今のキャリアの礎となったのは、ある企業との出逢いとそこで取り組んだ一つの大きな課題だった。その課題とは、「定年延長」。遡ること2011年のことである。当時は、定年延長に踏み切る企業がごく少数だった。当然、大手企業における事例などはない。
定年延長においては、総額人件費の増加、上位役職者の滞留、モチベーションやパフォーマンスが低下した中高年の増加などの問題が生じるため、普通の企業であれば及び腰になる。定年は伸ばさず、再雇用制度で凌げればそれに越したことはないのだ。エイジレスというテーマは、低成長、高年齢化におかれた中で、日本企業の一番の苦手科目と言ってもいい。
業績が好調で拡大基調路線の中で、人材不足なら話は分かる。だが、そうではない。聞くとオーナーの強い意向なのだという。年齢で雇用を切り捨てる定年制度は、日本だけが持つ悪習である。自身の信念、会社理念であるフェアネスの精神に反している。この悪習を在任期間中に何としても無くしたいのだ…と。
慌てたのは人事部である。翻意を何度か促すもそれは叶わず、定年を延長することから取り組みを開始するで合意をみた。だが、成功のための方策も知見もない。そこに外部アドバイザーとして入って欲しいのだ…と。
これまで見る限り、人事制度改革、キャリア自律、代謝施策この3つ合わせて支援してもらえるコンサルタントは、どこにも見当たらない。何としても支援してくれないか…
当時、僕はリクルートの新規事業開発のミッションを負っていた。事業の種は見つからず、売上も無い。ゆくゆくこの状態が続けば、僕も組織解体で放出されることは自明だった。
この案件は、そんな自分たちに渡りに船だと思った。だが、上層部は乗り気ではなかった。コンサルティングではスケールする事業にはならない。お前をコンサルタントとして採用したわけではないのだから…と。確かにそうである。リクルートは、スケールするビジネスでなければ事業とは言わない。だから、HRコンサルティングサービスは、リンクアンドモチベーションとして切り離している。
だが、眼の前の『不』を解消することがビジネスのチャンスに繋がるのではないか。とにかく、この好機を逃したらこの事業は、立ち行かないのでは?というある種の直感が僕にはあった。だから、何としてでも上を頷かせるロジックと体制を作ってこの案件に取り組むのだ…
こういう思いに取り憑かれたときは、自分でも信じられないような力が出る。僕は、上を頷かせるロジックと体制を作ることに成功し、案件はスタートした。未知のテーマと取り組み、クライアントと汗を流した中で事業の種もできた。そして事業も成長し、ファーストクライアントだったこの会社からの委託額は、億を超えるものになった。
僕が、リクルートを契約満了になったときも助けてくれたのはこの会社だった。移籍先に契約を全面的にスイッチしてくれた。積み上げた事業から離れ、無一物なった僕に信頼を寄せ、案件を任せてくれる事が何より有難かった。一緒に働いた方々は、口々に言ってくれた。
「自分たちのことをここまで理解して、愛してくれている人だから、お願いするのです」
とはいえ、全幅の信頼をくれたプロジェクト責任者は更迭の憂き目に遭い、積み上げた信頼もずいぶん失われた今期。だが、後任のリーダーの方も信頼を寄せてくれた。何より残っていた部下の方々が後任者に口添えをし応援をしてくれた。人が生きる上で最も大切なことは立場を越えた「信頼」なのだと肌身を持って知った。
今日は、その企業に対するキャリア研修の講師としての登壇だった。
「終わった後にお時間を頂きたいのですが?」
行ってみると、後任のリーダーといつもの部下達、そして新たなメンバーは会議室には揃っていた。話は、さらなる挑戦に向けた支援のお願いだった。おそらく、この規模の会社では、日本の企業では初の試みなる。相当に難しい。
「2011年の時と同じか、それ以上の挑戦をすることになります。僕らの総意として、石橋さんにお願いしたいと思っています。見積もりを出してもらえますか?体制にはもう組み込んでいますから」
「成功できるか分かりませんが、僕らに最後まで付き合ってくださいね」
機会を自ら創り出し、機会によって自らを変えよ。新しい仲間とまた未知なる冒険が始められそうです。