仮に一人の期待を満たせていたとしても、万人を満たすことはできない。そして、相手のために善かれと思って行ったことでも、それがそのままの通り相手に受け取られるとは限らない。誤解をされることだってある。過度な理想を抱かれ、そのギャップに一方的に失望されることだってあります。そして、いくら好意的に思われていても、人の心はいかにでも変わってしまうものです。自分が変わっていなくても。


そう。人の期待や見方というのは、一時の感情であり、人によっても異なるのです。要は普遍的なものではない。他人からの期待とのギャップは理解し、真摯に改善に取り組んだとしても。それは、天候に心が左右されて生きるような人生だから。

『私心なかりしか、動機善なりや』

コントロールできるのは自分の行動だけであり、その上での基準だけ。

人から期待を受け、見られる立場になると様々な見方、思惑にさらされることになります。人それぞれ理想が異なるわけですし、そこに合わせようとも合わせたいとも思いません。自分ができるベストを行う。自分のことを一番よく知る自分こそが、それが出来なくて誰がそれをしてくれるのでしょう。

唯一、期待に応えるべく最大の努力をするのであれば、それは家族という存在だけでしょうね。