Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

傷つけた人々へ

身近な存在ほど理解し合うことが難しい。なぜなら、距離が近ければ近いほど、交わしている会話も自分を見てもらえる機会も多くなるからです。

それは、相手は当然自分を理解してくれるだろうという期待の高さにもつながる。一方で、人は同じ情報を見ても捉え方は千差万別。ものの捉え方と抱えている背景や立場が違うからです。

典型は、夫婦の関係です。あうんで仲睦まじい夫婦もいると思うのですが、大概はすれ違いや意見の相違、不満を相手に抱えるものです。

アドラーが人の悩みは、そのほとんどが対人関係の悩みであるといったのはその通りで。人と人が真に理解し繋がり合うというのは、現世では難しく彼岸の世界である…と言ってもいいのかもしれません。宇宙世紀になって、人類が覚醒してニュータイプにでもなれれば別ですが。


僕は一時期、夫婦のすれ違いの大きさにとても悩んだことがありました。今でも悩むことはありますが、その時は本当につらかった。本当の孤独は、一人でいることより分かり合えない他者といることの方が大きいからです。


ちょうどその時、僕はキャリアカウンセリングについて学んでいました。


『あなたは、人の気持ちなんて分からない人なのよ…』


ナイフのように胸に突き刺さるこの言葉。その解をカウンセリングに見出そうとしていたのです。それにしてもこの言葉は、親しい相手にどれだけダメージを与えるものでしょうね。でも、相手も苦しかったのだと思います。


相手をよく観察すること。立場を想像してみること。気持ちを掬いとる言葉を見つけ、投げかけてあげること。

カウンセリングを学び、少しは人の気持ちがわかるようにはなれたのかもしれません。でも、キャリアカウンセリングは夫婦関係においては適用ができません。カウンセラーとクライアントという境界がなく、相手に対する期待や依存が高い相手においては、来談者中心のカウンセリングは成立しないからです。解は、見つからなかったのです。


一つ救われたのは、僕は人の気持ちが分からない人ではなかった…ということ。むしろできる人だということ。それをトレーナーやクラスメートからフィードバックをしてもらいました。人の気持ちがわかる、分からないというのは、互いの距離感であったり期待の気持ちで生じるギャップで、こればかりはいかんともし難い…という真実でした。


人は、誰かに見てもらいたい、好意的に思われたい。褒めてもらいたい。積極的に関わってほしいという気持ちを持っています。僕だってそうです。


でも、その気持ちは特に身近な人に過度に求めたところで、辛くなるだけ。そもそも、自分の抱えているこの気持ちのすべてを誰が知りうるのでしょう。翻ってたった一人の事だって理解することは難しいのですから。


そうしたなかでできること。それは、互いに相手のナラティブを理解することに務め、ギャップがあることを常に意識する。そして、相手を赦し自分の行動を変えていく。これしかできないように思うのです。このためには、分からないというレッテルを相手に貼るのではなく、自己を開示し対話をしていくことしかないのでしょうね。


例えば、僕は今年は長い夏休みを取りました。家族五人でヨーロッパ周遊。忙しいプロジェクトを多数抱え、何とか行ってきたわけです。


きっと、傍目から見たら仕事をそっちのけで、優雅に旅行だなんてどれだけ無責任なんだろう…なんて思われたかもしれません。

それはそうです。ものの見方にその事実以外の情報はないからです。

僕の家族はとても大きな問題を抱えています。家族が一緒にいられる時間を考えれば、何を差し置いてでも僕は時間をともにしたいわけです。そして、それを一つ一つ人には話せない。でも、可能な範囲で話すことも必要なのでしょう。人は一人一人、苦悩や夢を持っている。

そして、安易に人に対する想いは残る言葉として表明しない方が良いということ。その言葉だけが相手への想いの全部ではない。それは相手と自分を隔てる岩になってしまうから。僕は、身近にいる人たちを愛しています。その上で、他者と自分を隔てる対立の岩は欲していないからです。


どれだけ言葉費やし 君に話したろう
どんな言葉でも言い尽くせなかったことの答えも
一つしかないはずと
時の流れに心は変わってしまうから
そして一体何が
大切なことだったのかすら忘れ去られてしまう
刹那に追われながら 傷つくことを恐れる僕は
あの日見つけたはずの真実とは
まるで逆へと歩いてしまう

僕をにらむ君の瞳の光は
忘れかけてた真心教えてくれた
この胸に今刻もう 君の涙の美しさにありがとうと

尾崎豊 傷つけた人々へ